2月14日(土)

朝、白砂の海岸を散歩。

鳥たちの声と、地中海、紺碧の空。数日滞在していたいホテルだ。

ピースボートで 地中海を横断した際は、 低気圧の通過で 

船底部屋でゲロゲロになっていたっけ・・・

 

心を残して出発。

スースのメディナに到着。

白い壁の曲がりくねった狭い道、色とりどりのドア、 

チュニジアのパンフレットに登場する場所だ。

ドアには“ファーティマの手”と呼ばれているドアノッカーがついている。

メディナの迷路 黒いところは ドアノック ファティマの手

5本指の手が下向きになっていて 悪者が進入するのを防いだり、

訪問者が男性か女性かをも聞き分けられるとか。

ファーティマとは実在の女性の名前で、イスラム教の開祖、

モハメッドの四女として 606年に生まれた。

名門の娘でありながら 貧しい人々に手を差し伸べた。

26歳でこの世を去ったのだが、慈悲深い彼女を 理想の女性と仰ぎ、

“ファーティマの手”として 各家のドアノッカーとなっている。

 

また、指の5本は イスラム教の五行「信仰、礼拝、断食、喜捨、巡礼」でもある。

なお、私たちが “イスラム=断食”と解釈しやすいが、

ラサドさんは {断食}を説明する言葉が見つからないともいっていた。

実は私は今、友人たちとのメールで“ファーティマばば”と名乗っている。

スジャータさんは辻畑さん、ツジハタと呼び難いので 

私が付けた名前。 釈迦が悟りをひらかれた時、最初にミルク粥を

差し上げた女性の名前だ。

それまで、安藤の“安ちゃん”で通していたのだが、

彼女に対抗して? おこがましくも自分で付けた。

名にあやかれるようにと・・・・・

グランドモスクを見学後、高速道路を地中海沿いに走った。  

 

ナブール、陶器の町に移動。

陶器の町に住む私には、珍しくはない光景だが、

絵付けの行程などを見ながら お買い物タイム。

私と、冴は ベルベル人の古着を買い、変身して集合場所に

飛び込むと、メンバーは皆、唖然としていた。

 

今日はサッカーのアフリカカップの優勝戦の日。

行き交う車は、赤い国旗をなびかせ、クラクションを鳴らして、顔には派手に

ペイントしていた。

 

再び 高速道路に乗り、ハマメットの街へ。

メディナの中の路地は、非常に狭く、曲がりくねっていた。

ラサドさんは はぐれないように・・・と注意を促した。

自由時間をもらって こわごわ、迷路を冴と歩いた。

トイレに入りたくて、喫茶店に入ったが、 トイレの方向を指さしただけで、

お客も店の人たちも テレビに釘付け。

サッカーに夢中。ミントティのお金を払って 外に出ると、

小さな子供達も、色とりどりに顔をペイントして 走り去った。

 

昼食は ハマメットの小さなイタリアンレストラン。

ウエイターのおじさんは 日本人にいそうな顔立ちで、とてもフレンドリー。

コックのお兄さんも、 チキンをグリルで焼く手を休めて 

ニコニコと振り返ってばかり、「お肉が焦げますよ、お兄さん!」

 Resutrant Daramara にて 

出発地点の、山本さん夫妻の住むチュニスに 

予定を早めて戻ることになった。

モロッコとの“アフリカカップ優勝戦”が終わらないうちに 

チュニスに入らないと、恐ろしい渋滞が予想されるというのだ。

 

高速道路では 試合会場に向かう車が次々と クラクションを鳴らし、

赤い国旗をなびかせて追い越していった。

試合会場が右手に見えた頃には、

「絶対にホテルから一歩も出ないでください」とラサドさんは言葉を強くした。

 

トランポリンの五つ星ホテル、アブナワス・チュニスに到着。

山本夫妻が待っていてくれた!!

しかも、沢山の海苔巻き寿司と麦茶を持って・・・・

首都、チュニスはとんでもない騒ぎになっていて、

「公共機関もストップで タクシーも難儀して見つけたのよ!」と

眞智さんは言った。

海苔巻きすしのお米は チュニジア米ではなく、“リビア米”を使っているらしい。

チュニジアでは リビア米は、 とにかく安くて どちらかというと 下級階層の人たちが食べているらしいが、

最近、日本人が多くなってきて、需要が多くなってきたために、

ドンドン高騰し始めたとか。

眞智さんのメールで 「コシヒカリに似たお米が手にはいるのよ」と 

言っていたのは この、リビア米だったのだ。

冷たい麦茶と海苔巻き寿司で ほっと一息すると、

山本夫妻は 「タクシーも捕まらないかも・・・」と言って

ホテルから出ていった。

どこにも、ホント、タクシーがいない・・・

冴が 路肩に寄せてラジオを聴いていた運転手に頼んだ。

しかたない・・・と言う顔をして、寄ってきた。

頼んだのがおばさんだったら動いてくれないけれど、若い?娘だったので・・

・ということらしい。 ヤレヤレ

 

トランポリンの部屋に入った。

添乗の吉田さんはすまなそうに

「ラサドさんは 移動中もホテルと掛け合ってくれていたんですよ」と言った。

最初の部屋と比べると、調度品や、ベッドも数段上の感じで

まあ、いいでしょう!

 

ホテルから一歩も出られないとなると、プールは屋外で冷たすぎて

入れないので、“ハマム”というチュニジア版垢擦りの予約をした。

受付が入っていいと言うので バスタオルを巻いてメンバー数人と吉田さんと

立ちこめた蒸気で何も見えない部屋に入っていくと、

「キャー!」と誰かが叫んだ。

男性が一人 入っていたのだ。

この煙の中だったら 男性がいたって平気! 旅の恥は掻き捨てよ!   

とばかり 集団の強みで私たちは居座った。

すると、 男性の方が 出ていってしまった。

 

イスラム圏内で 考えられないことかも・・・

垢擦り嬢が いつもは居るのか居ないのか分からないが、

お互いの背中をこすりあって さっぱりとして ハマムから出てくると、

サッカーの試合が丁度、終わった。

フロントの男性の驚喜、ったら・・・

すごいリアクションで 叫びっぱなし!

と同時に、野外からはもの凄いクラクションの音。

 

後で、ハマムのことを調べてみると “チュニジア人の社交場”といわれる 

公衆浴場で 男女入れ替え制、ハマム用の下着を着たままの入浴、

たとえ 同性同士でも人前で裸になることはないのだそうだ。

そういえば、ラサドさんが日本に留学をした際、銭湯に連れて行かれても

どうしても入れなかったと言っていた。

男性でも そうなのだ。

私たちが 裸で 入っていった時に、男性が飛び出したのは

信じられないものを見てしまった! ということだったのだ。

 

夕食の時間となった。

相変わらず、冴と私は 派手にチュニジアンとなって、

チュニジア優勝に協賛して 国旗を頬に描いて ディナーに臨んだ。

メンバーは 眼を丸くしていた。

「100% 旅をエンジョイしていますね!」と言う人がいた。

 

クラクションは夜中の12時まで続き、部屋から道路状況を見ていると

渋滞はいつまでも いつまでも 続いていた。

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