「青春18きっぷ」・・・・・JRグループが年3回発売する、普通列車乗り放題という非常にお得な切符だ。
5日間有効であり、利用日が連続でなくてもよく、同じ経路であれば複数人で使用可能だ。
青春18となっているが、もちろん年齢制限はない。
ただ、窓口で「青春18きっぷをください!」と言うのが少々、照れてしまう。
いつもはクルマでの移動だが、今回はこの切符を利用して普通列車で散歩した。たまには、列車散歩もいいものだ。
これが、びゅーぷらざで購入した「青春18きっぷ」 5日間有効だが、1日ごとスタンプを押してもらう。 みどりの窓口とかびゅーぷらざで購入すると味気のない印刷きっぷだが、 マルス(自動発券システム)が無い駅で購入するとあらかじめ用意してある切符となるので、非常に雰囲気のある切符が買えるとのウワサが・・・ |
今回の散歩場所、目的は日本海、信越線旧線の廃線跡探訪とと鉄小僧の間で「海に一番近い駅」として有名な青梅川駅訪問。
更に、豪雪地帯を走る「大糸線」と「飯山線」の全線乗車。今回は久しぶりの泊まりでの散歩となった。
1日目(3月20日)
まずは、大糸線の起点、松本駅を早朝に出発。ここは冬期間、列車の扉をボタンを押して開閉するようになっている。
早朝の大糸線は、生活列車というよりは、スキー場へ向かう人達、トレッキングを楽しもうという人達でそこそこの乗車率であった。
通常は2両のワンマン運転だが、今日は4両の通常運転とのアナウンスがはいった。
早春の季節ではあるが、早朝の信州はまだまだ底冷えをする。天候は薄い雲がかかってはいるものの、まずまずの天気。
北アルプスもよく見える。4両に増設された車両は定刻通りに松本を出発。雪深い北を目指す・・・・
普通列車の旅、ボックス席に座るが背もたれが直角である。これが結構、長時間乗車するととツライ・・・・・
列車は順調に北へ進む。沿線の中心都市、信濃大町駅でしばし停車。
ここから、いよいよ雪が深くなってくる。今年は例年と比較しても、非常に雪が多いみたいだ。
信濃木崎駅を出発したあたりから、周辺の景色が雪景色へと変化する。やはり、この時期としては、かなり雪が残っている感じがする。
そうはいっても、道路や家の屋根に雪が残っているわけでなく、田んぼやその周辺にかなり雪が残っている感じ。
木崎湖湖畔の、稲尾〜海ノ口とオイラがお気に入りの駅を停車しながら、定刻通りに列車は進んでいく。
こんな、ローカル線でもちゃんと定刻通りに運行される日本の鉄道技術はたいしたもんだ!
車窓から雪景色をゆっくりと眺めながら北へ向かう。いつもはクルマで訪れるお気に入りの白馬方面、
こうして、列車からゆっくりと景色を眺めるのもいいもんだ・・・・・・おっ!!いつも、オイラが撮影しているポンイトに同類がいるぞ。
そんな感じで車窓を眺めていたら、この列車の終着、南小谷駅に定刻通りに到着した。
ここからは、大糸線の終着、糸魚川駅までは非電化区間だ。会社もJR東日本からJR西日本にバトンタッチされる。
ここからは、キハ521両編成の気動車で糸魚川を目指す。
この列車、かなりの人が乗り込むのでビックリ、なんたって、列をつくって列車を待っていたからね。
結局、オイラはずっと立っていることになってしまった。(←撮影しないで乗り込めばいいのに!)
