2月15日(日)

チュニスから カルタゴまでは チュニス湖に架かった長い橋を渡ればすぐだ。

海岸線を北上するTGMという電車が、道路と平行して走っていた。

チュニス富士が 美しいシルエットを見せていた。

 

眞智さんも 駆けつけてくれて 一緒に観光。

相変わらず、紺碧の空。

昨夜の騒ぎは嘘のよう、チュニス湾に面したカルタゴの街は

はるかBC9世紀、フェニキア時代に誕生。

フェニキア語でカルタゴとは “新しい街”と言う意味。

フェニキア時代とローマ時代、第一次、第二次、第三次ポエニ戦争と、一時は住
                  
む人もないカルタゴの栄枯盛衰。

ラサドさんは ひときわ説明に熱が入る。

私が ビデオカメラを彼から外すと すかさず「ちゃんと記録して!」とばかり

に 眼で合図をした。

鈴木夫妻に充電のお世話になっていることもあり、要所 要所を 映そうとして

いても、彼がそうさせてくれない。

 

いろいろなガイドにいままでお世話になったが 彼ほど歴史に詳しく 熱心な説

明をしてくれる人はいなかった。

話の長いことには定評があるらしく、人は、彼のことを

「先の見えない長い糸」と言うそうだ。

                                      

湾沿いの アントニヌスの共同浴場を見学。

大統領官邸をすぐ脇に控えて カメラ、ビデオの撮影を制限された。

 

空のブルー、海のブルー、ドアのブルー 真っ白な壁。

シディ・ブ・サイドに移動。

シディ・ブとは 偉い人と言う意味だとか。

チュニスから17キロ北東に位置し、南地中海に面した岬の上に

おしゃれな街はあった。

ドン・キホーテの作者、スペインのセルバンテスも

かって兵士として駐屯していたことがあるとか。

自由時間をもらって ダル・エル・アンナビという

個人博物館に入った。

                                

美しい模様のタイル、エチゾチックなパティオ、屋上にあがると、街並みとカル

タゴ湾のパノラマ、日差しはきついが 

湿気のないさわやかな風・・・・・

 

充分博物館で時間を過ごして 街に出ると 骨董屋さんを見つけた。

もう、時間がない! 集合時間に間に合わない!

でも、すごい! 焦りながら ビデオを回して 今度来ることがあったら、一番

にここに・・・お金持ちになったら一番にここに・・・

などと思いながらバスに向かった。

 

 

ラ・マルサに移動。

昼食は LAFARAISE(フランス語で崖という意味)

マルサでも 指折りの高級レストランと眞智さんが言った。

                  

眞智さんとはここでお別れになる。

今年の暮れには 任務を終えて帰国となるはず、

ご主人は 仕事面だけではなく、空手の指導まで若者にしているという。

“マルサの女”眞智さんとお別れして バルドー博物館へ。

 

もう、見飽きるほど観たモザイクタイルだが、

規模の大きさ、保存度など、すばらしい! 

“チュニジアのルーブル”といわれている。

建物も、元は宮殿だったというだけあって 見事な建築。

天井を仰いでばかりで 首が痛くなった。

              

外に出ると、もう、夕日が落ちかけていた。

本来なら、ホテルに一度帰って、お洒落をして

最後の晩餐のレストランに向かうところだが、 昨日のホテルで缶詰状態のため

、メンバーはおみやげを買っていないと言い出した。

郊外のスーパーマーケットに寄って そのまま、レストランに、ということにな

り バスでスーパーマーケットに行った。

おかげで、現在のチュニジア市民の様子が見られた。

 

ラサドさんは 冴に付き合ってくれて CD売り場に直行。

レジに並んだ時、

「冴さんとぼくとが夫婦で安藤さんがお母さん・・・」と笑わせた。

よそからは、そんな風にも見えるかも・・・・

 

ESSARAYAというレストラン、眞智さんは

ここもチュニスで有名な店と言っていた。

暗闇の中を 裾まで引きずるほどのマントを着たおじいさんが

迷路のような暗い道を案内するために ランプを片手にお出迎え。“ファーティ

マ”の大合唱のうちに レストランに到着。

 

ギギギー ・・・・・  

“ファーティマの手のドア”を開けると・・・・・別世界!

クラシックな店内は、薄暗い照明。

思いっきり おしゃれをして来たいところに 着替えもしないで

ドタドタと入っていった。

 

ESSARAYA

片隅で 歌とギターに似たバンジョーのような楽器の演奏が始まった。

旅行社から ワインがふるまわれ、前菜の盛り合わせ、メインは

ビーフ・マドムージャという肉料理だった。

深いグリーン色のマントをまとった男性が 物悲しいスペイン風の調べを奏でていた。
                    

旅の締めくくりに いっそう、わびしさを誘った。

 

ランプをかざしたマントのおじいさんの案内で 暗い路地を

“ファーティマ”を称呼しながら 歩いた。

すでに 聞こえなくなったギターの音色が 私を追いかけてきた。

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