22 キス

※仁王柳生の28のお題より


その日は、朝から雨が降りそうだった。
部活が終わるまでどうにかこらえたものの、雨の気配はまだ消えない。

少し遅れて部室に戻ると、着替え終わった丸井くんや切原くんがファミレスに寄って帰ろうと盛り上がっていた。
会話に入らずに着替えていた私は、真っ直ぐに帰るつもりでいたのだけれど。
いつも断ってしまうのに、懲りずに声を掛けてくれる。
そんな彼等の気持ちが嬉しくて、たまには一緒に行ってみようと思いたった。
この後、特に用事がある訳でもなかったから。

仁王くんとは、途中まで帰る方向が同じという事もあり、気が付けば一緒に帰るようになっていた。
そのためかどうかは不明だが、彼等に付き会って行くと言うと、彼も行くと言ってくれた。
そういえば、最初の頃はいつも丸井くん達に付きあっていた仁王くんが、私と帰るようになったのはいつ頃からだっただろう。
気が付けば、仁王くんと一緒に帰る事が、当たり前のように感じている。

既に空腹に耐え切れず、一足先に丸井くんたちは向かってしまった。
何度も食い下がる切原くんに根負けしたのか、今日は柳くんの姿もあった。
幸村くんと真田くんは、部誌を付けてから帰ると言うので、少し気は引けたが先に部室を出る。
見失ってしまった丸井くん達に少し焦り、急ごうとした私に対し、仁王くんは追いつこうとする素振りも見せない。
「行き先はわかっとるから、焦らんでもええよ。」と、相変わらずマイペースだ。
どこか気だるげな様子に、もしかしたら調子が悪いのでは?と思い尋ねれば、「心配いらん。」と一言返されただけ。
今日の仁王くんは、いつも以上につかみどころがなく感じた。

中学生の懐では行く場所は限られていて、仁王くんの言う通りに着いたファミレスに、待ちくたびれた様子の丸井くん達が席を確保していた。
久しぶりに、こういう場所でみんなと話をするのは、やはり愉しい。
最近の柳くんは、部長・副部長となった幸村くんと真田くんをサポートしたり、後輩である切原くんの指導をしたりと、ずっと忙しそうにしていた。
以前はお互いに好きな本の話などもしていたが、そんな状態では話しかけるのも申し訳なくて。
隣に座った事もあり、今日は少しゆっくりと話が出来た気がする。
向かいに座った丸井くん達が、クラスであった事なんかを面白おかしく話してくれて、それを聞いているだけでも愉しかった。
この次は、幸村くん達も一緒に来られたらいいと、思った。
ただ、隣にいた仁王くんは、軽く相槌をうつ程度で、終始口数が少なかった。
本当は、具合が悪かったのに付きあわせてしまったのではないかと、少しだけ心が痛んだ。


愉しい時間は過ぎるのが早く、もう、窓の外はすっかり暗くなっている。
それぞれ家路へ向かい、仁王くんと二人、いつもの道を帰る。
その間も、仁王くんはやはり無言で、大丈夫かと聞けば頷くだけの繰り返し。
そんな状態のまま、いつもの別れ道へとさしかかった。
私は、いつものようにここで別れると思い、挨拶をしようとした。
だが、それまで無言だった彼の口から、思いがけない言葉が飛び出した。

 「家まで、送る。」

いったい、どうしたというのだろう?
いくらもう夜も更けてしまったからといって、私だって男だ。
独りで夜道を歩くくらい、どうということは無い。
送ってくれると言う申し出はありがたいが、それでは仁王くんの帰るのが遅くなってしまう。
そんなこと、させるわけにはいかない。
なのに、仁王くんはさっさと歩を進めている。
そちらは、私の家の方向だ。
私は、仕方なく仁王くんの後を追った。
何度もここでいいと言ったが、仁王くんは聞かなかった。
暗く厚い雲に覆われた月が、朝から消えなかった雨の気配を徐々に色濃くしていた。

結局、仁王くんは私の家の前まで送ってくれた。
ほんのりと灯りがともる玄関先で「ありがとうございます。」と告げ、ではここで、と家に入ってしまうのも気が引けた。
だからといって、上がってお茶でも、と誘うのも、ここから仁王くんの家までの道中を考えると、申し訳なく思った。
途中まで送ります、といえば、堂々巡りになるだけだし。
そんな私の胸中を知ってか知らずか、じゃ、と後ろ手に手を上げて、仁王くんは背中を向けた。
声を掛けようとした瞬間、一滴、水滴が街灯に照らされた道を濡らした。

