体験実記 サンフランシスコの男 
 
---プリーズ キャンセル フライト--- 
                 不倒翁 甚平   
(三)カストロの年配者たち

 ジョンの住んでいる家は、カストロストリートを通り過ぎてから右折して五、六百メートル程行った所にあった。しゃれた二階建てだった。彼は合い鍵で玄関のドアーを開けると、私をうながして一階の次の間に招き入れた。

「何も心配することはありません。野口さんは何時でも二階にいます。そして私が外から帰った時は何時でもおとうさんの所にちょっとだけ行くことになっているのです。だから貴方は、このソファーでゆっくりしていて下さい」

 ジョンはそれだけ言って二階に上って行った。彼が部屋からいなくなった後、私は改めてその部屋のたたずまいを観察した。その部屋は、日本間にすれば八畳程の広さだった。真中の四メートル四方に厚い中国絨毬が敷きつめてあり、それを取りかこむようにベッド兼用の幅広いソファーが片方にあり、その反対側には豪華なチェアが二脚あった。右手の壁に八号の抽象画があり、その向う側の棚に古めかしい置物がある。その置物は、浅く椅子に腰掛けた老人の股間に腰を沈めて完全につながった、男色の陶製の珍しいものだった。

 それは高さ二十センチ、幅三十センチ程のかなり大きなもので、余程男色に関して詳しい芸術家の手になったものらしく、椅子に浅くかけて太鼓腹をせり出している老人も、前向きに尻をおとして能動者の口を吸っている老人も、その快楽の表情がずばぬけており、何時まで見ていても見飽きることのない物だった。

 よく注意して見ると、その類の置物や小物がテーブルの上や壁に上手にさりげなく飾ってあった。普通の日本の家ならば、たとえ同性愛者の家でも、玄関のすぐ隣の部屋、それは時には応接室にも早変りする部屋なのだが、そんな場所にこんな淫らな装飾品を置くなどということは、全く考えられないことだった。

 所がこのカストロ附近は、その家の応接室に堂々とそんなみだらな物を陳列して、少しもおかしくない場所らしかった。それも、そんな男色的な置物を見馴れない私の心をひどくかきまぜるような代物を、恥し気もなく公開しても、少しも奇異の感を抱かせないような土地なのだった。私は、この家に来る道すがらジョンが話してくれた、様々な刺激的な話題を思い出していた。

 ジョンはカストロストリートを過ぎると右折して、二、三分も歩くと、急に住宅地になり、そのとっつきの右側に建っているアパートを指さして、このように説明した。

「あのアパートは、世界中から集った男色家のシングルのネグラです」

 彼は、ホモとか独身というような日本人的な単語は一切使わず、男色とかネグラなどと言うかと思えば、独身のことをシングルと言ったりした。そして、男色、世界中等と話す時は、生まれた時から六十五年間もずっと日本だけで過しましたという程日本的な発音をしたが、アパートとかシングルという片仮名の言葉を喋る時は完全なアメリカ人に早変わりして、シングルというのが「センクウ」ときこえたりした。

「ここからが、男色者同士が同棲している家々になります」

 ジョンがそう言った最初の家の前で、上半身裸の若い男が、庭の草花に水を撒いている姿が見えた。するとジョンはすかさず若者から目をそむけてこう言った。

「あの人の奥さんは六十八歳のかくしゃくとした肥満体のいい男ですが、あの若者の云うことは何でもきくといいますよ。もう少しするとそのおとうさんも出てくるのですがねえ、野口さんがそのおとうさんに惚れているので、少し淋しいです」

 又十メートル位歩くと平屋だが、住む人が余程几張面な性格らしく庭を美しく手入れした家の前に、七十五、六歳の老人が立っているのが見えた。顔は若々しく、でっぷりした太鼓腹をつき出していたが、パンツから見える足は如何にも老人らしく小さかった。ジョンは、その人のことをこう言った。

「あの人の乳首はあまりに吸われ過ぎて、ぶどうのように大きいのです。前を通る時よく見たら分ります。それに股間の盛り上りが凄いでしょう。それもその筈、あの人は六十歳前後の肥満体の男を二人も妻に持って暮しています。不思議ですね、あの人達三人はもう二十年近くも一緒に仲良く暮しているというのです。人間は外観だけでは分りませんね。あの人はあまり強そうには見えませんが、とても大きな性器を持っているそうです。このカストロでも有名です。だから二人の妻が片時も離れないのだといいます。男色とは、そんなものかも知れませんね。でもね、私ならあんな人より私のおとうさんである野口さんの方がずっと好きです」

 又、二十メートル程歩くと二階家があり、その前庭に五十歳を少し出たばかりの肥満体の男が上半身裸で立っているのが見えた。するとジョンは私の耳に口をよせて訊ねた。

「あんな男が好きではありませんか」

 私は、ジョンの顔を見て頷いた。その男はジョンの体の上から、もう一回だけ男くささという薬品をふりかけたような素晴らしい男だった。それにしても、ほんの一時間前に出会っただけなのに、私の性向がよく分るものだと私は内心どきりとした。ジョンは、そんな私の気持を知ってか知らずか、早口でこんなことを言った。

