8月26日

 

 カムチャッカを発つ朝は、四日間の内で最高の日和となった。

迎えに来たバスの運転手は 一昨日までの太った陽気な運転手だった。 

気心も知れてきていて、Aさんとは おかしなロシア語で会話がはずんでいた。

 

透明な青空に コーリャック山とアバチャ山が品良く並び くっきりと緩やかなカーブの裾野を

惜しげもなく見せてくれていた。

 

 パーシャは 9月24日に日本語の勉強に北浦和に6ヶ月間

留学することになっているようだ。 自費か?と聞いたら 日本の民間団体の招待留学らしい、 

水面下で橋渡しの労力を惜しまない人達がいるのだ・・・・

そんなことを聞いていたので すぐまた、日本で会えそうな気がして お世話になった割には

しんみりとはならず、空港で荷物を預ける手続きが終わると 「パカー{さようなら}」

「またね!」と言い合った。

 

 ところが それから大変なことになった。

ボディーチェックを通過して 私たちのチケットを差し出し 座席券をもらおうと並んだ。

私が一番に並んだ。 太った女性の係りは 座席券をくれると 残りのウラジオストックから 

関空分の私のチケットを戻してくれなかった。 

驚いて、チケットを置いたテーブルを指差し 「返してほしい!」と言うと、

「ノー!!」何度言おうと 「ノー!」

そのくせ、主人以下、メンバーの残りのチケットは素直に返している・・・

パーシャが まだその辺に居そうで キョロキョロ!  ・・・・・居ない・・・・・

どうしよう・・・・・

 

通関の折り、 近畿日本ツーリストの添乗員と話す機会があった。

彼女の連れていたグループの中には 

「たった二日のために こんなに遠いところにはるばる来たのに 釣りに行っても

ビニールしか釣れんで、まったく つまらん・・・」と言っていた人が居た。

添乗員を見つけて 事情を話そう・・・・

 

彼女は「日本人のコケンにかかわる問題です、頑張ってみます!」と言って

愛想のない 太ったおばさんのところに一緒に行ってくれた。

添乗員は 英語、ロシア語をまじえて チケットを返してくれるように言ってくれたのだが

表情も変えずに、「ノー!」

私のメンバーのHさんは 「そんなの持ってちゃえばいいのよ!」と 私のチケットを

そのおばさんから奪い取った。

釈然としないまま、そのチケットを持って、 待合室でコーリャック山とアバチャ山を

眺めていると また、添乗員がそばに来て、

「チケットのことですが まだ、問題があるようです、私がもう一度行ってきます」と

言ってくれた。

彼女に任せていては申し訳ないとチケットを持って 私も行った。

 

責任者の部屋のようなところには 先ほどの無表情な係りの女性も居た。

添乗員と 居合わせていた数名が お互いの言い分をしばらく言い合っていた。

なぜだか急に 向こう側が誤りだして 

「わけが解からないけど もう、いいみたいよ」ということになった。

無表情な女性は 相変わらずの態度ではあったが・・・・

添乗員は板野清美さんといい 大阪の方だった。

彼女が居なかったら どうなっていたのか・・・・

 

長々と旅日記を書いてきたが 大地の守護神からの認定状が

カムチャッカの魅力を端的に言い表している。

守護神が言うように この旅でいただいた証明書が これからの人生の

“護符”となってくれたらいいなあ・・・・

 

ウラジオストック 径由 大阪(関空)へ カムチャッカ空港から見たコーリャク山
帰路飛行機から見たアパチャ湾とコーリャク山  帰路大阪関空へ

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「カムチャッカ探検記」を書いた岡田昇さんは

カムチャッカを“水と火と風の大地”と言い、あとがきの中に

“なんであれ、旅に憑かれたものは、その場に到達した瞬間に自己の存在を失ってしまうものだ。

ところが不思議なもので、一方が遠ざかると同時に次の新たな旅を夢想するから始末に負えない

過酷で危険でさんざん手痛い目に遭って、もうこりごりだと感じていてさえ、のど元過ぎれ

ばなんとやらで、好奇心というヤツは、ひとを試すようにやって来る。」   と書いている。

まったく、“好奇心”というヤツは・・・・・・・

 

                              おわり