放浪歌(さすらいうた)

(一)湯煙の温泉

  山陽路の新幹線が止まる街の中にその温泉場はある。胃腸、肝臓、腎臓、精神病、皮膚病と総ての病気にききめがあるということが伝えられて、土曜、日曜ともなると遠方からわざわざ出かけてくる湯治客までいる。

 浴場は真ん中を仕切られて男女別々になっている。男湯の方は広い脱衣場から五、六メートル低い所にあるので、勾配のゆるい石の階段を降りなければならない。
 階段を降り切った所の右側に淡黄色の薬湯があり、その隣に、泡湯、電気湯と続き、その奥が蒸し風呂になっている。
 左側の方は広い湯槽で、場所によっては深さが違い、二十メートル位なら直線で泳げるような広さがある。
 この温泉場は大正の終り頃建造されたまま六十年の歳月を浴客と共に過して来たのだが、柱や天井を見ているとやっぱり総てが古いと思う。ただ浴槽と床だけは十年程前タイルに張り替えられている。

 この温泉場の最も特徴的なのは全体が昼でも薄暗いことである。近代的な温泉場は採光に工夫し、明るい雰囲気を出すのに相当の投資をしているのだが、昔ながらのこの温泉場は採光に投資する代り、広い温泉場の二階に九つの大小様々な部屋を作り、浴後の飲み喰いや唄、踊りなどで楽しめるような雰囲気作りに金を使っていた。
 この温泉場に絶えずかなりの浴客が来るのは、明るさや奇異で売出す温泉よりも、暗くても昔ながらの雰囲気を好む年配者達が多いからだった。

 工藤八郎はこの温泉場の浴場係である。浴場の掃除や湯加減の調節、湯治客の種々の注文の始末と、朝から夜まで結構忙しい。
 彼は禿げてはいないが頭髪をバリカンで刈り、坊主頭にして鉢巻を額の上で結んでいる。目が小さいのに眉が太く丸顔である。浴場にいる時は一年を通じて六尺褌だけの丸裸である。全体に胸や太鼓腹や尻の肉が厚いのだが、曲線的な丸みがあるのではなく、体が角張って見える。
 だから、ちょっと見には肥満体に見えないのだが、百六十ニセンチ、八十六キロという計測を知ると誰もが、やはりなあといった顔をするのだ。
 けれども太ももや腕は確かに太くて頑丈であるが、手首や足首などはぐっと締ってむしろ小さく見える。特に膝から下の足は太鼓腹や太ももが大きい分だけ小さくて、太鼓腹を反らして仁王立ちしている姿は、とても色気があって格好がいい。
     ◇
 私が彼のことを知ったのは二年前の一月だった。
 それまで五、六年間、月に二、三回の出会いで交遊を深めた広島の晋三君に誘われたのだ。
 彼はこう云った。

「いいでぶが六尺一本で背中を流してくれるんよのう。一回案内したるで」

 晋三君といっても、二十代や三十代の若さではなく今年還暦を迎えたので、その頃五十七、八歳で色の白いぽっちゃり肥った男である。彼は何時もは威勢のいい事ばかり云い、その身のこなしもとても五十歳代の男には見えぬ位軽いのだが、ざっくばらんな性格で特に私に向かっては包みかくさず何でも打ちあけた。

 彼が謡曲の先生で一週間に二度、女子高にお茶とお花を教えに行くことや、彼の奥さんが六歳も年下の男と浮気して離婚したことなど、ききもしないのに総て彼から知らされたことばかりだった。
 そして二、三度遊んだ後、彼はまるで食事のことを話すような振りで、こう云った。

「わしゃ、若あ頃は時々年寄りに入れたこともあったが、近頃はウケ一本槍よ。ウケいうんは、ほんまにええのう」

 晋三君が舌なめずりして、ほんまにええのうと言うと実感がこもって私の性器がぴくりと動くのだった。

 最初に彼と湯槽に首まで浸って工藤八郎を見た時、私はこんな立派な男が何故こんな温泉場で働いているのかと不思議に思った。工藤八郎程の風貌なら、たった今小学校の校長室に坐らせても、警察署長室に坐らせてもぴったり似合うと思った。
 そんな私の横腹をつつき乍ら、晋三君は口止めなしに私に語りかけた。彼は私のことを、たった五歳しか違わないのにおとうさんと言う。

