歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記第二次世界大戦の戦車・戦闘機・戦艦>空母「赤城」

   

空母 赤城 


 空母「赤城」は、全長260.67メートル、全幅31.32メートル。20センチ砲×6。12センチ連装高角砲×6。25ミリ連装機銃×14。搭載機は66機。

 この空母赤城は初陣は1941年の真珠湾攻撃です。12月8日AM1時30分(日本時間)。赤城から九七式艦上攻撃機27機と零戦9機が飛び立ちます。AM3時19分。各機が真珠湾上空に到達したことを確認し、赤城から飛び立った攻撃隊総司令官の淵田海軍中佐は「トトト・・・」の暗号を命令。これは、「全軍攻撃」を意味します。その4分後に淵田は赤城に向け「トラトラトラ」を打電。有名な「奇襲成功」の暗号ですね。

 この空母「赤城」ですが、実は当初から空母として開発されてきたわけではありませんでした。当初の計画では巡洋戦艦として建造される予定でしたが、1922年のワシントン海軍軍縮条約によって戦艦の保有数を制限されてしまったんです。そこで、赤城は空母として改造することが決定。20センチ砲を装備するなど巡洋戦艦の面影を残す空母となりました。

 真珠湾攻撃により華々しいデビューを飾った空母「赤城」。その後インド洋作戦にも参加。しかし、ミッドウェー海戦にてアメリカ空母「エンタープライズ」から飛び立った艦上機により猛攻撃を受けることになります。その時の赤城の格納庫には零戦3機、魚雷を装備した艦上攻撃機18機などがあり、これらが、その攻撃により炎上。空母「赤城」の搭乗員は、逃げることに成功するものの赤城は燃え続けます。そして最終的には苦渋の決断により日本は日本の駆逐艦の魚雷により赤城を処分することを決定。

 1942年6月6日AM2時10分。空母「赤城」は海に沈むことになりました。