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@現象学の見方〜存在しているものの全てなのです



 

 

現象学の誓いは 有形物を前後、左右、上下による多視点的に見る経験的なものによるもので、

一個の時間を重ねて有形物を捉える時、全ての角度から経験した物が 有形物の本質を顕わにすることであり、

一同に その経験的全体像の表現をすると、あらぬものが表れる。

その存在、すなわち 超越論的なものとして、同時に把握する事である。

それは 全ての経験的な内容によって、意味に与えられる場としての空間であると同時に、その経験的な内容を意味あるものにする。

その存在の全体成るものが、原初的な母胎だからである。

臨人愛より高いものは 最も遠いもの、未来に出現するものへの愛である ニーチェ

現象学による表現の解釈とは 世界が人間化され、人間が世界化される、

それぞれ、特殊な方向づけにほかならない。世界を隠喩化する視線、あるいはその痕跡を意味する、

この隠喩を生み出す視線こそ、人間と言う存在を世界に繰り広げ、世界を人間の中に現象させる最初のきっかけである。

ヘーゲル理論によれば、理論的立場に立って 有形的事物を全体のうちにおいて考察するとき、

その矛盾的規定は もはや 矛盾ではなく、総合統一されるのである。

「有」とは 生成変化してゆく有限的事物である。

「本質」とは 有限者の変化してゆく中に 不変的に自己同一を保つているところのものである。

「概念論」絶対者である。有限者を含んだ具体的普遍者であるということを解しようとしている。概念とは 有と本質との統一であり、その総合である。

生成変化とは 有るものが無いものになり、無いものが有るものになるということを成として把握する。

また、有限的世界の全体を絶対者と呼ぶ、全体とは自分を展開することによって、自分を完成してゆく実在に他ならない。

絶対者については それは本質的に結果であり、終わりにおいて はじめて

それが 真にあるところのものになると言わなければならない。

 

メルロ.ポンティの言葉では 現象学的還元は永遠に繰り返されるべきだと語り、

フーコーは 彼が行なうような理論的、実践的な批判の試みは それ自体限界のあるものであって、それゆえに、絶えず反復されるべきだ、と主張する。(フ全)

 

現象とは 意味的全体である.意味を付与するものとしての身体存在である。

それは 運動するもの、性的なもの、語るものとしての身体であり、

第一、このような「身体」が、世界に意味を付与していることが解明される。

第二、第三、「対自存在と世界内存在」現象学的世界は 純粋な存在ではなくて、

私の様々な経験の交点に、私の経験と他人の経験との交点に 相互の噛み合いを通して現れる私の現在の経験が、

過去の経験を引き継ぎ、私の経験が 他人の経験を引き受けることによって、

主観性と相互主観性とは 統一される。諸経験の連結と言う奇蹟にたえず、立ち会っているのである。

 

現象学は 世界の神秘と理性の神秘を明るみに出すことを使命とする。

意味を混乱した類似と言う反意味、もしくは 接近連合と言う無意味にまで還元する学説以外の哲学を 感覚は 承認することが出来ないのである。

一切の認識の始めであり、終わりであるはずの感覚や心像は 実は ある意味の地平において、初めて現れるのであり、

知覚されたものの意義は 目の前の図形を概観する場合であろうと、昔の経験を想起する場合であろうと、一切の連合において、然りである

我々の知覚野は 「物」と「物との間の空虚」とから成り立っている。知メ

真理の探求としての哲学は 何よりもまず、事象についての直接的な経験と確実な論理によって、築き上げられねばならない。と言う意味である。

諸現象を見渡す、いっそう自由な視界を開いたのは 現象学的研究の一つの功績である。量的データばかりではなく、現象学的データの価値を重視する

現象学的認識は 決定的な意味において、あらゆる世界認識に先立っているのである。

現象学的エポケーは 心理学的「エポケー」とは 反対に世界の内部に制限を設定すると言う方法論ではなく、世界を超えて制限を脱すると言う方法論なのである。「精

神科学的」心理学的に方向付けられた試みなど、現象学の観方からすれば 拒否される。

 

原理学的に哲学以前の視座によって、導かれている。多様な意識様式とその総合の普遍的体系の全体、世界信念、つまり、世界意識の統一と言う形で融合している、

普遍的体系の全体は 彼にとって「現象」となる。世界現象のロゴスを探求するのである。

 

