仙台城周辺の戦争遺跡

平成16年1月2日仙台城周辺の戦争遺跡を見に行くため、仙台駅前から
観光循環バスるーぷる仙台に乗り、仙台城跡バス停で下車した。
バスが仙台城跡バス停へ向かう途中の坂の途中で昭忠記念堂跡が見えたが、
昭忠記念堂跡は後で見に行くことにしてまずは仙台城跡へ向かった。
仙台城跡に建つ護国神社に御参りした後、有名な伊達政宗像の近くにある
昭忠碑へ向かった。
伊達政宗像や昭忠碑の建つ場所は見晴らしが良く仙台の市街地を一望できる。
昭忠碑の金鵄は遠くロシアをにらんでいるというが、ロシアは無理だとしても昭忠碑の金鵄の
 高さからは太平洋が見えるかもしれないと思った。

昭忠碑

その後、仙台城跡へ向かう坂の途中にある昭忠記念堂跡へ向かった。
「続しらべる戦争遺跡の事典」によると、この昭忠記念堂は満州事変で凱旋した多門中将統率
 の満州駐剳を記念して作られたもので隣には多門二郎第二師団長の胸像もあったが、
戦時中の金属供出により現在は台座だけが残されている。
なお、昭忠記念堂跡の前の道路は車の通行量が多いので
訪れる際は気をつけるようにしてもらいたい。
 
   昭忠記念堂跡          多門二郎第二師団長像台座

追記 平成十六年七月初旬にHP大日本帝国陸海軍史料館を見て
昭忠記念堂跡が仙台城の石垣修復のため取り壊された事を知りました。
そこで平成十六年七月十九日に昭忠記念堂跡を見に行きました。
その時の写真を追加します。

跡形も無くなってしまった昭忠記念堂跡

仙台城跡へ続く坂の入り口には松川大将之碑が残されていた。
その後私は射的場の弾痕が残るという追廻住宅のテニスコートの石垣を見たが、
本物かどうか判別できなかったため画像の掲載は見送った。
テニスコートの壁の弾痕について情報を持っている方は掲示板にてご一報下さい。

追記 平成十六年七月十九日取り壊された昭忠記念堂跡を見に行った帰り
テニスコートの石垣を見た所数箇所で弾丸らしき金属片を見つけた。
少し見にくいかもしれないが弾丸らしき金属片の写真を掲載します。

追記 平成十六年八月十四日にもう一度見に行きましたが、よくよく見てみると弾丸としては
不自然な所がありもしかすると弾丸ではないのかもしれません。
情報を知っている方がおられましたら掲示板にてご一報ください。
 
射的場の石垣全景           射的場の石垣反対側より
 
 射的場の石垣近景            弾丸らしき金属片その一

弾丸らしき金属片その二

 
松川大将之碑       松川大将之碑の裏にある銘文

仙台国際センターに工兵隊の跡の碑、宮城県美術館に野砲兵第二連隊之跡の碑があるが、
遺構らしきものは見当たらなかった。
 
      工兵隊の跡の碑           工兵隊の跡の碑の裏にある銘文   
  
  野砲兵第二連隊之跡の碑

仙台城跡から元第二師団司令長官舎である宮城県知事公館まで歩いて行った。
宮城県知事公館の正門は旧仙台城門で戦前は第二師団司令長官舎の正門であり、
軍都仙台の数少ない遺構である。
今回は仙台城周辺の戦争遺跡を探訪したが、
榴ヶ岡公園には第二師団第四連隊の兵舎が残っている。
なお、宮城県の戦争遺跡について情報が少ないので
宮城県の戦争遺跡について情報を持っている方は掲示板にてご一報を下さい。
  
    第二師団司令長官舎正門               説明板           




参考文献 続しらべる戦争遺跡の事典 十菱駿武 菊池実編 柏書房

参考HP  大日本帝国陸海軍史料館
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