「わしゃ、あんな体付きが好きじゃが、おとうさんはどう思う」

「うーん、いいなあ」

「あれだけの体をしとったら、そのうちすぐ誰かが連れていってしまやせんかのう」

「うーん、そうかもしれん」

「あの人は、もう六十歳は越えとろう思うが、おとうさんはどう思う」

「私より若いような気がするけど」

「じゃが、あの人はウケかのう、それともタチかいのう」

「ホモかどうか、まだ分りもせんのに……」

「そりゃ確かに分っとるんよ、あの親爺が来てからこの温泉場にはホモばあがくるようになった云うで……」

 晋三君はそっと周囲を見廻してから再び工藤八郎の方を見ながら続けた。

「私等のうしろの二人の爺さんも、今蒸し風呂に入った男も仲間でのう、あの人はおとうさんばかり見とった。今、蒸し風呂に入ったらおとうさんのこれはすぐ吸われる思うで」

「まさか。それにしてもおまえはほんとによう喋るなあ」

「そりゃのう、何時もだまって生活しとるけえ、その反動で口が軽うなるんよのう」

「それに、あんまりひっつくな」

「じゃが、あの三助の息子は太そうじゃのう。雁首の型がふんどしの上から、あがによう分る。あんとに入れられたら、ほんまよかろうのう……」

 晋三君は自分で云うように、平常は無口な男である。それが私と出会った途端おしゃべりになり、頗る助平になる。旅の恥はかき棄てというような心理になるのも事実のようだった。
     ◇
 それから現在迄、その温泉に何十回行ったか分らない程足を運んだ。晋三君と二人で行ったこともあるし、私一人の時もあった。そしてその時間も早朝の時、昼間、午後、夕刻、夜と様々な時間帯を使い分けた。
 その結果分ったことは、その温泉場が有名な男同士の発展場で、むし風呂の中では何時行っても大なり小なり体の交渉が出来ることだった。

 そして、そのような発展場に花をそえているのが工藤八郎さんだった。仲間の人達は彼の事を工藤さんとさん付けで呼んだ。
 晋三君が何時頃から彼と親しくなったのか定かでないが、多分昨年の春頃からではないかと思う。
 その頃、彼は私と出会っても以前のように喋らなくなり、この温泉にも二人ではあまり行きたがらなくなったのである。そして、たまに行く時は、工藤さんと交代で浴場係を勤める松さんという六十代のお爺さんの時に限られていた。

 この松さんも小肥りの優しそうな人で、晋三君は盛んに、「松さんは可愛いいのう。おとうさんは松さんを抱いてやれ」とけしかけたが、私は十分その気があり乍らそうすることを避けた。
 それは私の勘のようなものだったが、松さんは多分工藤さんの愛人に違いないと思ったからだった。

 その頃、晋三君が私に言ったことがある。あのおしゃべりで助平な彼が、ぽっと頬をそめて小さな声を出した。

「工藤さんは好きな男の前で、他人に気付かれないよう六尺ふんどしの脇からマラを出して見せるげなのう。とても大きいと評判なんよのう……」

「おまえも、それを見せられたんだろう」

 私はそう言ったけれど、晋三君が最初に工藤さんに抱かれたのはその頃でないかと思う。
 私にすれば恋仇である工藤さんだったが、彼の総てがあまりに男として立派過ぎた故か、工藤さんになら晋三君をやってもいいと思った。
 その上、私も又工藤さんにその立派なマラを見せつけられて、市内に一人で住んでいるアパートに行ったことがあるのだ。

 そのアパートは温泉場の近くの二階建てで、二階の東側部屋で六畳二間キッチン付きという小さな部屋だった。同じ人間と生れ六十歳にもなれば、庭付きの豪荘な家に住み妻子、孫達と安楽に暮している人もあれば、工藤さんのような孤独な人生を送る人もあるのだ。

 然し、どちらが幸せかと云えば、その人その人の考え方で一言で結論づけることは難しいと思う。それは、その小さなアパートにいる工藤さんが総理大臣などより貫禄も人相もずっと良かったし、その上彼の体が生きることの面白さの為、何時でも弾んで見えたからだった。