哲学は いまは 単に、客観的にものを考えることに 安住することが出来なくなっており、思考する己自身の態度を問題にせざるを得ない。

哲学的に思考するという事は 何よりも人間が人間の為に思考するのだという事が、自覚されてきたからである。

ニーチェは 理念に仕える哲学を 人間の哲学に転換させた最も大きい存在だと言える。

「ハイデガーやメルロ.ポンティは 主として絵画を念頭においているらしい。芸術こそが<第一哲学>なのである」

 

思考とか、推論とかいったものは 上位のレベル 

知覚は それらの下位にある地盤取り巻く存在者と出会い、それを了解する事によって、事実的な状況世界のうちに己を発見する。

世界に越え出る以前に自己なるものが存在するわけではないのは 言うまでもない。

 

物が見えてくる過程を 現象学より一層深いところで、どのように捉えようとするのか、

それは 存在者がそこに見えるためには 見る者が いかにして世界のうちに、在るのでなければならない。

と言う事は 存在者全体が世界であり、その全体像の内に存在者ではない「あらぬもの」それが自己たるものとなる。

 

意識の現象学は 還元以前の世界内的な主観性の次元に留まると言う意味での「自然的態度の構成的現象学」にほかならない。

 

人間だけが自己意識を与えられている.

a、現象の総体を意識する事 意識作用意識するもの 自我、意識されるもの、意識対象

哲学的概念が 曖昧で、抽象的であればあるほど、普遍性を増す。素材が弱く貧しいほど、知の重要性が強まる。

哲学的教養をもつ全ての人を自由にするのである。アリストテレスから始まった哲学という分野は 2000年以上もまえから

、理論から始まって現在に至るまで、相対とか全体とか認識論とか名称は事なりつつも、

一貫して普遍的概念論として存していることに、その重要性を感じざるを得ません。

これからの新しい時代に考えなくてはならない事ではなく、古くからある理論の重要性を認知して、芸術作品に応用すべきであると思います。

それが、新しい芸術様式の誕生となる事なのでしょう。

 

しかし、古いままではなく、より進化させるべき態度として、宇宙量子学理論を組み合わせることの必要性があることを 念頭に置かざるを得ません。

ギリシャで始まった哲学は 現在も理論として、現ぜんと生き続けているのです。

 

主たる哲学者の理論

 

アリストテレス    ― 理論学、実践学、制作学。物理学者でもある

プラトン       ― 宇宙創造論総体

アウグスチヌス    ― 古くして、新しき美、― 論理的必然

ヘーゲル      ― 概念論、自由の実現という目的論的

ソクラテス      ― 哲学的総体論

デカルト       ― 無時間的直観、事象の全体

フッサール      ― 超越論、現象学

ハイデッカー     ― 存在論と現象学、現存在のたい落

サルトル       ― 存在の無化、人間の自由、時間的経過

メルロポンテイ    ― 現象学的還元、抽象機械、知覚の自己放棄

フーコー       ― 歴史的あるいは、認識論的、言説と言表

ボルノウ       ― 無時間性

西田幾太郎      ― 年輪の歴史観

説明の仕方は異なり、学術的解釈や論説の差異は あるかと思いますが、

それは 学識者の立場であり、存在者の全体、あらぬものの存在に価値を認めるなどの、地平を同じくすると言う考え方を把捉し、

表現を行なうという事については 皆、同じことを言っていると理解しても、良いのではないだろうか。

 

アリストテレスからの哲学の長い歴史の中で、批判があるとは言え、現象学をまとめ上げたフッサールに感謝致します。

現象学を纏め上げた事、そして、この現象学理論による新たな芸術様式の出現も「まだ」だったので、

私が現象学者の代弁者としての表現者となり、芸術作家としての道が開けることでのチャンスがやってきたことなのかも知れません。

 

哲学的諸問題の起源となるものは 驚異である。哲学的意味における宇宙は 存在者そのものの全体の事であり、

この全体は 一切の分野 部分,諸分野の全体を内に含んで包括している万物、神の意識にせよ<裏側を見る>事はできない。

 

不安の対象は 世界そのものであると言う事を現象的には意味している。その世界は 無の出現を条件付けている。 

それは 人間の自由である。無化の条件として考えられるのは 時間的な経過である。

現象学を認識論に転換、全ては 知である 話す事、観る事、言語と光である。

 

我々の滅却と時間、空間の超越(あらぬものの存在)と言う 2層性を持つように思われる。時空の成層圏を超えるとき、3次元から四次元へ、

それが超越であり、超越によって<永遠>が 開示される。

 

スカラー波の無い物は 三次元となり、スカラー波は 見える世界の生体である、

スカラー波の点は 形 無き者すなわち、「見えない世界」 四次元の世界であり、見えない世界の命体である。

その「見える世界と見えない世界」の合体が「生命体」なのだと言われております。

 