キハ52の力強いディーゼルエンジンの音と共に、南小谷駅を出発。
現在、この区間には首都圏色と呼ばれる赤一色と赤とクリーム色のツートンカラーの気動車が走って
おり鉄小僧にとっては格好の被写体となっている。
いよいよ、南小谷〜糸魚川間の非電化区間にさしかかった。 ここでキハ52に乗り込む。このツートンカラーが雪景色に映える。 結構、人が乗り込むのにはビックリした。 オイラと同じ「撮り鉄」と呼ばれる連中が撮影していた。 また、JR西日本の運転手が商魂たくましくオレンジカードを売っていた。 この気動車単行っていうのは非常にアジがある雰囲気だ。 沿線にも「撮り鉄」がいっぱいいた。 まあ、クルマで移動していれば、オイラも一緒になって撮影するけど・・・ |
車窓を眺めていると・・・・・いるわいるわ、カメラを構えている鉄小僧が・・・(←オイラもそうですが)
雪景色の中疾走するキハ52・・・・これがまた絵になるんだよなぁ〜。
沢山の人を乗せてキハ52は順調に北へ、日本海へ向かって疾走する。・・・・後ろへディーゼルエンジンの噴煙を残しつつ・・・・・
途中もかなりの雪が残っており、雪景色が楽しめた。けど、頸城大野まできた頃には既に周辺に雪はなかった・・・・
雪の積もり方、降り方もおもしろいよね。ちょっとした距離の違いで、降り方も積もり方も激変する。
キハ52は定刻通りに北陸本線の糸魚川駅に到着した。
名残を惜しむように、人々がカメラで撮影していた(←ここにもオイラの同類が・・・・・)
ここ、糸魚川駅には全国でも珍しいレンガ造りの車庫やSL時代を彷彿させる転車台が残っている。
このレンガ造りの車庫、取り壊しがウワサされており、保存運動が勃発しているらしい・・・・
こういう、非常に珍しい建築物は是非、後世に残してもらいたいものだ。
糸魚川駅では接続時間に余裕があったので、駅内をウロウロ・・(←やはり、鉄小僧の習性か??)
ここで直江津行きの普通電車に乗り込み、終点の直江津駅を目指す。
大糸線非電化区間を疾走するキハ52が何両も出番を待っていた。 その後ろにレンガ造りの車庫と雪山。 糸魚川駅はホント、いい雰囲気の駅です。 |
このレンガ造りの車庫は全国的にも珍しい。 取り壊しなんて言わないで、是非後世に残したい立派な文化財だ。 大切に保管して欲しいと思う |
ここから直江津間はトンネルの連続で、トンネル内にある駅で有名な「筒石駅」がある。
ここでも鉄小僧らしき人達が下車して写真を撮影している。(←いろいろなところに鉄小僧が!)
糸魚川〜直江津間の北陸本線、当初は海岸線に鉄路が敷かれていたがその後、輸送力アップの為に現在の
新線が海岸から少し入った山の中をトンネルで貫いた。廃線となった旧線、その廃線跡は現在、
サイクリンング道路/遊歩道となっており、日本海沿いに気持ちがいい海景色が楽しめるようだ。
昔は贅沢な車窓を眺めながら旅していたことが実感できる・・・・
列車は定刻通りに直江津駅に到着。ここで、また普通電車を乗り継ぎ、目的地である米山駅を目指す。
少し時間があるので、朝も早かったから何か食事をしようと駅からでた。
ちょうど、立ち食いのそば屋があったので、天ぷらそばを食す。う〜ん、駅弁買って車内で食べればよかったな??
この直江津駅は、信越本線と北陸本線の接続点であり、かつてはターミナル駅として賑わっていた駅だ。
ホームに立ってみて感じたのは、そのホームの長さだ。
現在となっては、非常に長すぎると感じるが、昔はターミナル駅として、これ位の長さが必要だったんだろう。
人々の移動手段が鉄道から自家用車、飛行機へ変わってきて、このような長いホームを持ったターミナル駅の必要性も
薄れてきているんだろう。
しかし、こうやって訪れるとかつての賑わいぶり、鉄道最盛期を垣間見ることができる。
確かに、あの時代は鉄道が移動手段の花形だった。
この今となっては必要がない長いホームでもいろいろな物語があったんだろう。
そんなことをいろいろと思いながら、長いホームの片隅に、ちょこっと滑り込んだ2量編成の普通電車に乗り込む。
いよいよ、今回の目的地のひとつである米山駅へ出発だ。
直江津駅の長大ホーム・・・ここが、ほぼ中間位置だ。 非常に長いホームを持っている、今では必要ない・・・ このホーム、昔は信越本線と北陸本線の分岐点であった。 今は昔・・・当時に賑わいを垣間見る・・・ これだけの長さを必要とする列車、今では寝台列車だけか・・・ |
長大ホームの片隅に申し訳ないように滑り込んできた普通列車・・ 横には新潟中越地震から復興しようという・・・・・ 「がんばろう新潟」の文字が・・・・ 新潟は非常に雰囲気があって好きな県です。 1日もはやい復興を望んでいます。 |
柿崎駅を過ぎたあたらから、鉄路は海沿いを、まるで海風を貫くように疾走する。
糸魚川駅では晴れていたが、残念ながら雲が広がってきて、太陽の光をさえぎり始めている。
海は太陽光で輝くことはなく、ただもう3月だというのに相変わらずの波の高さで列車を迎える。
いよいよ米山駅に到着。当然のことながら無人駅。更に下車したのもオイラ一人・・・・
さて、これから撮影ポイントへ徒歩で約く10分強の上り坂を散歩だ!ん??散歩じゃなくて強歩???
