北条政子は、源頼朝の妻であり、頼朝亡き後は政治の舞台へ立つことになります。
頼朝と知り合ってからの北条政子の人生は波乱に満ちたものでした。
北条政子が生まれたのは1157年。北条時政の長女として伊豆の北条で生まれます。
平治の乱の後、伊豆の蛭ヶ小島に流された頼朝。この頼朝の監視役として平清盛から言い渡されていたのが北条時政だといわれています。
源頼朝と北条政子が恋に落ちたのは、政子の父時政が京都番役を務めている間。その間に頼朝は北条政子に近寄り、恋仲となるのでした。
それを知った時政は、当然猛反対!平治の乱で敗れた源氏。頼朝は流人という身の上です。
何とか2人の仲を引き裂こうと時政は北条政子に別の男と結婚をするように進めます。しかし、いよいよ婚礼という夜。豪雨の中、頼朝のもとへと走り逃げるのでした。
2人の愛に結局は、時政が折れ、その仲を許すことになるのです。
そんな、2人にも転機が訪れます。流人とて頼朝はれっきとした源氏の御曹司。その頼朝に平氏を倒すチャンスが巡ってくるのです。以仁王(もちひとおう)の呼びかけにより平氏打倒に集まった各地の武士達。源氏の御曹司である源頼朝は弟の義経と共に活躍し平氏を破ることになるのでした。
そして、夫である頼朝は征夷大将軍となり鎌倉幕府を開くのですが、征夷大将軍任命から僅か7年後、落馬が原因で急死してしまいます。
愛する夫を亡くした北条政子は、髪をおろし尼になるのですが、そこからが普通の妻とは違うところ。何と政治の第一線へとおどりでることになるのです。
頼朝が亡くなった時、息子2人はまだ8歳と18歳。結局は、長男の頼家が後を継ぐことになるのですが、この頼家があまり評判がよくない。重臣の妻を横取りしてしまったりと・・・。結局は、頼家は失脚し殺され、その後を継いだ弟の実朝も頼家の子に殺害されてしまいます。
これらにより、北条政子は政治の表舞台に立つことになるのですが、尼となった政子が政治に関わったため、彼女のことは尼将軍とも呼ばれています。
また、承久の乱にて朝廷との争いとなったとき、北条政子は大演説にて家臣たちを鼓舞し勝利に導くなどの活躍もしました。
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