<永遠>は、人の考えうる 最高の幸福を含意する。

死は 生を超越し、その死の内在化を介して生が、今度は 死を超越し、それによって永遠へと自己超越するのである。

存在者全体を顕わにするための転移であり、時間であり<転移の総合><時熟><多宇宙>と言えよう。

私は この熟語を同意語的に考えてもさしつかえ無いものと思います。

 

カンデンスキーは 人間存在について 「それは 《今日》からは ほど遠いところにあるもので、目標たるに過ぎない」と言っておりましたが、

50年後と成った現在、人間存在における哲学の学者の論理を把捉して表現した作品こそ「芸術作品の完成に至る」と自負しても、許されるのではないかと思えるのです。

私としては 倫理とか人間存在を始め より普遍性を高める理論を求める為、人間が 地球上に現れた

すなわち、人間の初産に関する本質を「宇宙量子学の理論から求める為に、併用しております。(項目参照





現象学による表現の解釈とは、世界が人間化され、人間が世界化される、

それぞれ、特殊な方向づけにほかならない

世界を隠喩化する視線、あるいはその痕跡を意味する、この隠喩を生み出す視線こそ、

人間と言う存在を世界に繰り広げ、世界を人間の中に現象させる最初のきっかけである。(眼)
 
現象学の誓いは前後、左右、上下による多視点的に見る経験的なものと、

一個の時間を重ねて有形物を捉える全ての角度から経験した物が有形物の本質を

その経験的全体像の表現から あらぬものが表れる。その存在、すなわち 超越論的なものを、同時に把握する事である。

全ての経験的な内容が意味に与えられる場としての空間であると同時に、

その経験的な内容を意味あるものにする。

その存在の全体成るものが、 原初的な母胎だからである。

メルロ=ポンテイが現象学的還元は永遠に繰り返されるべきだと語ったように、 

フーコーは、彼が行なうような理論的、実践的な批判の試みは、それ自体限界のあるものであって、 

それゆえに、絶えず、反復されるべきだ、と主張する。(フ全)

現象とは 意味的全体である

意味を付与するものとしての身体存在である。
 

それは、運動するもの、 性的なもの 、 語るものとしての、身体であり

第一、 このような「身体」が、世界に意味を付与していることが、解明される

第二、 「知覚された世界」

第三、 「対自存在と世界内存在」


現象学的世界は 純粋な存在ではなくて、

私の様々な経験の交点に、私の経験と他人の経験との交点に、相互の噛み合いを通して 現れる。 

私の現在の経験が、過去の経験を引き継ぎ、私の経験が他人の経験を 引き受けることによって、

主観性と相互主観性とは統一される。



 諸経験の連結と言う奇蹟に、たえず、立ち会っているのである。

現象学は世界の神秘と理性の神秘を明るみに出すことを使命とする

 意味を混乱した類似と言う反意味、もしくは、

接近連合と言う無意味にまで、還元する学説以外の哲学を、感覚は承認することが出来ないのである。

一切の認識の始めであり、終わりであるはずの感覚や心像は、実は 

ある意味の地平において、初めて現れるのであり、

知覚されたものの意義は 目の前の図形を概観する場合であろうと、昔の経験を想起する場合であろうと、

一切の連合において、然りである。

我々の知覚野は、「物」と「物との間の空虚」とから成り立っている。(知メ)
 
真理の探求としての哲学は 何よりもまず、事象についての直接的な経験と、

確実な論理によって、1歩1歩築き上げられねばならない。

と言う意味である。(フ)


 
諸現象を、見渡す、いっそう自由な視界を開いたのは、

現象学的研究の一つの功績である。

量的データばかりではなく、現象学的データの価値を重視する。

代理物ではなく、本物の芸術作品を使う。(視)

 

現象学的認識は 決定的な意味において、

あらゆる世界認識に先立っているのである。

現象学的エポケーは、心理学的「エポケー」とは反対に、世界の内部に制限を設定すると言う方法論ではなく、

世界を超えて制限を脱すると言う方法論なのである。

「精神科学的」心理学的に方向付けられた試みなど、現象学の観方からすれば、拒否される。

−原理学的に哲学以前の視座によって、導かれている。−
 

 多様な意識様式とその総合の普遍的体系の全体、世界信念、

つまり、世界意識の統一と言う形で 融合している、

普遍的体系の全体は 彼にとって「現象」となる。

世界現象のロゴスを探求するのである。(エフ)



 



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