なんと、約10分後には米山駅周辺を特急「北越」が通過する予定・・・これに間に合わなければ・・・・
思いザックをしょって(何故かPC入り)上り坂を必死に登っていく。
こんなことなら、普段から歩き慣れていればよかったと、今頃思っても遅い・・・・・・
やっと、ポイントに到着。どうやら「北越」はまだ通過していないようだ!
早速、カメラを取り出してファインダーを覗いた瞬間・・・ん?列車の光だ・・・・
そう「北越」が姿を現したのだ。ギリギリで間に合い、構図を決めながらシャッターを押し続けた。
この場所、鉄小僧の間ではお立ち台と呼ばれる比較的有名な撮影場所だ。
もっと、すっきりと晴れ渡っていれば、雪化粧した妙高連山が遠くに見渡せることができる。
海沿いを走る鉄路と列車、米山駅と周辺集落、そして海越しの妙高連山、雰囲気がいい絵になる構図だ。
しかし、残念ながら今回は薄っすらと見える程度で、はっきりとは見えず残念。
人間の肉眼では見れるけど、カメラじゃ鉄路との露出の関係ではっきり見えないんだろうな・・・・
確かに、いい雰囲気に出逢う為には何回か通わないとなかなかいい雰囲気に出逢えないものだ。
ここの場合、バックの山々まで撮影するとなると朝方の方がいいかもしれない。
ひと通り、列車の撮影が終わった所で、この岬の突端まで移動する。
坂を10分ほど登ってたどりついた撮影場所 海沿いを走る特急「北越」・・・晴れていればバックに妙高連山 この場所はなかなかいい撮影場所です。 |
違う場所から撮影・・・ 現在の新線は山側へカーブしてトンネルに入る 旧線は直線に走り、短いトンネルにはいり再び海岸線へ |
ここは、米山福浦八景のひとつ「聖が鼻」と呼ばれ非常に雰囲気がいい眺めが展開される。
眼下には、遊歩道となって整備されてた旧信越本線の旧線跡が見える。いにしえの時代、ここを確かに蒸気機関車が
走っていたことが感じられる。現在、残念ながら新潟中越地震の影響と思われる土砂崩れで旧線トンネルの入り口が
半分ほど埋まっていた。見た感じ、なんとか通れそうな気がするが、ここでは無理はやめておこう。
ひと通り、岬周辺の散歩を終えて米山駅へと引き返す。
途中、旧線トンネルの入り口がみえた。ここが米山駅から隣の笠島駅までの旧線跡遊歩道のスタート地点だ。
今は昔・・・・旧線跡を気軽に散策しながら、ノスタルジックな雰囲気を味わえるかもしれない。
トンネルの入り口をよくみると、レンガの積み重ねる状況がよく観察でき、当時の鉄道建設技術の一旦を垣間見ることができる。
黒くなっているのは、蒸気機関車の噴煙だろうか・・・・・その横、新線として新しい現代技術をもって貫いたトンネルから、特急
「北越」が猛スピードで走り向けていった。
そろそろ米山駅に向かわないと、次の目的地隣駅の笠島方面の列車の時間に間に合わない。
米山駅周辺の集落を抜けて駅へ向かう。時間がないのに、昔は漁師街であった風情を残している周辺を見渡していた。
ここはその昔、北国街道の要所であったらしく、鉢崎関所が置かれていたらしい。
そんな雰囲気のいい町並みに後ろ髪をひかれつつ米山駅へ向かう。ちょうど、いい時間だ!
