川棚温泉物語4-2へ
川棚温泉物語  

 妻子を捨てて温泉旅館の主人の元へ出奔して来た私は
 ただひたすら男たちへの恋情と色情に溺れ込んでいるのだった・・・。

(1)三人の肥満体を見せつけられて

 年末から正月にかけて、秀明館は宿泊客でごった返した。特にその年は寒かったので、寒さを避けて温泉宿で正月を過す客で満室となり、新規に宿泊を申し込む人々を断わらねばならなかった。
 私は朝から夜おそく迄、宿泊客の按摩に追われて疲れ果て、部屋にいるときは何時でも眠って過すという有様だった。六十二歳という年令では無理がきかなかった。彦太郎も勿論、客の応待に追われ私を顧みる暇がない程だった。

 然し、私は按摩という仕事柄、他人の裸体を見て欲情をそそられる機会が多かった。特に秀明館のような温泉旅館には、一家そろった親子づれの客もいるにはいたが、その大半は男女関係の客が多かった。ある時私は三十五、六歳の女の腰を揉み乍ら、その女の執拗な誘惑に負け、私のものを吸われたこともあったし、女と一緒に寝ていながら自分の股間のものを揉ませる男に出会ったこともあった。

 どの人もひどく淫らで好色だったけれど、私はその人々よりももっともっと好色だった。表面ではセックスのことなんか遠い昔に卒業しましたという素振りをしていたけれど、私は何時でも刺激が欲しいと思っていた。そして私の対象は女ではなく、あくまで男だった。男の中でも五十五、六歳から上の年令で、でっぷり肥った男だけが欲しかった。

 温泉宿で私を呼ぶ客の中にはそんな男もたまにはいたが、大抵の場合若い女連れだった。一目でそれとわかる不倫の間柄だったが、それ故にそんな男達は申し合わせたように、標準よりも肥っており金廻りもよく、その上精力も並外れて強そうだった。そして、彼等は温泉地故に総てにあけすけで、私の前で真裸になり、力に漲ったものを見せつけ、更に女と交わり乍ら私に腰を揉ませたりした。

 私はそんな男を何時でも探していたし、少しでも気に入った男を見ると私のものが勃ち上るのを押さえる事が出来なかった。そんな日は一日中頭が重く、腰にはどす黒い澱のような物が溜って気分がすぐれなかった。
 その上、彦太郎はどうしたことか年末年始の忙しさを理由に私の部屋に来ることが遠ざかっていた。私はもう二週間近くも彦太郎に抱かれていなかったので、満たされぬ日々のくり返しの中で、何時でも彦太郎に抱いて貰いたいと思って過していた。

 彦太郎から電話で呼び出しがあったのは、松の内を過ぎ、仕事が楽になってからだった。

「五郎かい、岡山の先生がみえとる。例の三階の部屋に来ないか」

 彦太郎は、受話器を通してそう呼びかけた。
 岡山の先生ときいただけで、私の体の細胞が活発に動きだしたようだった。重い性欲をひきずってどす黒く滞った私の血が、久しぶりに体中を循環しかけ廻り始めた。

 私の体をそれ程夢中にさせたその人は、岡山市で開業医をしている六十歳の肥満体で、私の本理想の男である。四、五年前彦太郎に紹介されて彼に抱かれたのが最初だった。彦太郎は、私の体が受身としてあまりにいいので、他人に自慢したくて貸してやったと言うのだが、過去にそういう理由で抱かれた男は七、八人は下らない。

 その中には、博多の六十二歳になる人形師や、大阪の柔道六段の五十二歳の男等がおり、どの人も一様にでっぷり肥って立派な股間のものを勃起させて私を抱き、受身の私を泣かせて去った忘れ難いタチ役の男達だったが、その中でも岡山の先生は一際巨大な一物を私のバックに埋めこみ、あまりの快感に私を号泣させた男だった。

 私は彼が去った後も、どうしても忘れることが出来なかった。彦太郎は、納得して私を抱かせておき乍ら、岡山の先生とはこれ以上深入りするなと凄い形相で命令したのだ。私は、その頃彼のそんな発想が気に入らなかったし、彼の浮気等で悩んでいた時だったので、たった一度の交合で岡山の先生のとりこになってしまったのだ。
 私は色々悩んだ末、先生と今後会えないのならこの秀明館を出て行くと彦太郎に宣言したのだ。すると、私のあまりにも真剣な態度に屈して、三ヶ月に一度位なら彼に抱いて貰ってもいいと許してくれたのである。

