カムチャッカ半島 行き当たりばったり旅行
参加人員:10名
行程: 名古屋空港(全日空)→ 新潟空港(ウラジオストック航空) →ウラジオストック
     ウラジオストック(ウラジオストック航空)→ペトロパブロフスクーカムチャッキー

カムチャッカ旅行記

2003年8月26日、 六日間の短い ロシア、カムチャッカ半島の旅を終えて帰って
きた。 
あくる日に、 公民館の職員が インタビューをしたいといって現れた。

「“こだわり“ということをテーマに記事を作ろうとしていますが、 安藤さんはピースボ
ートで世界を廻られたりしていますが 旅行の話をしていただけませんか?」

「確かに 旅行が好きで 仕事はきらいですが(笑)・・・実は昨日、カムチャッカから
ってきたばかりなんですよ。」と答えた。

「カムチャッカ??? どこにあるんですか?そこは・・・・」というわけで公民館の職員
は身を乗り出して 未知の世界の話を聞き入ってくれた。

カムチャッカ半島を地図で見ると、北海道 根室近くの海上から切れてしまったネックレ
スのように、クナシリ、エトロフ・・・と千島列島がカムチャッカ半島に至る。更に 切れ
たネックレスは アリューシャン列島となって アラスカ半島に緩やかなカーブを描いてい
る。

日本列島がすっぽりと入ってしまう大きさのカムチャッカ半島は 数千の大小河川が流れ、
120もの火山があるという。

もっとも高いクリュチェフスカ山は4850m 今なお活動中の火山は30余り、環太平洋
火山帯の一部になる。


温泉も多く 富士山のような成層火山が多いため 日本の風景に似てはいるが、気候は大変
厳しく 一年の内半年は冬、永久凍土に被われたいまだ、秘境の地である。

あらかた 旅の話をして 「ちょっと待って! この話 広報に載せるんですよねえ、
は、 義母は 北海道旅行をしたと思っているの・・・」と私は声の調子を上げた。

 主人が旅行の準備をしているときに、
ヤッケを見た義母は 「北海道に行くんか?」と聞いたそうで
「ウ、ウン・・・」と生返事をしたというわけだ。 84歳の母と犬2匹、少しでも心配を
かけないようにという気持ちから 主人は 「ウ、ウン・・・」となったわけだ。

広報が配られれば 当然義母も目にする。

職員は「まずいですよねえ・・・・」と私の顔色を上目使いで見た。

「実は私、 ピースボートで104日間の旅行に出かける時、“ちょっと行ってきます”と
義母に言ったんです。(笑)・・・・・ 今回の旅も ばれたら、 北海道は行ったんだけ
どもぅちょっと足を伸ばしたの・・・なんて言ってみようかしら!」と私は言い放った。

職員は「本当にいいんですか?」

・・・・というわけで 一ヵ月後には 「北海道」は実は「カムチャッカ」であったことが

判明する。 次の旅行は はて、何と言い訳をしたらいいものか・・・・

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2002年5月3日から 8月13日まで NGOの団体、ピースボートの企画の船旅に

出た。
最終の寄港地が ペトロパブロフスク・カムチャッカであった。 

22カ国も寄港した中には 印象深い国は数あったが、

次の二つの出来事で カムチャッカは 私の中で特別なところになった。

 

まず、一つ目。

 たった二日間の滞在の中で、 初日には 3時間ほど 軍の払い下げジープで悪路を走り

、ビストラヤ川にラフティングと 釣りに出かけた。

うっそうとしたブッシュの中に張られたテントの中で食べたオショロコマのスープは 

洗面器のような大きなホーロウの器に入っていた。


小雨が降って肌寒い天気だった。 ハーブのよく効いたスープは薄味でとても美味しく、
冷えた体が 芯から温まった。

4時間ほどかけて 中洲に上陸して釣ったりしながら 川を下っていったが、

4,50センチのオショロコマやニジマスを次々と仲間が釣り上げるのに 私は一匹も

釣れなかった。


「ジープが迎えに来ました、竿を片付けてください!」とインストラクターが大声をあげた。

直後、「一匹ぐらい 釣れてもいいのに・・・・」と投げた竿は 急に重くなって弓のよう
になった。

なんと、35センチほどの 美しい斑点で着飾ったニジマスが釣れたのだ。

あの時、「人生 最後まで どんなことも諦めてはいけない!」と初めての釣り体験の中で
思った。

 

 雲が切れると 真っ白に雪化粧をした山々が清清しく現れ、石ころまで見透せる澄んだ川

の水に見入ったり、リールを巻くのに疲れると ゴムボートの揺れに身を任せたり、
至福の

時を味わった。

 

渓流釣りの大好きな主人に長い間 留守番をさせて、私がいい思いをしていることにこの

時ばかりは罪悪感を感じた。

 

カムチャッカでの もう一つ 印象的な出来事。

 

2日目、カムチャッカを発つ日は 帰船リミットが午後1時であった。

持っていた現地通貨、ルーブルはたった380ルーブル。

日本円にして1500円足らず、残らず使って タクシーで郊外に出て行きたかった。

 

前日の雪山や、楚々とした花たちに逢いたかった。

購入していたポストカードを手に朝食もとらないで、早朝7時に 船で出来た友達と二人、

オリビア号を飛び出した。

 

親切なタクシードライバーを見つけようと レーニン広場まで行った。

極東の地、カムチャッカには アバチャ湾を見つめるように レーニン像が立っていた。

 

 もう数日で日本に到着、救急絆創膏やカップラーメン、学用品、折り紙など、もはや必要で

ないものをリュックサックに詰めていた。

ルーブルの足らないところを 現物で・・・という私の作戦であった。

 

私のロシア語は 船の中のロシア語講座でにわかに習った怪しいロシア語。

「山が見たい! 花が見たい!」というには ポストカードを見せるのが 手っ取り早い。

 

何度も手をあげたが 一向にタクシーは止まってくれない。

お腹もすいて 諦めかけたとき、 やっと一台が止まった。時間は8時半になっていた。

封筒ごと 彼に渡して これだけしか持ち合わせがないことを 身振り手振りで伝えると、

封筒の中身を確認せず、彼は「乗っていいよ!」という仕草をした。

     ・・・いくら入っているかも見ないで・・・・きっとこの人はいい人だ・・・・

      

ポストカード作戦で 「この富士山のような山が見たい!」というと

「昼までは 晴れては来ない、一時までに山や花を見て廻るのは無理だ!」と

ロシア語と英語の単語を探しながら 彼は言った。

 

それでも 街を抜けて峠まで行ってくれた。

アバチャ湾の向こうには 微かに富士山のようなシルエットが墨絵のように見えていた。

スモーキーな風景を前に ドライバーは「・・・だろう」という顔をした。

空かさず私は、思いっきり頬を膨らませて 「フー!フウ!」とガスを追い払う仕草をした。

友達も ドライバーも一緒になって 「フー!フウ!」とやって 皆で笑った。

そんなことから 彼は 12時まで わがままな私に付き合うことになった。

    ・・・・旅の思い出って 景色もさることながら このような人との触れ合いが

いつまでも心に残り その土地の価値を一段とアップさせるのではないだろうか。


あの親切なドライバーにもう一度会ってお礼が言いたい・・・

 

この思いは 今回の旅で 達せられた。

しかし、数日後には 彼は アラスカ、アンカレッジの缶詰工場に出稼ぎに行くとのことで

私たちの旅行を ナナカマドの色づく頃に合わせていたら 会えなかったことになる。

 

長いプロローグとなったが

そろそろ 今回のカムチャッカの旅に入っていきたい。