雨が、降る。

そう思い、仁王くんを呼び止める。
「せめて、傘を持って行ってください。」と言う私に、彼は首を振る。

 「走って帰るけぇ、いらん。」
 「ですが、雨に濡れて風邪でもひいては、大変です。」

無理にでも傘を持たせようと、急いで玄関のドアを開けようとしたが、それは叶わなかった。
私の左手首は、しっかりと彼に捕まれていたからだ。


 「いらん、言ぅとるじゃろ。」
 「でも…。」

俯いている仁王くんの表情は、覆われていく薄闇に紛れて見えない。
怒っているのだろうか?
握り占めている彼の左手に、力が篭る…痛い…それに……熱い…。
でも、もし彼が機嫌を損ねてしまったとしても、家に着くまでに本降りになってしまったら…。
それで、体調を崩したりでもしたら…。
とりあえず、傘を…。

頭の中を巡る言葉が、私の口から声となって零れることは叶わなかった。
何が起きたのか、わからない。
ただ一つだけ、確かなのは、息が詰まるほどの、痛みと、熱…。
さっきまで左手首を捕えていたものが、一瞬にして全身を覆いつくしてしまった。


視界の端に揺れる、僅かな光を弾く、銀の糸。
鼻腔をくすぐるのは、少し汗まじりの彼の匂い。


私は…。
仁王くんに…。

抱きしめられて、いる…?


私の思考がそこに辿りつくまで、どれほどの刻が過ぎたのか。
気付いた途端、反射的に彼の腕から逃れようと身をよじる。
その行為に、仁王くんは一層、拘束を強めた。
高まる鼓動が、彼にも伝わってしまいそうだ。
正直、今まで、こんな事態に陥ったことは無い。
痛い…熱い…身体が……胸、が…。
どうしたらいい?
成す術もなく、動揺するばかり。

私の肩口に顔を埋めていた彼が、ゆっくりと身を起こす。
首筋から頬へとかかる、暖かな彼の息づかい。
思わず堅く瞼を閉じれば、光の余韻の中に響いた彼の、少し擦れた、震える、声。

 「好いとぉよ…柳生……。」

多分、無意識に、私は考える事を放棄した。
茫然としたまま、その言葉だけが、私の中に落ちてくる。

 「好いとぉ…。」

落ちてきた言葉は、そのまま私の唇に触れた。
少しヒヤリとした感触に、焦がれる程の熱を込めて、ほんの一瞬、掠めるだけの。

なんて、熱いのだろうと、思った。
意識も、身体も、何もかも、感じることを放棄したのに。
ほんの一刹那のはずなのに、触れた部分だけ、なんて…熱い。


背中に回された彼の腕が、ゆっくりと解かれていく。
頬に、肩に、腕に、名残惜しげにそっと触れながら。
彼が与える、微かに震える指先の感触だけを、肌に残して。


 「傘なんぞ、いらん、から…。」


ポツリと、小さな呟きが、零れる。
そのまま仁王くんは、背を向けて駆けだした。
虚ろな視界に、駆けていく背中が小さくなっていく。



ポツリ、ポツリ……。
彼の呟きのように、零れ落ちてきた、雫。
家の屋根を、乾いた道を、立ち竦み動けない、私の髪を肩を背中を…。
静かに、ゆっくりと、湿らせていく。


あぁ、とうとう、降ってきてしまった…と、漠然と思った。
そういえば、仁王くんに、傘を渡しそびれてしまった…と、少し落胆した。
あまり、雨にあたらなければいいなぁ…と、願う。
風邪をひいたりしなければいいなぁ…と、案じる。
明日には、この雨も止んでるといいなぁ………と………。


頬を伝い、熱の篭る彼が触れた部分を、濡らす雫。
その雫を拭うように、そっと、指を当てた。


触れた途端、ピリッとした刺激が、身体中に走る。
彼が落とした、熱が、蘇る。


雨粒とも、涙ともしれない、暖かな雫が、頬に零れた。
一体、どうしてしまったのだろう?


あぁ、そうか…。


私は。



仁王くんと、キスを、してしまったのだ…。




雨は、容赦なく、降り注ぐ。

私は、蘇る熱に浮かされて、ただ、立ち尽くすだけだった。


END

お題配布サイト様 ■仁王柳生の28のお題■

WEB拍手公開。<2008.10.28>
サイトUP。<2010.1.11>

約1年半くらい、拍手に置いていたものです。
本当に、長い間放置していて、申し訳ないですm(__)m
一体、家の前で何してるんでしょ…って感じですが。
もう暗いし、雨も降ってきたし、誰も見てないということで。
自分で言うのもなんですが、比較的甘い話になったと思います。

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