無人の改札で自動の乗車証明書を発行し、それを握り締めてホームへ向かう。
それにしても、静かなホームだ。聞こえる音といったら波の音くらい・・・・・・
こんな駅でじっとしながら、海でも眺めれば至福の時間を過ごすことができそうだなぁ〜とおもいつつ、
またまた、そんな雰囲気のいいホームに後ろ髪をひかれつつ、長岡行き普通電車に乗り込んだ。
隣の笠島駅までの所用時間は、約8分程度。
聖が鼻から笠島方面を望む・・・・ 旧線は海岸線に沿って伸びていた。現在は遊歩道となっている。 昔は贅沢な車窓を眺めながらの旅だったんだろう・・・・ 新潟中越地震の影響で土砂崩れが発生していた・・・ |
左側が旧線のトンネルだ。ここが遊歩道の入り口・・ 周辺は海水浴場になっており夏な賑わうようだ。 この旧線跡・・・昔は蒸気機関車が噴煙とともに疾走していたと思うと・・・・・・旧線トンネルには微かに噴煙の跡が見られた。 |
長いトンネルを抜けて、少し海岸が見えたかと思ったらまたトンネル・・・それを繰り返しながら笠島駅に到着した。
オイラの他に降りたのは、もう腰が曲がったおばあさん一人・・・・。
笠島駅からも柏崎方面をみると旧線のトンネルがぽっかりと穴をあけている。ここは旧線跡の宝庫って感じ。
廃線跡探訪には絶好の場所だね。ここで、遊歩道となっている米山駅方面へ旧線跡を散歩してみた。
ここのトンネルもレンガを積み重ねている様子がよくわかる。黒っぽくなっているのは蒸気機関車の噴煙跡。
なかなか、ノスタルジックな雰囲気に浸れる場所だ。
笠島駅に戻り、再び普通列車に乗り込み、隣の駅「青海川駅」へ移動した。
遊歩道を米山方面に戻ってみた。 旧線のトンネルは遊歩道ばかりでなく周辺の人々にとっては隣町へ行く生活道路となっているらしい。 確かに、海岸線へ向かって山が落ちているこの周辺では海岸線の旧線跡が平坦で歩きやすいのだろう。 また、周辺を通る国道8号は北陸地域の大動脈だ。 大型トラックが絶え間なく走っている。 だから、この遊歩道を使って歩いて移動しているらしい・・・ 旧線のトンネルをよくみると、レンガを積み重ねて造っていることがよくわかる。 このレンガ積みが非常に美しく、素晴らしい雰囲気を持っている。 そこに、蒸気機関車から吐き出される噴煙跡・・・・ 今は昔・・・・ノスタルジックな気分に浸れる |
この青海川駅は、鉄小僧の間では「海に一番近い駅」として有名だ。列車から降りたのはもちろんオイラ一人。
ホームの真下が海岸となっており、夏は海水浴客で賑わうらしい。ホント、ホームの真下が海って感じの駅だ。
海の大きさ、潮風それらをホームから体感できる駅であった。
一通り、ホームの端から端まで歩いてみる。まるで、海岸線を歩いているような感じだ。
ここも静かな駅で、聞こえてくるのは波の音とカモメの鳴き声くらい・・・・
駅舎を見渡す、これがまた日本海の荒波と強烈な季節風に耐えられるようにコンクリートでがっちりと造ってある。
普通であれば、コンクリートの駅舎は殺風景に思われるが、この駅は何が雰囲気が違う。
駅舎の中からホーム越しの海を眺めて時間を過ごす・・・・至福な時間のはじまりだ。
この駅には駅ノートが置かれており、いろいろな人が書き込みをしていた。
オイラもそのうちの一人になったところで、駅舎を出て海へ向かった。
鉄雑誌ではよく見かける構図・・・・ オイラもやっちゃいました。 |
ホント、海に近い!って感じの駅です。 駅の両側はトンネルで、ここだけ平坦な地がある |
