戦後文学の第一人者と言われた椎名麟三は、50才に近くなってからキリスト教徒となった人ですが、彼はクリスチャンになりたての頃、こんな感想を漏らしています。
「私は、クリスチャンといわれるようになってから、家の中でもおかしな立場におかれてしまったようである。昨日、私は外出先から帰ってきた。腹を減らしていたので、何か食べるものはないかと言うと、新制中学へ行っている娘が、『おいしいものがあるわ。』と言うのである。私は、たわいもなくほっとして、何だ、とたずねると、娘は神妙な顔でこう言ったのであった。『たたけよ、さらばひらかれん。』」
このやりとりは勿論、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」
という聖書の言葉を知っていればこその、ユーモラスなやりとりであるわけですが、いずれにしましても 「人はパンだけで生きるものではない。」という聖書の言葉が、キリスト教徒の在り方の一典型を示すものとして、人々に浸透していることを感じさせてくれるエピソードではあります。ところで、この「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」という、本日の聖書日課の中でイエス様が引用されている言葉は、もともと旧約聖書申命記の8章3節からとられた言葉であります。神の人と呼ばれた預言者モーセは、奴隷生活に苦しむイスラエルの人々を連れてエジプトを脱出し、40年もの間、荒れ野を放浪した末、ついに約束の地であるカナンに人々を送り届け、地上での生を全うしたと記されておりますが、そのモーセの口からこの「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。」という言葉が語られた時、イスラエルの人々は飢えと苦しみの中におりました。しかし、それでも神様は、必要なものを備えてくださり、「マナ」
と呼ばれる不思議な食べ物で人々は養われたと旧約聖書は語ります。
「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。」
人は食料なしには生きられないが、しかし食料だけで生きられるものでもない。たとえば、ナチス強制収容所での体験を元に著した『夜と霧』の著者である、ヴィクトール・フランクルが伝えてくれるような、ナチスの強制収容所での極限生活の報告は、このユダヤ教の教典に記される「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」という言葉が真実であることを、歴史の証言として伝えていると言えるのではないでしょうか。他人のパンを奪ってでも食料を確保しようとした者と、動けない病人に自分のパンを分け与えることができた者。多く生き残ったのは後者の方であったという証言は衝撃的であり、また「人が生きるために必要な何か」があるということを考えさせられます。人が貧しいときに真実であるこの言葉が、人が豊かであるときにもまた真実であることを、現代に生きる私たちは今になって、手痛いしっぺ返しと共に知らされる思いがします。「子供たちの心が病んでいる。」、「中学生の暴力事件は不可解である。」と言う前に、「人が生きるために必要な何か」を示してくることが出来なかった、私を含めた大人たちの無力さに愕然とするというのが本音ではないでしょうか。
さて、本日与えられました福音書の日課は、キリストが公に福音宣教を開始される直前、40日間、悪魔からの誘惑を受けられたという記事を伝えております。この時のイエス様は、40日間何も食べず、大変な空腹状態でありました。そこで悪魔はイエス様に言います。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」するとキリストは答えます。「『人はパンだけで生きるものではない。』と書いてある。」実に短い簡潔なやりとりであります。もちろんここで、多くの人たちが誤解してきたように、「キリストは空腹状態であることを奨励された」と考えることは間違っています。この文脈から、「キリストは禁欲主義者である。」
という結論を導き出すのは無理があるでしょう。もしキリストが禁欲主義者であったならば、ほかの聖書の箇所が示すように、「イエスは大酒のみの大食漢である。」という誹謗中傷を受けることはなかったでしょう。
悪魔は、キリストがその気になればお腹を満たすのは容易いことだと知っていたのです。しかし、キリストはただ一言、「『人はパンだけで生きるものではない。』
と書いてある。」そうお答えになります。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。」私たちはこの私たちを、「愛する」 と言ってくださる神様の言葉によって生きる。私たちは、「互いに愛し合いなさい。」
という神の言葉によって生きる。私たちはこの小さな命もまた、愛でられているのだと知って初めて 「生きることの意味」 を知ります。人はパンだけでは生きられない。人は主の口から出るすべての言葉によって生きるのです。こうして、私たちを愛してくださるキリストの言葉は、私たちを強く生かしてくださいます。ここに、私たちの命の糧があるのです。
<お祈り>
お祈りいたします。神様。イエス様が苦しい試みの時を経験されたことによって、あなたに知られていない「苦しみ」は一つもないということを、私たちに教えてくださり感謝いたします。何一つ、頼るべきものはないと感じるとき、最後にあなたの言葉があることを教えてください。主イエス・キリストのみ名によって。アーメン
当教会は、聖書 新共同訳を使用しています。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
今週のメッセージ