□ Kiss of waking □

おとぎ話の中では、キスはいつも不思議な力を持っているが、
(カエルを王子様に戻したり、眠り姫を目覚めさせたり)
クリスティーヌのキスは『オペラ座の怪人』の物語の中で
どのような力を持っているだろうか。


・・・――――――――――――・・・――――――――――――・・・

例に挙げられているおとぎ話で考えてみると、共通しているのは「愛による呪いからの解放」、そして「肉体・精神を含めた目覚め」と「本来の姿へ戻る」という点ではないかと思います。
その人にとって異常な状態(カエルの姿・眠り続ける)から正常な状態へ。

これはもう、そのままファントムとクリスティーヌに当てはめてしまってもいいのではないでしょうかね。
クリスティーヌは先にも書いたように、これまでの自分を受容し、父親への心理的依存から自立への一歩を踏み出すためのキス。
ファントムにとってもあのキスは 、本来の姿を・・・己の真の願いを思い出させるものだったのでしょう。
つまり「私が望んでいた事は、何だったのだろう?」 と。

本来の願いというのは、案外簡単に見えなくなってしまうものなんですよ。
子どもが生まれた時、親は何がなくてもこの子が健康で、幸せであってくれればいいと願う。
でもその子が育っていくうちに、もっと頑張りなさい、もっと勉強しなさい、もっと、もっと、と要求ばかり増えて、ついつい「本当にダメな子ねぇ・・・」などと愚痴の一つもこぼしてしまう。ありがちですよね(笑)
現実は願いだけで生きていけるほど甘くはないから。
欲が願いを曇らせ、手段が願いにとって代わる。

ラウルの命とひきかえに、クリスティーヌに愛を強要することが望みだったのか?
人を殺し、挙句にクリスティーヌを苦しめることが?
ただ彼女が側にいて、二人で静かに夜の調べを歌う・・・ささやかな願いだったのではないのか。

原作のエリックがラウルとクリスティーヌを解放したのは、実に素朴でありきたりの(普通の人間にとっては、ですが)理由だったのですよ。
「なぜなら彼女はわたしと一緒に泣いてくれたのだから 」
生き生きとした表情で彼の帰りを待ち、そっと額を差し出す。
ごく当たり前のフィアンセのように。
仮面を取っても逃げ出さず、泣いている彼と一緒に泣いてくれた。
ごく当たり前のフィアンセのように。

ファントムの最後のアイラヴユーは、彼の願いの結晶なんでしょうね。
一切の余計な要素を取り払った、彼が望んでいたものの全て。
だからあんなに哀しく、そして美しいのだと。

← Back