ここにも旧線跡が確認できる。柏崎方面へ海沿いを少し歩くと、断崖絶壁の下、新線の左に旧線のトンネルの
穴がぽっかりとあいている。ここへ向かって歩き始める。
足元をみると、さすがに鉄路はないが、当時を彷彿させる枕木と砂利が確認できた。
再び、駅舎に戻って海を眺める。ホームに出て海を眺める。こんなことを繰り返しているうちに時間は確実に過ぎていき、
またまた後ろ髪を引かれる思いで長岡行き普通列車に乗り込み、本日の宿泊地、長岡へ向かった。
旧線跡を歩き始める。 足元には枕木と小石が確認できた。 |
日本海側は新幹線がないので、特急列車が花形だ。 魅力的な特急列車が走っている。 |
2日目(3月21日)
朝、昨日は曇っていたが今日は朝から天気がよさそうだ。
宿泊したビジネスホテルで朝食を食べる。普通列車の旅では、食べれる時に食べておかないとヒドイ目にあう。
なんたって、主食は駅弁か駅ソバになるのだが、接続時間等の関係で食事なんてしている時間が取れない場合もある。
だから、食べることが出来るときは、なるべく食べるようにしなければ。朝ゴハンをたっぷりと食べて、長岡駅へ向かった。
ここから上越線に乗って、飯山線の起点「越後川口駅」を目指す。
この路線、新潟中越地震の影響で、本数も少なくまた、徐行運転を実施している関係上、かなりの乗客が乗り込んでいた。
車窓から地震の影響が確認できるのかと思っていたが、深い雪に覆われていて、その状況はつかめなかった。
越後川口で下車、接続時間が少しあるので駅の外へ出た。ターミナル駅みたいなことを想像していたが、改札に駅員は
いないし、駅前も閑散としている・・・・・こりゃ、完全にローカル線の駅だ・・・・・
周辺を少し撮影して、飯山線のホームに向かう。ほどなく、キハ110単両でホームに入線してきた。
いよいよ、出発。気動車特有のディーゼル音を響かせながら越後川口駅をあとにした。
越後川口駅から飯山線に乗り換えだ。 キハ110の単行で十日町へ この路線も日本有数の豪雪地帯を走る。 新潟中越地震の影響で、一部区間普通であったが、徐行運転ながら営業を再開した。 後ろに見える普通列車が上越線、これも徐行運転にて営業を再開している。 地震の影響が確認できるかと思ったが、さすがにこの雪で覆われてしまい確認できなかった。 しかし、傾いた家が確認できた。 新潟の人達はこんな豪雪の中でも頑張っているようだ。 |
この列車は十日町行きなので、終着まで乗車する。この区間でも地震の影響なのか、徐行運転を実施していた。
この飯山線、越後川口〜長野は日本有数の豪雪地帯を走るローカル線だ。3月の末だというのに、周辺にはかなり雪が
残っている。今日はホント、天気がいいので車窓は眩しい。眩しい雪景色の中を、キハ110はひた走る。
雪しか見えないけど、なぜかぼんやりと車窓を眺めていると時間の経つのが早く感じる。やはり、旅ってヤツが非日常だから
時間経緯が早く感じるんだろう・・・・そう思いながら車窓を眺めているうちに終着の十日町駅に到着した。
ここで乗り換え、次は「戸狩野沢温泉駅」行きの列車に乗り込む。
ここでも、接続時間に余裕があるので、駅のホームを端から端まで歩き、更に駅の外にでて周辺を散策した。
十日町駅、ここは飯山線と「ほくほく線」が交差している。最新の特急列車が高架橋の上を通過していく。
この路線、北陸の都市と上越新幹線「越後湯沢駅」を結ぶ重要路線だ。かなり需要があるらしい。
しかしながら、現在建設が進んでいる北陸新幹線が北陸の都市へ伸びると、その役割が終わっていまうのではないか??