「あの男は、私の街の世界では最もモテるタイプなんです。既にお気付きのこととは思いますが、カストロストリートには若者しかいなかったでしょう。でもね、若者も何年か経てば老人になりますし、老人になってから同性愛でなくなるということは考えられませんね。要するにカストロはフケ専の街なんですよ。フケ専もデブ専も、カストロには一杯いるということです。
 どうです、あの人の股間のふくらみ。あれこそ私達の最愛の理想ですね。あの人の奥さんは二年前でっぷり太った六十年配の人が来たのですが、二年間あの人に抱かれて精力を吸いとられて、今ではすっかり痩せてしまいました。それでもあの人はとても真面目な人ですから求婚者が一杯いますよ………。でも私のうちの野口のおとうさんの方がずっといいですよ」

 私はそんなジョンの話をきき乍ら、それらの男達をじっくり観察した。顔のよしあし、体の肥満度、年齢、それに最も大切な股間のふくらみ等を瞬時にして頭の中に焼きつけるのだ。その人達は、どの人も私にとって素晴らしい男達だった。如何にも熟して美味しそうだった。私は同じ肥満体でも固太りで、出る所はぼってりと突き出している代り、例えば足首とか太鼓腹と性器の間のへこみ等には、余分な肉がないことが望まれた。

 カストロ地区に住む老人達は、そんな私の厳しい条件を殆どの人が備えているようだった。そして例えばサンフランシスコの海岸通りやダウンタウンの片隅で、何か世の中の総てにすねて、老人特有のあせりとかあきらめを外部にさらけ出し、背を丸めてみすぼらしく歩く老人達とは明らかに異った水々しい色気に溢れて、私をとりこにするのだった。

 男が八十歳になって六十歳の男を抱けば、その快感の度合いは若者よりも何倍も激しかろうし、肥満体の六十歳同士の情交は、若者とは比較にならない情緒の積み重ねによって、体中の全細胞が最大限に開花して、此の世のものとは思われぬ快感に歓喜の深みにどこまでも落ちていくだろうと思った。ダウンタウンを背を丸めて歩く汚い男達が、鼻水をすすり乍ら、エイズになるよりかずっとましですよと言うならば、私はエイズになって死ぬ男の過去の瑞々しい快感にこそ、涙して祝福を送りたい気がする。

 元来、年配の肥満体にのみ情欲を感じる私は、その相手がいくら美しかろうとも、どんなに肥った男でも、ただ若いというその理由だけで、どうしても合体することが出来ないのだ。私は少々皺があろう共、老人のあの年期の入った少し汚れた顔が好きだし、性器などきれいなものより、よく使いこまれて黒光りしている程の老人のものが、最も好きである。

 ジョンは、この街に住む男達のことを一人一人説明した後、必ずこう言った。

「それでも、うちの野口のおとうさんのほうがずっと好きなんです」

 私は、それをきく度ジョンに惚れられて同棲している野口さんという男は、いったいどんな男なのかと思った。羨ましくもあった。ジョンが二階に上ってから二十分以上にもなるのに、まだ部屋に帰ってこない。それに耳をすますと、先程から動物の唸り声に似た気配がきこえる。それはどうやら二階からきこえてくるような気がした。私は待ち侘びたことと好色な期待感から、このまま二階に上って行ってもジョンからは何の叱責も受けないだろうと思った。

 私は足音を忍ばせて階段を登った。階段を登るにつれ唸り声が少しづつ大きくなった。登り切った所に部屋のドアーがあり、一センチ程の大きさの鍵穴があった。私はそれに目を近付けて中を覗いた。正面に窓がありその分少し低い右側にベッドの端があり、ベッドの端に四本の足が見えた。ああ、ジョンが野口さんと寝ているのだと思った。私はもっと上の方まで見たいと思ったが、如何に努力しても足から上の方は見えなかった。私は、何の気なしに右目から左目に代えて、再び部屋の中を覗いた。

 すると、野口さんらしい肥った男の両足の中に入ってその巨大な性器を頬張っているジョンの口が見えた。ジョンのあの形のいい唇が最大限にひらいて唇の内側の赤い粘膜が、私の手首程のものをすっぽりとくわえていた。恐らく先程はジョンの喉を擦っている筈だったが、野口さんの大きなものはジョンの口よりまだ一握り程外にあり、それはジョンの顔色が白い故か殆ど真黒くみえた。ジョンの背中が丸くなり太鼓腹が野口さんの足でからめられ、太い両足を大きく開いたその奥にジョンの性器の先端だけが見えた。

 私の性器がこちこちに固くなり、既に先走りの液がたらたらと流れていた。じっと見つめる私の耳に野口さんのものらしい呻き声が、規則的に重々しく然も静かに、うーうーうーときこえた。多分、そのままノックしてドアーを押せばドアーは開き、私も中に入って素晴らしい男達と恋の甘酒を飲むことが出来るような気がした。けれども私の日本人的な理性がその行動を思い止まらせ、私は後髪をひかれるような想いで、音のしないよう充分注意して、階段を降りたのである。

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