H16年2月8日(日)

早朝、6時 日曜でゆっくりしたい成田さんのご主人に無理を言って

名古屋空港まで送っていただいた。

雲一つないクリアーな富士山を見下ろしながら 成田空港に到着。

京都からのヒロコチャンと スジャータさん、娘の冴と合流。

12:45 エールフランス AF−275にて パリまで。

添乗員は チュニジア2度目という、吉田さん。

パリでAF1684のエールフランスに乗り換えて 23:40チュニス着。

バスで アブ・ナワス・チュニスホテルまで15分。

スルーのガイドはラサドさん。

TBSのテレビ局のスタッフたちを見送って すぐに、

私たちのガイドをするそうだ。

 

スジャータさんとヒロコチャンが一室、

成田さんと冴と私、3人で一室。

 

部屋に入ってビックリ!!

エキストラベッドはまるでトランポリン、タオルはほつれていて、

2セット分しかない。

吉田さんに連絡すると、ラサドさんと共にやってきた。

「これでも、五つ星ですか?」と旅の疲れも手伝って 私は息巻いた。

 ラサドさんは「チュニジアの五つ星です」と流暢な日本語で

応酬してきた。

冴は「大丈夫、私、このエキストラで充分!」というので

今夜のところは このまま・・・ということになった。

旅は始まったばかり、 先が思いやられる・・・

 

2月9日8日(月)

眞智さんに電話をすると、

NHKの朝のテレビ小説を見てから逢いに行く」と言った???

リアルタイムに 地球の裏側で日本の情報をキャッチしているのか・・・・

実は眞智さんは お正月に帰省していた。

一ヶ月前に逢っているわけで、そういう意味では、

ウルルン!というわけではない。

昨日までは雨がシトシトと降っていたとかで 「運がいいよ!」と

彼女は言った。


 

チュニスの市内観光に 眞智さんも同行した。

JACAでチュニジアに来て仕事をしている方たちは 大使館の方達に次ぐ

国賓のような感じで 一目も二目も置かれているようだ。

ラサドさんも日本語をJACAの方から習っていたので、

眞智さんに敬意を払っていた。

 

メディナ(旧市街)の中をぞろぞろと歩いた。

最終日にここで買い物をしようと、見て回っただけだが、

赤いフエルトの帽子が山積みされていて、チュニジアらしさに溢れていた

中でも面白かったのが、私の被っていた障害者の作った帽子を 

土産物屋の主人が気に入って、ラクダのムートンと交換してくれないかとか、

マントと代えてくれないかとか執拗に言われたこと.

障害者の施設の人が聞いたらさぞかし喜ぶのでは・・・

通貨はチュニジアンディナール、

 

昼食は店構えが中華風の小さなレストラン、

ラビオリやらビーフやらで 特別おいしいわけではないが 

すごい量、これからも こんな調子なのかと先が思いやられた。

眞智さんとは一週間後に再会ということで お別れをして、

カイラワンに南下して行った。

(左が眞智さん)

       *********


カイラワン(ケロアン)は 北アフリカにおけるイスラム発祥の地、

カイラワンへの7回の巡礼はメッカへの一度の巡礼に値すると言われている。

チュニスから165km オリーブ畑に囲まれた内陸部の都市。

途中、世界最長の「ザクアンのローマ水道橋」に立ち寄った。

ケロアンのメディナにてフリータイム。

 

冴はライヴの衣装を探していた。 スパンコールを派手に貼り付けた

まさに舞台衣装!ばかりだ。

ホテルは ラ・カスバ    カスバとは 城砦。

先ほど歩いたメディナの延長にあり、世界遺産の一部がホテルになっていた。 
ここは宿泊が難しいそうだ。

象牙色の大理石を基調にした 落ち着いたいい感じ!

ガイドのラサドさんが チュニジア共和国の説明をしていた時、

話がリビアに及んだ。

彼は リビアに入国していた。

私も、スジャータさんもヒロコチャンもピースボートで

入国していることを告げると、

「僕は、世界のどんな国に行ったと言われてもあまり驚かないけど、

リビアに入ったと聞いて本当に驚きだ!」と私を見る目が急に変わった。

そんなわけで、「タオルはある?コップは? ベッドの状態は?」と

昨夜の“チュニジアの五つ星”と平然と答えた彼とは大違いで

気配りをしてくれた。

「リビア」が 水戸のご老公の“印籠”となったようだ。

 ホテルの中庭 スジャータさんと

夕食のバイキングの折り、スジャータさんは 以前に使った

旅行社の添乗員に 奇しくも再会していた。

食事も美味しく、ベッドもトランポリンではなく、

ゆったりとした時間が流れた。

                    次ページへ