ウォーレン・バフェット
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50年以上にわたり勝ち続ける投資の神様。ウォーレン・バフェット。株を勉強している人なら100%知っている人ですね。
アメリカの投資家で、その資産は7兆円ともいわれています。
バフェットが初めて株を買ったのは何と11歳の時。11歳で株買うなんて!普通は、ラジコンとかゲームとかカードとかを欲しがる年ですよね。それが株ですよ。バフェットとは、いったいどんな人物なのでしょう。
ウォーレン・バフェットの幼少期から学生時代
バフェットが生まれたのは1930年。世界大恐慌といってアメリカのニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。これが広がり、世界的な不況となったのが1929年です。つまり、その最中に生まれたわけです。
バフェットの父は地元で株式の仲買人の仕事をしていたんですが、不況のあおりで貧しい暮らしを送っていました。
バフェットは、幼いころから数字に強かったようで小学5年生のころには「世界年鑑」を読みふけり、都市の人口をすべて暗記していたといいます。
小さな頃から、お金に興味があり6歳のときに祖父の経営する雑貨店からコーラを6缶25セントで購入して、それを1本5セントで通行人に売るなどしていました。後にバフェットは、コーラの株を大量に購入し、大株主となっていますが、当時からコーラには縁があったんですね。
さて、ウォーレン・バフェットが最初に株を購入したのは11歳の時。父が株の仲買人だったので、その影響でしょう。姉と一緒にシティ・サービスという会社の株を1株38ドルで3株購入しています。
しかし、その株は暴落。1株27ドルになってしまいます。姉もバフェットの勧めで株を購入しているので激怒されたことでしょう。それでも、1株40ドルになるまで待って売却。ですが、数年後、シティ・サービスの株は200ドルにまで上昇するのです。売却せずに持っていれば、もっと儲かったわけです。
この経験を通じてバフェットは、忍耐の大切さを学びます。
1942年にバフェットの父が共和党の下院議員に当選し、ワシントンに引っ越します。この時、バフェットは、ワシントンポストの新聞配達の仕事をしていますが、後にバフェットはワシントンポストの株も大量に購入することになります。
ワシントンに引っ越しはしたものの、バフェットは、その生活になじめず、オマハの家に帰って祖父の家から中学校に通うようになります。
高校生になり、ワシントンに戻ったバフェットは、ウッドローウィルソン高校に通います。この時にバフェットは、友人と中古のピンボールマシンを25ドルで譲ってもらい、それを散髪屋に置いて、その儲けを散髪屋の主人と折半するという商売を始めます。
初日だけでも4ドルの儲けを出し、その後、7台のマシンを所有。毎週50ドルの儲けを出し、その後、この事業を退役軍人に1200ドルで売却しました。
ウッドローウィルソン高校は、途中で退学。オバマに戻って地元のネブラスカ大学に通うようになります。
この大学4年生の時に近代投資理論の父と呼ばれるグレアムの「賢明なる投資家」という本に出合います。これに感動!この人がコロンビア大学のビジネススクールで教えていることを知り、コロンビア大学へ入学することになります。
グレアムの投資理論
グレアムの投資理論は、企業の本質価値を見極まることが重要としています。株価というのは、企業の価値以上に高騰したり、業績が良くても株価の下落が続いたりすることがあります。しかし、そういった日々の株価の変動にはあまり惑わされるべきではなく、企業の収益力や財務状態、将来の見通しなどを分析し、企業の本来の価値を見極めるのが重要。長い目で見れば、企業価値と株価は等しくなるものであるという理論です。
現在では、常識となっている「バリュー投資」というものの理論で現在でも、この理論を用いて投資を行っている方も多く、バフェットもこの理論を徹底させてきました。
1952年、ビジネススクールを卒業するとバフェットは、再びオマハに戻り、下院議員を辞めた父が経営する証券会社で働くようになります。社員は5人ほどです。
1954年、バフェットは、グレアムの会社で働くことにし、ニューヨークに向かいます。もともとバフェットは、グレアムの会社で働きたくて、ビジネススクールを卒業し、グレアムの会社に就職希望を出すのですが、グレアムは就職に悩むユダヤ人をなるべく多く採用したいということでバフェットの就職を断っていたんです。グレアムのユダヤ人ですからね。バフェットなら他でいくらでも就職できるでしょってことだったんでしょうね。しかし、そのグレアムから電話があり、働かないかと誘われたんですね。