「ほくほく線」の特急列車は、金沢、富山そして直江津までは北陸本線を使い、そこから自前の路線で越後湯沢まで繋いでいる。
しかし、これとは別に建設が進んでいる北陸新幹線は、長野から直江津を経て、富山、金沢へと繋がる。
これが開通した時、静かにその役目が終わってしまう気がしてならない。
ここを走る特急「はくたか」は最新の特急車両であり、在来線最高速度の記録を持っているスーパー特急だ。
その斬新なスタイルでも結構、人気がある。この「ほくほく線」、北陸新幹線の今後を共に、微妙な立場になりそうだ。
ここの駅構内にもかなりの雪が残っている。その雪が快晴の太陽に照らされて眩しい・・・・
発車時間が迫ってきたので、駅構内に入り戸狩野沢温泉行き列車に乗り込む。ここでも単両での運転となる。
雪景色の中、キハ110は力強いディーゼル音を上げて疾走する。
十日町駅で乗り換え。 脇に積み上げられた雪の高さをみても今年の積雪は多いと感じる。 右の高架橋は、北陸本線と上越新幹線「越後湯沢駅」をつなぐ「ほくほく線」。長野新幹線が北陸まで伸びると微妙な立場の追い込まれそうな路線だ。 ここを在来線最速の最新鋭特急「はくたか」が駆け抜ける。 |
この飯山線は信濃川沿いに走る路線だ。車窓からは姿をかえながらゆっくりと流れる信濃川を楽しむことができる。
ゆっくりと悠久の流れを刻む信濃川、その脇をトコトコと走る1両編成のキハ110・・・・・これに雪景色が加われば・・・
非常に絵になる構図だ。飯山線も大糸線同様、豪雪地帯の農村地帯を走る非常に魅力的な路線だ。
決して飽きない車窓をながめているうちに、列車は新潟県から長野県に入った。
ここに「森の宮原」という駅がある。ここは、JRの駅で一番雪が積もったことがある駅だそうだ。
その積雪、7メートル85センチ・・・・・昭和20年3月の記録との事。
ここで、十日町方面の列車と待ち合わせをする予定なのだが、遅れているらしい。
ちょうどいい時間がとれたのでホームに出て、撮影することとした。
その積雪を示す杭が立っているのだが・・・・こんなところまで積雪があったんだと思うと恐ろしい感じがする。
ホント、街がすっぽりと雪に覆われるような感じだね。
やっと、待ち合わせ列車が駅に到着。オイラも列車に乗り込む。
キハ110は再びディーゼル音を雪で覆われた山間に響かせながら出発していく・・・・
終着の戸狩野沢温泉駅に到着した。
JR駅の中で日本最高積雪量を記録した「森の宮原駅」 ここで、十日町方面の列車と待ち合わせであったが、遅れている為、しばし停車することに。幸運にも時間がとれたので、ホームにでて撮影。 今でも凄い積雪があるのに、日本最高積雪を示す表示は更にその上であった。非常に天気がよく、青い空と残雪、そしてキハ110・・・・ なかなか雰囲気のいい構図だ・・・・ |
戸狩野沢温泉駅で再び乗り換え。 ここからキハ110は2両で運転される。 ここから長野までは結構、乗車率も高いようだ。 やはり、スキー帰りって感じの人が多かった。 |
ここで再び、乗り換えだ。この駅は、野沢温泉、戸狩という有名なスキー場が周辺にあり利用客も多い。
しかし、多いといっても昔とは違って、みんな車が移動手段になってしまい、昔ほどの賑わいはなくなったのかもしれない。
ここでキハ110は2両となり、終着の長野へと向かう。ここからは、乗客が多くなりローカル線という雰囲気はない。
終着長野駅へ到着する頃には、通勤列車並の混雑となっていた。長野駅を目の前にして信号停止。
おかげで、長野駅到着が遅れてしまったようだ。ここから、新幹線や特急「しなの」に乗り継ぐ人々が足早に駆けていく。
それを横目で眺めながら、普通列車を乗り継いで散歩するオイラには接続時間がたっぷりとある。
ゆっくりと、篠ノ井線ホームへ移動して普通列車を待つ。
この篠ノ井線・・・長野の2大都市、長野と松本を結んでいるので、結構利用客がある。
その大半は山岳路線といった雰囲気で、山の中を疾走する。ほぼ、平行に走っている高速道路「長野道」も山岳高速道路の
雰囲気をあわせ持つ。
乗車率が結構高い普通列車で最終目的地、松本を目指していたのだが・・・・
天気も良かったので、途中のスイッチバック駅「姨捨」で途中下車した。
ここ、姨捨駅からの眺望は素晴らしい!日本のJR路線において、3大車窓のひとつとなっている。
(この3大車窓・・・古くから鉄道ファンなどのあいだで語り継がれてきたもので、この姨捨駅の他に、JR北海道根室本線の
新得駅〜落合駅間の狩勝峠、JR九州肥薩線の矢岳駅〜真幸駅間がある)
篠ノ井線にはかつて、三ヶ所のスイッチバック駅、信号場があったが、今ではここ、姨捨駅のみとなっている。
ここで周辺を散策していたら、今度は貨物列車がスイッチバックに入った。
かつて長野方面の貨物列車は信越本線経由で走っていたが、長野新幹線の開通、横川〜軽井沢の廃止、しなの
鉄道への移管等で、篠ノ井線経由が多くなったと聞いており、ここを通る貨物列車が多くなっているようだ。
先頭を引っ張っている電気機関車は、最新のEH200−3(通称、ブルーサンダー)。
この青色の車体が今迄の電気機関車のイメージを変えている。なかなか、いい雰囲気の車両だ!
