2月12日(木)

サバ・ハラヘル! (おはよう)

“サバが腹が減った” と憶えて とラサドさんの指導で

部分的にアラビア語が飛び交うようになってきた。

旅も半ばになってくると、メンバー達がお互いに気心が分かってきて 

ぎこちなさがなくなってきた。

東京の鈴木夫妻にお願いして、毎晩ビデオの充電をしていただいている。

まだ、スペアーをいただいていないうちに 朝の散歩に出た。

ホテルの脇は もう、サハラ砂漠だった。

ラクダと遊牧民が 輪になって うずくまっていた。

まさに絵になる光景で、ビデオやカメラを持たないで

出てきているのが悔やまれた。

せめて、ハーモニカを持っていたなら 

彼らの中に入って行って 「月の砂漠」を吹いたのに・・・

機会があったら・・と携帯していたのに、肝心なときに 持っていない・・・・

今でも、 ラクダ色のマントに埋もれてしゃがみ込んでいたノマドと

呼ばれる遊牧民達が目に残っている。

 

さて、いよいよラクダに乗って サハラ砂漠を朝のお散歩。

出で立ちは、マスクと軍手、サングラス。 大盗賊団だ。

モンゴルのゴビ砂漠で 馬に乗って辛い思いをしている私は、

あまり、気が乗らない。

おまけに 砂嵐が来たら最悪、 コンタクトレンズなのだ。

メンバーに笑われながら、水泳のゴーグルでしっかり防備をして臨んだ。

リビアのサハラ砂漠でも 同じことをした。 

マスク、ゴーグル、軍手 砂漠の必需品 彼らと 騎馬団は グルではないかしら

砂漠通?の私には最善の方法だった。

 

20分ばかり 盗賊団が散歩をして休憩となった。すると、

本物の盗賊団がやってきた。

馬に乗った一団が 派手な衣装で近寄ってきたかと思ったら 

無理矢理のようにみんなを乗せて 走り去っていき、お金を請求。

ラクダ乗りとセットになっているのでは・・・とおおかたの人は思っていた。

後からやってきた吉田さんは まったく予期せぬ事態だったようだ。

でもきっと、ラクダ乗り達とはグルだったに違いない。

朝のあの「月の砂漠」のロマンはどこへ行ってしまったのか・・・

エジプトのピラミッドでも ラクダ乗りは ひどかった。

観光客をしっかりと、食い物にしている。

そういえば、ラサドさんが 「ラクダは、別の宇宙からやってきた動物」と

表現していた。

それほど、未知の部分が多い動物なんだそうだ。

 

トイレ休憩は バール、コンビニみたいなところ。

何か飲み物を注文すれば トイレ代はいらない。

丁度、オレンジの収穫時期で、ジュースが美味しい。

注文の度に 4つぐらいをハンドジューサーで絞ってくれた。

アーモンドがそのまま入っているミントティーも おなじみになってきた。

このような喫茶店で おしゃべりをしたり、水パイプをやったりしているのは

たいてい 赤い帽子を頭に乗せた男性達。
日本では 全く反対だ。

 

ダメズレットの街、ベルベル人の部落にやってきた。

山のあちこちにドアだけがある。

衛星の立派なアンテナが どこの家? どこの穴にもある。

1000チャンネルキャッチできるとか。

  マトマタの絵葉書 殆ど 玄関のドアだけしか見えない 

一件の郊外の農家に入っていった。

奥さんの焼いてくれた ローズマリーの香りのナンは 

とても素朴で美味しかった。

ベルベル人の穴を掘って部屋にしいる独特の生活様式は興味深かった。

はにかんだ男の子がかわいかった。

 シュクラン!(ありがとう)

 

昼食は マトマタのスターウオーズの撮影が行われたホテル。

クスクスがメインで ブリック(チュニジア風揚げ餃子)や 

マックルードという油で揚げたお菓子が出た。

まさか、マクドナルドの原語では?・・・・

ベルベル人のお母さんが焼いてくれたナンの感激が残っていて、

昼食は 何を食べてもイマイチ!

ホテルマンから こっそりとボールペンを要求された。

 クスクスがメインディッシュ

ホテルの入り口で 赤いシルクの古い布を買った。

どう使うのか分からなかったが、後で行った博物館で

花嫁がベールにしていたものと同じだった。

 

おへそから右手斜めに移動してきたので、地中海が見えてきた。

3,4日の間、茶色の世界だったので オリーブ畑の緑から 

活気ある市街地に入ったのが新鮮だった。

“チュニジアの大阪”と呼ばれているそうだ、なるほど・・・・

 

今日の宿泊は スッファックス。

街の中のホテルでアブナワス・スファックス。

用意された部屋は非常に狭くて、一泊とはいえ 三人ではきつかった。  

チェックのラサドさんが来て 七階に部屋を替わった。

スファックスの街がより遠くまで見渡せたが、

替わる前の部屋からはきれいな夕日が見えていたので チョット残念。

 

長時間のバスの移動をものともせずに、街の散策に出かけた人たちがいたのに

は驚き!

塩湖で採った塩から水が浸みだして、私と冴は、ペットボトルに細かく割って

入れようと必死で、街に出かけるどころではなかった。

 

夕食前に、ラサドさんが「アラビア語講座」をしてくれることになった。

彼は ガイドになる前に英語の教師をしていた。

「アラビア語にもアルファベットがありますか?ってよく聞かれますが、

アルファベットはアラビア語なんです!」と
おもしろい話をした。

A(ALIF) B(BE) T(TE)

アリフ・ベ・テ ・・・アルファベット となってくる。

 

 

「羊」という名前にも、小さいラム、白いラム、黒いラム、小さくて白いラム

などと、その状態を表す文字が限りなくあるようだ。

面倒なようだが、憶えたらややこしい言い回しをしなくても

一言で表す文字があるということになる。

「食べる」という動詞は14タイプあるそうだ。

私たちにとって右から横に字を書くのは 慣れない感覚だが、

ラサドさんが書いてくれたアラビア文字を見て 自分の名前を

みんなで書いた。

まるで、試験をしたように 採点して返してくれた。

私は60点、最高は75点の人がいた。

奥の深いアラビア語に 魅了された。

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