さて、グレアムのもとで働くようになったバフェット。彼の理論を徹底的に実践で学びます。
株式会社には「解散価値」というものがあります。「PBR株価純資産倍率)」なんて言い方もありますね。
PBRというのは、株価÷1株当たり純資産 1株当たりの純資産=(株主資本÷発行済み株式数)
通常、PBRが1を下回ることはないわけですが、1を切っていればかなりお買い得な株というわけです。
ちょっとわかりづらいですね。
もうちょと詳しくいいますと企業が保有している土地や建物、現金なんかの資産総額から負債総額を差し引いた純資産を発行済みの株式数で割ったものが1株当たりの純資産となります。
これを株価で割って1を切っていればお買い得なのです。
たとえば、純資産が100億あって発行済みの株が1億株だったとすると1株当たりの純資産は100円となります。この時、株価が50円だった場合、本来100円の価値のある株を50円で購入できるというわけです。
なぜなら、50円で株を1億株全部購入しても50億円ですね。50億で会社を買収して資産を売り払ってしまえば、資産は100億あるわけですから50億儲けられる計算なわけです。
まぁ、これはあくまで理論。実際に会社を買収するのは大変ですし、仮に買収に成功しても「じゃ、従業員全員、クビにして資産売り払いましょう」っていったってうまくはいきません。
ですが、理論上本来の価値よりもお買い得というわけです。
1956年にグレアムが引退。会社は解散します。当時、26歳だったバフェット。貯金は174000ドルありました。現在の価値ですと日本円で1億円以上の金額です。
バークシャー・ハサウェイを買収
バフェットは、地元のオマハに戻りバフェット・アソシエーツという投資会社を設立します。会社は順調に進み1962年に繊維会社バークシャー・ハサウェイの株を買い占めます。この繊維会社は日本やアジアの繊維産業に押され、経営悪化となっていたんです。なので解散価値を下回り、そこにバフェットが目をつけたんですね。
やがて、筆頭株主となり、この繊維会社を名称はそのままで実質的に投資会社へと衣替えしました。この会社が現在バフェットがCEOをつとめる会社です。
ウォーレン・バフェットの投資スタイルは、実際の会社の価値よりも安く評価されている会社、世の中に必要な会社、自らが気に入った商品を作っている会社に投資するというものです。
バフェットの投資スタイル
クレジット会社のアメリカンエキスプレスはスキャンダルにより株価が暴落するとクレジット産業の将来性を視野に入れ、大量に株を購入しています。
1965年にはウォルトディズニーの株を購入。1973年にはかつて自分が新聞配達をしていたワシントンポストの株を購入。
1988年には、ウォーレン・バフェットが大好きなチェリーコークを製造するコカ・コーラの株を買い占めます。
最近では、アップルの株も大量に購入しました。
変わった夫婦生活
投資の神様、ウォーレン・バフェットですが、夫婦生活はちょっと変わっています。
1977年から妻のスーザンとは別居生活となりますが、スーザンはバフェットがひとりでは炊事洗濯もできないだろうと友人のアストリッド・メンクスとう女性をバフェットに紹介します。
彼女とバフェットは意気投合し一緒に暮らし始めますが、スーザンとの離婚はしませんでした。
2004年にスーザンが脳卒中で亡くなるまで、不思議な三角関係を貫き、2006年にやっとアストリッドと再婚しています。
納税に対する考え
2003年の年次報告書で、バフェットは「我々が支払っている納税額は、ほぼ間違いなく我が国の高額納税者10社の中に入るでしょう。我々が支払う納税額と同じだけの額をわずか540人が支払えば、2億9000万人のアメリカ国民及び企業は所得税、社会保障費、相続税、固定資産税を支払う必要がなくなるのです。」と述べています。(『バフェットからの手紙』より文面は多少わかりやすく変えています)
つまり、金持ちが相応の税金を支払えば、他の人たちは税金を支払わなくても済むってことですね。しっかりとお金を稼ぎ、しっかりと納税することがバフェットにとっての正義なわけです。
また、巨万の富を得ても贅沢な暮らしは避けてきています。現在も住んでいるのは60年近く前に購入した住宅。大好きなものはチェリーコーク(コーラ)です。
さらに死後は、自身の資産の99パーセントを慈善事業団体に寄付すると発表しています。
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