私は、今、走っている。
これまでにないってくらい、全力疾走で。
急いで、彼に会わなくちゃ。
じゃないと、また…泣いてしまいそうだから。

お願い、そこにいて。



下校時間には少し早いこの時間のバスは、乗客も疎らだった。
後方の席の窓から見えるのは、もう何度も通って見慣れた風景。
彼の部活を見に行くために、いつもこの路線のバスに乗った。
いつもなら、彼に会えるのが嬉しくて、停留所なんて無視して早く着けばいいって、無茶なことまで考えてたのに。
今の私には、そんなこと考えられない。
夢の中の彼の後ろ姿を思い出して、ギュッと目を瞑る。
私のことを拒絶する背中に、せっかく一歩踏み出そうとした足が竦む。
じゃあ、もう止める?彼とは、これっきりにする?
………そんなの、嫌だ…出来るわけない…。
バスに乗ってから、ずっと考えていた答えは、今も出ていない。


私の考えがまとまるまで待っててくれるはずもなく、バスの車内アナウンスは聞き慣れた停留所を告げた。
ここで降りれば、彼に会える…乗り越してしまえば、彼に会わずにすむ。
どう足掻いてみても終わっちゃう…どうせ終わるなら……!
バスは、そろそろと停留所から離れようとしていた。

 「すいません!降ります!」

私の声に、バスはブレーキ音を響かせる。
乗客は私を振り返り、運転手は怪訝な顔をして渋々とドアを開けた。
追ってくる視線を振り払って、私は駆けだす。
授業も終了する時間帯、ぽつぽつと学生達の姿も見えてきた。
学生服や、セーラー服の生徒達が下校する列を、逆走して走るブレザー姿の私。
もう少しで、校門が見えてくる。
私は、躊躇することなく、そこへ飛び込む。
もう引退している彼が、そこにいるかどうかなんて、確認しようとも思わなかった。
彼がいる場所は、そこしかないと思ったから。
だって、あんなに大好きなテニスだもん…中学卒業がタイムリミットなら、ギリギリまで触れていたいと思うはず。
最後まで身体中で、大好きなテニスと仲間達を、感じていようとしてるはず。
それで全部を振り切ろうとしてるなら、私にとってもタイムリミットだ。
私だって、ギリギリまで彼と一緒にいたい。
たかが夢なのに、これほどこだわるなんて、どうかしてるのかもしれないけど。
夢の中でも、夢から覚めても…あんなに悲しい気持ちになるのだから、これはくだらないことじゃない。

だからお願い…そこにいて…今、彼に会えないと、私は泣いてしまいそうだ。

校庭に入り、校舎の脇を抜けると、遠くから部活動中の生徒の声が聞こえてくる。
いつも彼がいるテニスコートはもうすぐだ。
体育のときだって、こんなに真剣に走ったことはない。
息苦しい、膝が抜けそう。
そういえば今日は、朝から髪もメイクも適当で、こんなカッコ見られたくないかも…なんて、チラッと頭を掠めた。
いつもなら結構気合入れて、めかして澄まして会ってたのになぁ。
これじゃホント、サヨナラされても当然じゃん。
自分の情けない姿に、呆れて苦笑いして、目の前の景色がゆらりと滲んだ。
まだ…まだ、ダメ……必死に、言い聞かせながら、私は彼へと向かって走っている。


前方に、鮮やかなトリコロールカラーのジャージの背中を見つけて、思わず息を詰まらせた。
見間違えるはずない、広くて、大きな背中。
私が、一番最初に好きになった姿。
息が上がってて、思うように声が出てこない。
このまま私に気付かずに、彼がずっと遠くに行ってしまう。
大きな声で言いたいのに…叫びたいのに……待って、行かないで!って…。
あの夢が、現実に、なる…。