鉄小僧でなくても、ついつい視線がいってしまうような車両だ。
陽が西に傾き始め、この駅周辺も寒くなってきた。そろそろ、松本方面の列車が来る時間だ。
ホームで待っていると、下に見える鉄路に列車がみえてきた。いったん、駅の先まで行って、バックでホームに進入してくる。
姨捨駅からの善光寺平は素晴らしい眺望だ。 日本の3大車窓と呼ばれている。 周辺には田毎の月で有名な棚田がある。 |
姨捨駅で出会った「ブルーサンダー」 その青い車体は貨物の花形だ! 間近で見たのははじめて・・・・ |
ホームって場所はなんで、こんなに寒いんだろ??っと思いながら列車に乗り込んだ。
中はほどよく暖房が効いており暖かい。冷えた体を暖めてくれるには充分だ。
そして、ほどなくして出発。スイッチバック駅である姨捨を後にした。
山間部を抜けて、松本平に出た。そろそろ、最終目的地である松本まであともう少し・・・・この旅も終わりを告げる・・・・
いや、終わりじゃなく始まりだ!今までは、クルマを使っての散歩が多かったが、今回列車、それも普通列車のみでの散歩・・・・・
ぼんやりと車窓を眺めながらの移動・・・・久しぶりの感覚で新鮮だった。
昔、移動手段の花形は列車だった。確かに、そういう時代が存在した。
今回、立ち寄った駅・・・無人駅がほとんであったが、そこにはかつて移動手段の花形が鉄道であったころがあったのだ。
たとえ今は無人駅であったも、駅員がいて改札を行っていた時代があったのだ。
駅員がいる有人駅でも、今みると無用とも思える長大列車を迎える為の長いホーム、これもかつては必要であったのだ。
今回の散歩を通して感じたのは、たとえ移動手段が飛行機や自家用車に変わったとしても、鉄道ってものがかつて移動の花形で
あったことを再認識する散歩だったような気がする。
さらに、オイラ自身がそれを確かめたくて、今回の散歩へ出掛けたような気がする。
その昔ガキの頃、、踏み切りで警報機が鳴ることにワクワクしたものだ。列車がくる!ってね・・・・
踏み切りで警報機が鳴らないかなぁ〜!って思っていたガキの頃・・・・・
最近、廃線とかいろいろとあって、移動の花形を自家用車とか航空機に譲ったとはいえ、鉄道に対する思いが今回の行動を起こした
ような気がする。オイラの心の中では、いつまでたっても鉄路に思いを馳せているのかもしれない。
このような素晴らしい鉄道文化を育ててきた国、日本って国の再発見だったのかもしれない。
これから、やはりクルマを使っての散歩が主な手段となってしまうが、たまには列車を使ってのんびりと移動して日本再発見散歩
に出掛けたいと思っていた・・・・
そんなことを車窓をながめながらぼんやり考えていると、列車は静かに松本駅のホームに滑り込んだ。
カメラを満載したリュックを担ぎ、列車を降りる・・・・・
今日はこの重いリュックを背負い歩き、体は疲れているのだが、列車を使った日本再発見の散歩だと感じたのか、軽く感じる足取り
でホームの階段を駆け上がっていった。
〜その2に続きます〜
長々と読んで頂き、ありがとうございました。
ここで紹介した写真・・・・その2も含めて別サーバーにアップしました。
是非、御覧頂き散歩日記の雰囲気を味わってください。
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