8月24日

 

天気はいいのだが 風がかなり強い。

午後二時に集合して ダーチャという別荘を訪問することになっている。

それまでは 市場などに行ったりして 自由時間とした。

アバチャホテルの前で開かれている市場は 私たちのホテルからは 歩いて20分。

朝食後、強風の中を主人とクルトゥーチ湖に沿って歩き出した。

     ・・・これがシベリアの風か・・・としばらく我慢して歩いていたが 

体感温度は強風のためかなり低く、このまま無理をして歩くと 疲れて風邪をひいてしまうと思い、 

オクチャブリスカヤホテルに引き返し、 充分な身支度をして再び歩いて行った。

11時オープンという市場は まだ、店開きはこれから という雰囲気だった。

主人は老眼鏡を壊してしまっていたので メガネ売り場で立ち止まった。

買おうか否かと 迷っている主人に「カムチャッカ記念に買ったら?」と言って

 200 ルーブルのメガネを買った。{約800円}


肉売り場、野菜売り場、サーモンの燻製売り場などもあった。

ラズベリーやブルーベリーが 山のように盛られているところなどは ロシアらしい。

ピロシキなども買って食べてみたが、 昨年、ビストラヤ川に行く途中 

おばあさんから買って食べたあの感激の味には まったく及ばなかった。

バザー模様 メガネ売り場で
シャケ等燻製売り場 ラズベリーがバケツで
ピロシキを買って食べた 昼食に入ったレストラン

 

昼ごはんは ホテルに戻って私のお勧めのレストランに行くことにした。

一年前にも 入ったカフェテリアのようなところは 私たちのホテルの隣だった。

入り口近くに子供たちがたむろしていた。

近づくと お金をむしんしてきた。

見ぬ振りをしてン中に入っていった。

 

以前は カウンターに出来たものが並んでいたので 指をさして注文ができたが

オープンキッチンの中のテーブルに置いてあって注文がし辛い。

前に並んだ人に習って冷や汗をかきかき スープやマッシュポテト、

ハッシュドポテト、野菜サラダ、カムチャッカビールなどを注文した。

ヤレヤレ・・・とビールを飲み始めると 先ほどの子供たちが辺りをキョロキョロしながら 

入ってきた。

店の人は 追い出すのかと思っていたら 知らん振り・・・・

食べながらも 子供たちの様子が気になって仕方がない。

食べ残しのあるテーブルに着くと 彼らはむさぼりだした。

近くのテーブルの人は 皿をさしだして あげている人までいる。

片付けの人も 彼らのことは分かっていて知らん顔って感じ。

帰ろうとして 入り口まで行った人に近寄った、お金をあげたようだ。

テーブルに戻ると 他の子らがよくやった!という仕草をした。・・・・

市場では 一人の物乞いをするおじいさんに出会っていた。

インドやネパールでは 日常的光景だったが カムチャッカでは初めての経験だった。

・・・・一ヶ月もすると 凍土と化すこの地で 彼らは物乞いを続けて生きていくのだろうか・・・・

ダーチャ{別荘}訪問の前に 郷土誌博物館に立ち寄った。

カムチャッカ半島の自然と文化が人目で分かるようになっていた。
 

17世紀後半に 漂着した 伊勢の大黒屋光太夫のことや

仙台藩の若宮丸が遭難して 乗組員の中で4名がロシア使節となって 日本に開港を求めた人達の

記録も残されていた。 日本人で始めての“世界一周”であろう。

病死する者、キリスト教に改宗する者らもいたという。

16名の乗組員のドラマに思いを馳せると胸が痛む。

見慣れたコーリャック山とアバチャ山は 今日も機嫌がいい。

何かにつけて “エリツボ”の街まで行ってから行動が始まる。 パーシャに

「往復2時間、かなりのロスタイムだから エリツボに泊まっていれば無駄がないんじゃない?」

と言うと、 「エリツボにはホテルがないのです・・・・」とのこと。

ホテルがないのでは仕方がない・・・・・・

 

エリツボの町

 訪問するダーチャの主は 地質学者のデキンさん。

垣根の向こうに 笑顔の奥さんが立っていた。レンガを敷いたかわいい小道がエントランス、

野菜がびっしりと植わっていた。

お宅はご主人の手作り!と聞いて驚いた。

「今、サウナに入っているから 後で挨拶をさせますね」と言って 二階のベッドルームまで

案内をしてくれた。

日本人が訪問しているらしく、 折り鶴や 舞妓さんのカレンダーがあった。

再び屋外に出てみると、イチゴやスグリの実が一杯生っていた。

温室にはキュウリやトマト、ズッキーニまで、ゲストハウス、サウナ室、

トイレが庭の三方にあり すべてご主人の手作りと 奥さんは英語で説明をした。

デキンさんは政府から無償で土地をもらったとか、近所のダーチャと比べるとかなり広い。

カムチャッカ人口の60%がダーチャを持っている。 贅沢ではなく 長い冬に備えて 短い夏の

間に “アリさん”のようにひたすら野菜を育てて 保存食を蓄えるわけだ。 

 休日になるとダーチャに来て 作物の世話をして保存食を作り、サウナなども楽しんで・・・・

まさに趣味と実益。


ご主人がサウナ室から出てきた。

やさしそうな学者さん。「私もサウナに入りたい!」と言うと奥さんが案内してくれた。

タオルなどを用意してくれて 北欧の写真に出てくるような 木の枝で 体を掃うように言われた。

ピースボートで昨年来たことを言うと、びっくりして

「私たち、あなた方のミュージカルを観たのよ!素晴らしかったわ」と抱きしめてくださった。

ミュージカルには参加していなかったけれども 自分のことのようにうれしかった。

外は風がビュービューと吹いていたが 私一人、楽園に居た。

 

ゲストハウスに夕食の用意が始まった。

ハーモニカを持っていたので 私はロシア民謡を吹いた。

奥さんも用意をしながら 一緒に歌ってくれた。

庭で採れたばかりの野菜は お・い・し・い!! サーモンのムニエルの後には

ご主人が庭で肉を焼いて長い串にさして運んでくれた。食事の後には 

イチゴなどのベリーをジャムにして紅茶と共にいただいた。

ロシアンティーは ジャムを入れて飲むのではなく 甘いジャムをなめたり お茶をいただいたり

本来は交互にするらしい。

ダーチャ(別荘)農園をするための第二の住まい 訪問先の庭(農園)で記念撮影
自慢のサウナ  (別棟) ダーチャのご夫妻と玄関先にて

家庭料理を堪能して また、エリツボを経てカムチャッカのホテルに着いた。

夜が楽しみだった。

朝、パーシャが タクシーの運転手、アレキサンドラに電話を掛けてくれていた。

「夜勤だったから今から寝るので 夜にホテルに逢いに行く」と私のことを憶えていた。

彼は約束通り、やってきた。 今夜は苦労しなくてもパーシャが居る。

日本から用意をしていた 靴下と人形を渡して 一年前のお礼を言った。

上の娘さんが18歳で日本語を勉強しているとか、 一緒に連れてくればよかった・・・と言っていた。

そして、冒頭に書いたように もうすぐアラスカのアンカレッジに出稼ぎに行くことを告げた。

船から降りてすぐに私が出した手紙は着いていた。よかった!

旅の目的は パーシャの協力で 一先ず達せられた。