□ Angel Voice Like a Siren 編 □

文字を遡って、作家の頭の中に響いていたであろう
ファントムの声の実体に近づいてみよう


・・・――――――――――――・・・――――――――――――・・・
ファントムの声には、抗いがたい魅力で聴く者の心を自由に操り、判断力を低下させる、一種魔的な要素が含まれている。
崇高な芸術であると同時に、危険な誘惑でもある彼の歌声。
美しい歌声で旅人を死にいざなう海の妖精、セイレーンのように。

実際原作においてエリックは、彼の地下の住居を侵入者から守る為に、湖に”セイレンのトリック”を仕掛けて、無断で湖に船を浮かべたペルシア人の命を奪いかけているし(一本の細長い葦を使った、いわゆる水遁の術。ちなみにこのトリックを実行するたびに、エリックはずぶ濡れにならなければならない・・・)、またスーザン・ケイは、誕生直後のエリックの声に「魔女セイレーンの声のような」という表現を与えている。

彼の歌声にの中に含まれる「魔」の要素について、海の妖精セイレーンの伝説を絡めながら考えてみたいと思います。

si.ren [名詞]
1.サイレン、警笛
2.(しばしば大文字で)セイレーン
ギリシャ神話の中に登場する半人半鳥の海の精
美しい歌声で船乗りを誘い寄せ、船を難破させる
3.(けなして)魅力的な美女 妖婦

siren song [名詞]
誘惑する言葉やその魅力 特に魅惑的な 人の心を惑わせるもの。


ホロメスの叙事詩『オデュッセイア』の中に登場する海の妖精。
シチリア島の近くに住み、甘い歌声で船乗りを誘惑し、船を難破へと導く。
ギリシアの英雄オデュッセウスは、セイレーンの島の近くを通りかかる時、魔女キルケーの忠告に従って乗組員の耳をロウで塞ぎ、自身を帆柱に縛り付けてこの難所を乗り越えた。
またアルゴーの探検隊の物語(ギリシア神話の遠征冒険物語)では、メンバーの一員であった竪琴の名手オルフェウスの素晴らしい歌に、セイレーンの歌の魅力はかき消され、船は無事に通り抜けることができた。
これらいくつかの敗北の後、セイレーン達は自害して岩になったともいわれる。

当初は女性の頭に鳥の体を持つ妖怪であったが、次第に人間色が強まり、上半身が女性、下半身が鳥の姿となる。
中世以降に、滑らかな魚の下半身と美しい女性の上半身を持つ、艶めかしい誘惑者としての人魚説が台頭し、現在の「人魚」のイメージ形成に大きく影響している。

一説によるとセイレーンの歌に魅せられた者は、餓死するまで陶然とその歌を聴き続けるそうです。セイレーンの伝説、およびセイレーンとオルフェウスの「歌の闘い」の背後に、「音楽」や「歌」というものに対する、当時の人々の意識が垣間見えるような気がしますね。
誘惑するもの、性的なもの、堕落させるものとしての「歌」と、神聖なもの、堕落から護るものとしての「歌」があると。

セイレーン伝説の初期、『オデュッセイア』におけるセイレーンたちの歌は、単に美しい声で船乗りを誘惑するに留まらず、「我らのもとへ来なさい・・・この世のあらゆる真実を、災いを、恵みを、知識を歌い与えよう」という、まあ私だったら間違いなく二つ返事でついて行って餓死するであろう、人間の好奇心や知的欲求に対する誘惑を備えた歌の内容だったようです。
そういえばファウストを誘惑した悪魔、メフィスト・フェレスの誘い文句も、知への欲求を刺激するものでしたねぇ。
しかし中世になって、美しい女性の容貌を持つ誘惑者としてのセイレーン像が強まるにつれ、性的・肉体的誘惑の要素が強くなっていったようですね。
何にせよこの伝説で注目すべき点は、古くから「歌による堕落への誘惑」という考え方が存在したということです。

この古来より人間の意識の中にあった音楽に対する認識の一面、つまり美しい音楽=性的な魅力を持つもの、誘惑するもの、麻薬のように人を溺れさせるもの、という図式は、エリックの声の中に含まれる「魔」と直結し、また『オペラ座の怪人』の舞台の魅力の一翼を担っていると思います。
一翼を担っている・・・というよりは、むしろ最大限にその図式を利用して作られたミュージカルである、というべきかも知れません。
マリア・ビョルンソンの美術に、ジリアン・リンの振り付けに、チャールズ・ハートの歌詞にふんだんに織り込まれた「性的な」記号は、アンドリュー・ロイド=ウェバーの、頭の芯が痺れるような甘美な音楽と結びついて、我々の心の中にある図式にぴったりとおさまる。

実は音楽に対して、人間がある種性的な快感を覚えるのには、それなりの理由がありまして、最新の「音楽と脳」に関する研究によりますと、音楽によって感じられる快感は、美味しいものを食べる・セックスをするといった生理に関係の深い快感、またはアルコールやコカインといった中毒性のある物質が生みだす快感と、ほぼ同じ脳神経システムを使ってもたらされているそうです。
つまり音楽によって快感を得ている時の脳の状態と、セックスやコカインによって快感を得ている時の脳の状態がきわめてよく似ているわけです。

舞台の上のファントムの囁きに耳を傾け、音楽のもたらす陶酔をむさぼる我々は、さながらセイレーンの歌声に魅了された旅人のようなものか。
劇場という名のセイレーンの島。
命の代価としての1万円は・・・まぁ安い?
(ハッ、とり憑かれている・・・・)



余談ながら、ドラえもんの長編映画『のび太の魔界大冒険』の中でもセイレーンが登場します。しかしジャイアンが「オレの歌のほうがうまい!」と歌い出し、そのあまりにもひどい歌声に耐えかねてセイレーン達は退散してしまうのだ。
・・・・ジャイアン万歳!

← Back