 私が初めて彼のアパートに招かれたのは、たぶん晋三君よりだいぶん後のことだと思うのだが、「こんな自分の恥になるようなことは誰にも話さないのですが、やはり時にはきいて貰いたい人が現れるものですね」と前置きして語り始めた。

     ◇
 彼の数奇な運命は生命の誕生の時から決定づけられて、現在迄続いていると云うのだ。
 工藤さんは彼の父親の八男として出生届けを出してあるが、ほんとは彼のお祖父さんが息子の嫁に手を出して生まれた子供だと云うのだ。
 そんないまわしい秘密を打ち明ける時でさえ彼は、生まれて来たことが嬉しくてたまらないといった表情で、こんな話し方をするのだ。

「私の父親は十二人の子福者ということになっていますが、その中の半分以上、たぶん八人は、お袋の体に入ったお祖父さんの精液から作られたようです。それも一番上と二番目の姉は、お祖父さんがはっきりと、俺の種じゃと云いましたから、お祖父さんが四十三歳の時、長男の妻となった十八歳の母を抱いたことになりますね。そして、一番末の妹はお祖父さんが七十五歳の時に生まれたのです。そして私は、お祖父さんが六十八歳の時四十三歳の母と交わって生れたのです。でも、生れてほんとによかったと思います」

「でも、そんなことがどうして分ります」

 私が真面目な顔で訊ねると、ふっふっふっと笑って云った。

「でもね、ここが一番大切な所ですが、私は生れて物心がついてからずっとお祖父さんの股の中で育ったようなものです。祖父の精液で作られた八人の子供は七人が皆女の子で、私一人が男だったので、祖父もほんとに可愛いかったと思います。だから四、五歳頃から十歳頃迄の記憶と云えば、皆祖父のことばかりです。何しろ布袋さんのように肥った人でしたから、股の中に入って胸や太鼓腹ばかり触りましたし、性器などもそしらぬ顔でよく握りました。そして、祖父が母を抱いている所など何度見たか分りませんよ」

「然し、その間工藤さんのおとうさんは気付かなかったのですか」

「ああ、やはり誰もそう思うでしょうね。父は薬売りだったんですよ。私の家は、ほら富山県で、一度出たら四、五ケ月は帰って来ないんですよ。でもね、父も大体気付いていたんではないかと思うんですが、今から思うと父は私と同じように男が好きだったんじゃないかと思います」

「ほんとにそう思いますか」

「私が現在、年配の肥満体が好きなことや、徹底したタチ役であることは、総て祖父と父の影響だと思います。今でも目を閉じると祖父の股に抱きこまれた感触や、少し煙草臭い祖父の精液の勾いがして、ああ生きるということは楽しいと思いますよ。父は父で誰にも喋らぬたのしみを心に秘めて死んで行ったと思いますよ」

 工藤さんはそんな父の過去がそうあって欲しいような素振をすると共に、そんな人倫にもとる人の子として生れたことが嬉しくてならないという顔をするのだ。

 にもかかわらず私は工藤さんにぐんぐんひかれて行った。然し彼は私が少し深入りすれば少しだけ後退し、私が逃げれば少しだけ彼の方から追いかけ、何時でもある距離をおいての交際いに終始した。
     ◇
 私の勘の通り工藤さんは現在松さんを最も愛していたが、晋三君のように深く惚れて近寄れば抱いて愛してやったし、その浴場には工藤さん目当てで来る老人がたくさんいたので、気に入った男には自分の性器を六尺ふんどしから出して触らせたり舐めさせたりするようだった。

 然し、私は私で長く交際っている晋三君があまりあけすけに工藤さんのことを、愛人のように吹聴するといい気はしなかった。私に対する彼の心の傾け方がなおざりになるし、美しい花には刺があるの諺どおり、工藤さんのような立派な男に深入りすればする程、晋三君が後で泣くような気がした。

 私と晋三君も、工藤さんに出会ってから松さんも含めて、何時でも胸のもやもやがとれないような複雑な気持をもて余す日々が続いた。

「放浪歌」(二)につづく