 私は天にも昇り度い気持だった。それから二十回近くも岡山の先生に抱かれ、抱かれる度に、彼の肥満体と巨根に馴染み、彼のことをおいては私の人生はあり得ないとまで思い始めていた。
 私は表面的には、この世界で彦太郎の女だったけれど、心の奥では先生のことを深く愛していたし、仕事が済んだふとした瞬間や、布団に入って眠る前のほんのひととき、彼の体や巨根を懐かしく思い出して、茫然としていることが多かった。そんなに私にとってかけがえのない人だったが、私は彼の本名も知らぬまま、何となく岡山の先生と呼んでいた。

 その岡山の先生が、三階の例の部屋に来ているという。彼が来ると、彦太郎は何時でもそのような言葉で私を呼びつけ、その後は例の部屋で先生と二人きりで思い切り淫らに過していたので、彼に抱かれる期待感に震え乍ら、三階の八畳間に駆けつけた。
 けれども、ドアを開けてそこに見たものは、私の想像や期待を見事に裏切ったショッキングな風景だった。

   ◇ 

 その部屋には三人の男がいた。どの人もよく肥って、六十歳前後の恰幅のよい男ばかりが褌一つの裸で、八畳の間に腰をおろして入って来た私をじっと見つめた。
 それまでは、岡山の先生が私を抱きに来た時は、彼一人の部屋に入って便所と食事以外の時は、かた時も離れないように抱かれて過していたので、私は一瞬、部屋を間違えたのではないかと思った。その三人の体が同じ様に肥って裸だったので、岡山の先生がどの人なのか、とっさに判断出来なかった。

 よく見ると三人共座っていたと思ったのに、三人は夫々の姿勢を保ったまま私の来る事を待っていた様な表情をしているのに気付いたのである。
 冷静になった私の目に真先にとび込んだのは、真中で仁王立ちした岡山の先生の股間に、腰をひくくしたユーサクの頭が擦りついている姿だった。
 岡山の先生は体の斜め前面を私に見せ両足を踏ん張って股の中にユーサクを引き入れ、上体をぐっと反らせていた。

 先生のことはさておいて、私はユーサクがそんな行動をとっていることが許せなかったし、理解すら出来なかった。
 小学校の校長を十年近くもやって来た彼は、定年後この世界を知り、最初に大将に抱かれ乍らあまりにも堅い体故に、並外れた大将の巨根を受入れられず、その後彦太郎と同業者の紅葉荘の卓三に女にされ、殆ど卓三に囲われたような生活を送り乍ら、時々下関のパパやその他二、三人のタチ役の男達に抱かれていたのだ。それは私とよく似た生活だった。然し、特定の男を持ち乍ら私の最も大切な岡山の先生にちょっかいを出しているのだ。

 私はユーサクのような好色な男が、一度岡山の先生に抱かれたら、一気にのめりこんで離れることが出来なくなるだろうと思った。それは、私から先生を盗むことになるのだ。 私は激しい嫉妬にかられ、まじまじと二人の動作を見ていた。ユーサクが先生のものを完全に根元迄含んで様々な愛撫をしているらしく、先生の顔が私の最も好きな特徴的な顔になっている。

 彼は三ヶ月振りに出会うと、二人だけのこの部屋で自分の巨根を吸わせたり、それを私のバックに根元迄挿入したりして、ゆっくり腰を使い乍ら例の特長的な顔で私を見つめるのだ。
 下ぶくれの色白の顔の中の頬や額の一部をほんのりとピンクに染め、部厚い唇を真一文字に結び、目尻を逆八の字に吊りあげ、私を見つめる瞳を潤ませるのだ。この表情をする時、彼の巨根は目一杯に固くなりそれ程腰の動きを加えなくとも、私の直腸や前立腺を強く刺激し、どんどん私を快感の高みに追い上げて、受身のよろこびに泣かせるのだ。

 その上、先生は顔や体が私の本理想なのだ。私に斜め前を見せた彼の体は、色白で上品であるにもかかわらず男性的な魅カに溢れている。
 太い胸から続いた部厚い胸、ぱあんと球状にふくれた太鼓腹、それに続く二本の足、そのどれをとっても私にはかけがえのない御馳走だった。彼の体はそのどれもが太いというのではなく締まる所はきちんと締まっているのだ。
 たとえば私の両手では廻り切れない程ふくれた太鼓腹は、陰茎に続くその遥か上方でぐっとくびれて内部に切れ込んでいるのだ。その景色が何とも表現出来ない程の男の魅力に溢れている。

 そんな彼の股間のものは、私が死ぬ程惚れただけあって、頗る巨大で誰よりもメリハリのついたものなのだ。
 それをユーサクが根元迄飲みこみ、先生は例の特徴的な表情をして私を静かに見つめている。それは静かなる故一際男臭さをふりまいている様だった。
 何気なく左の方に視線を移すと、そこにあぐらをかいた彦太郎が越中褌一つの裸体で、二人の動作をじっと見ており、時々、無遠慮に入って来た私をなじる様な目をして、睨むのだった。

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