8月25日
川くだりの件はパーシャに 現地手配で頼んでおいたにもかかわらず、土日がかかってしまった
せいかライセンス許可が 中々下りない。
一年前の経験からしても 早く出発しないと 現地に到着が昼過ぎになってしまう・・・・
現地手配だと 日本から予約するよりも約50%安い。
けれども こうして出発も出来ない状態を考慮すると “時は金なり”かもしれない。
ロビーから何度も電話を掛けていたパーシャは やっと出発の合図をした。
外に待っていたバスは フロントガラスが割れていて 後ろのガラスも割れていた。
昨年の川下りツアーの折は 20人乗りの軍の払い下げジープという感じだったが
このぼろバス、大丈夫かなあ・・・・
おまけに 昨日までの陽気な運転手と違って むっつりとしていて助手席に若い女性を乗せていた。
見慣れたコーリャック山を右に見ながら 目指すはビストラヤ川。 また、エリツボ方面に向かった。
途中で、バスは停車、パーシャが何かを受け取っている・・・
ライセンスだった。パーシャの所属する会社の職員が 途中で待ち伏せをしていたのだ。
道はどんどん悪路になっていき、振動で割れたフロントガラスがどうなっていくのか 気になってしょうがない。
Aさんは途中で座席から立ってしまった。 巨体のお腹が上下、左右運動で辛いらしい。
ふと見ると Aさんのズボンが振動で半ば脱げてしまっていた。
涙をだして 皆で笑った。
本道から反れて 鬱蒼たるブッシュの中にバスは入っていった。
・・・・一年前にも こんなワイルドな道を入って行ったっけ・・・・と
必死に前の座席の頭を掴んでいると 運転手は道を間違えたと言うではないか!
内臓がねじれる思いで 本線に戻り、再びブッシュの中へ・・・・
ブッシュが開けたところにビストラヤ川が見えた。 テントを張った、森のレストランにやっと到着。
カムチャッカから 約160キロ、時間は13時をまわっていた。
エリツボ辺りまでは 天気もよかったが 奥地に入るほど 時折雨も降ってきていた。
前回の釣りのときと よく似た天候になった。
早速、昼食。 黒パンと実だくさんのポルシチスープとロールキャベツ、
どう見てもハンバーグだったが パーシャは こういうロールキャベツもあると言った。
ラフティング乗り場に着いた10名のメンバー | 川を下りながら、つりを楽しむ |
救命胴衣を着けて しばらくの間、フライフィッシングの練習。
2艘のゴムボートに乗って いよいよ川を下っていくことになった。
ビストラヤ川というのは ロシア語で{流れの速い川}という意味で
来る途中に分水嶺もあり すでにこの川の流れは オホーツク海側であろうか?
25キロを4時間ぐらいかけて 途中、瀬に上陸したりしながら下って行くわけだ。
同船したSさんの奥さんは15センチ級を何度も釣った。
私も主人もさっぱり・・・・
途中の瀬では パーシャが恐ろしく大きな紅鮭を釣ったが インストラクターの補助の
タイミングが合わずに 逃がしてしまった。
辺りには 60センチ以上はありそうな 紅鮭が散乱していた。
ヒグマが捕らえて食べ散らかした跡であった。 彼らにとって 頭や皮は美味しくないようだ。
そのうちに二人とも疑似餌が切れてなくなってしまった。
インストラクターの持っている予備はすでになく 釣りは諦めて小さな無人島?に上陸したり
雲の切れ間から見える美しい山を眺めたりして下っていった。
前回の 最後の最後に釣り上げる感動は残念ながら 味わうことが出来なかった。
Aさんはオショロコマの35センチ級を一匹釣り上げていた。
薄暗くなった本線をしばらく戻り、キャンプ場の中に入っていき 温泉に向かった。
スノコの道が橋の左右にあり 堰きとめられた大小のプールのようになっていた。
水着に着替えるのは バスの中、 川で冷え切った体を温めるにはもってこいだ。
ぬるいのから 熱すぎて入ることも出来ないところまであり、
川の石で堰きとめて自分の好きな温度に調節できる 本当にナチュラルな温泉だ。
すでに 運転手は温泉に浸かっていた。助手席の女性は娘さんらしい。
温泉イベントのために連れてきていたのだ。
バスに鍵もかけずに いたらしく、パーシャは留守番役にまわっていた。
川を掘った温泉でロシアの人たちがくつろいでいた | メンバーも早速川に湯船をこしらえくつろぐ。 |
真っ暗になってしまった道をエリツボまで戻り、パーシャのお勧めのログハウス、
レストラン「狐の穴」に着いた。 なるほど・・・ カムチャッカで生息している鳥が
剥製となって 天井のあちらこちらに飾ってあり、照明も落ち着いていて
なかなかいい雰囲気だった。 予約した席の奥では アメリカかオーストラリアかのグループが
盛り上がっていた。
Aさんのオショロコマを早速調理していただくことになった。
パーシャも 運転手が娘を連れてくるとは思っていないため 運転手の一席を娘に譲っていた。
旅の最後の晩餐が始まった。
慣れ親しんできた カムチャッカビールで 乾杯をした。
Aさんは相変わらず、焼酎党で すでに2升を飲み干してしまい ウオッカに代わっていた。
サラダは “花嫁”と名づけられていた。 白いベールのように 糸状のチーズの下に
ビーツやトマトがぎっしりと入っていた。
“花婿”もあるのだそうだ。
焼きあがった Aさんの釣った一匹の魚がみんなの席を回った頃に パーシャは突然、立ち上がった。
そして、“カムチャッカの大地の守護神”からの認定状を読み出した。
パーシャお勧めのレストラン(狐の穴)に入った | カムチャッカ半島探索認定状 |
「通り抜けた秘密の小道や、カムチャッカの川の流れの強さと大地の奥底からほとばしる
温泉の熱を身を持って知ったことをこの文書によって証明し、また、 これの所有者である
ANDO MITSUKOが 多くの困難や試練を恐れず、褒美として信じ難いような
カムチャッカの自然に触れ、 そのなかですばらしい野生動物や鳥をみずからの目で
眺めることを許されたことをここに認める。
今後、この地で過ごした日々が忘れえぬものになるのは、雪で覆われた火山の精霊が
汝を守るからであり、この証明書は 護符として成功をもたらすであろう。
真の全鳥なるカムチャッカの大地の守護神 鳥のクトフ
2003年8月25日 」
文章は漢字が混じった日本語でかかれていたが パーシャはスラスラと読み上げ
一人ひとりにバッジと共に手渡していった。
シュゴシン”だけが読めなかったが すぐに電子手帳を取り出していた。
こうして“最後の晩餐”が終わり ホテルに戻った。
ロビーで 精算をしようとすると パーシャは言いにくそうに 数ドルの追加の請求をした。
バスを待たせていたので延長料金を運転手が要求したのだろう。
私たちの感覚からしたら プライベートな娘を乗せていって 温泉を楽しみ、
夕食代も一人分ではあったが私たちが払った。・・・なのに、パーシャが若いせいか
旅行社よりも バスを持つものの方が 力的に上なのか分からないが
釈然としないまま 皆から追徴した。
昨日までの陽気な運転手だったら こんなことはなかったような気がする。
・・・・というわけで、二つ目の目的の“ビストラヤ川での夢の大漁”は 叶わなかった。