…嫌、いや、イヤ……。

 「――― …さ、ん……カさ…タ、カさ…ん…。」

それは小さな呟き程だったのに、彼は、足を、止めた。

 「…タカ…さ、ん……。」

お願い…お願い、気付いて…。
彼が、ゆっくりと、振り向いた。



 「タカさんっ!」

荒い息が、落ち着く合間に、私は彼の名前を呼んだ。
彼の視線が私を捉え、吃驚したのは一瞬で。

その時の彼の表情に、私はこれまで堪えてたものが、急に溢れ出して止まらなくなった。

 「どうしたの?ちゃん…急ぎの用なら、電話くれればこっちから行ったのに…。」

不安げに瞳が揺れるタカさんに向かって、私は一気に距離を詰めて。
その勢いのまま、大きな胸に飛び込んだ。
数歩よろけたけど、私が飛び付いたぐらいではタカさんはビクともしない。

 「大丈夫かい?こんなに走って…。」

荒れる呼吸が嗚咽に変わって、抱きついたまま泣き出した私の髪を、タカさんは静かに何度も梳いてくれる。
走って乱れ、汗を吸ってはねてしまった髪は、私の気持ちと一緒にタカさんの大きな手で落ち着いていく。

 「……夢…見た、の……タカさん…さよなら、って…私に……だから…。」

しゃくりあげながら、途切れ途切れに話す言葉は、きっと文法なんて丸っきり無視してて。
ユニフォームにしがみ付いたまま単語を並べる私に、タカさんはずっと相槌をうちながら頭を撫ぜてくれる。
タカさんが触れている部分から、あの嫌な夢の欠片が少しづつ消えていくような気がした。
やっぱり、さよならなんて、嫌…タカさんの側に、いたいよ…。


髪を撫ぜていた彼の大きな手が、不意に動きを止めた。
そのまま背中に回されて、私は彼に包まれる。

 「もしかして…夢の中で俺は、君のことを傷つけてしまったの?」

頭の上から聞こえる声は、少し震えている。

 「俺は、君を、不安にさせてるのかな…。」

私を包む彼の腕が、力を増す。

 「あんまり会えないし、気の利く事も出来ないし…君は可愛いから、俺よりも似合いの人がいるんじゃないかって…。
  俺の自信のなさが、こんなに君を不安にさせたのかな。君はいつも、俺を真っ直ぐに見ててくれたのに…。」

タカさんは今まで、これほど強く私に触れることはなかった。
手を繋いだ時だって、本当にそっと、指先が触れるか触れないかってくらいだったのに。
あれほど溢れていた涙は止まり、私は身体中が熱くなるのを感じた。

 「ねえ、ちゃん…もっと、俺を頼ってくれないか?俺が、自信を持てるくらい。」

腕の中から見上げたタカさんの顔は、試合中のような真剣な顔。
そうか…不安だったのは、私だけじゃなかったんだ。
私達は中途半端で…違う学校だからとか、お互いの事情とか、考えすぎて。
たまには、わがまま言ってもよかったのに、それで勝手に不安になってただけなんだ。
でもね、もう、私は決めたから…タカさんと、離れたくないって。
今、言ったことを後悔しちゃうくらい、甘えてしまうかもしれないよ?


思いっきり背伸びして、彼の首筋に両手を伸ばした。
小さな私は、ぶら下がってるようにしか見えないけど、大きなタカさんを、抱きしめたつもりだった。

 「あの夢を、逆夢にしてね。タカさん。」
 「うん…頑張るよ。」

照れて真っ赤になったタカさんは、それでも真っ直ぐ私を見つめて、はっきりと言ってくれた。

あの夢のように、さよならなんて、言わないで。
お願い、ずっと、側にいてね。

今日のところは、仲間達の冷やかしの声が、コートから聞こえてくるまで。


END


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<2006.11.25>

この夢を見て、1日どんよりしたのは私です(苦笑)
夢を見たってだけの話なのに、こんなに長くなるとは思わなかった…。
最後の方しか、タカさん出てないしねぇ。
この主人公が、他作品のお友達というのが裏設定。
なんとなく、繋げてみたり。