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徳川家康の謎


 日本人なら誰もが知っている徳川家康。江戸幕府を開いた人物です。

 そんな家康だから、いろいろな憶測なども飛び交っています。

 その代表的なものが、家康が本能寺の変の黒幕であったというものや家康影武者説です。



 
本能寺の変の黒幕は家康?

 徳川家康には11人の子がいました。長男の信康は、家康自慢の子で勇猛果敢、跡継ぎに申し分なかったといいます。「信」の字は、織田信長から「康」の字は父、家康から授かった名前ですので名前だけでも相当な人物であったことがわかります。

 しかし、生母である築山殿が武田家と通じているという疑いを掛けられて、築山殿が殺害された後に信長により信康も自害させられています。21歳の生涯で家康は彼の死を生涯悔やんでいたといわれています。

 これが、家康が信長を恨み、明智光秀をそそのかして本能寺の変を仕向けたのではないかというものです。

 
家康影武者説

 また、長男を亡くした家康は、次男の秀康ではなく、三男の秀忠を長男格に据えています。

 秀康は、生母の身分が低かったこともあるようですが、秀康は11歳で豊臣秀吉の養子に差し出されています。養子といってもようは人質です。

 しかし、関ケ原の合戦以降は、それまでの自分の子供たちへの接し方とはまるで違い、合戦以降に生まれた九男義直、十男頼信、十一男頼房に対しては、非常に可愛がり、頼房に関しては、いつも膝の上に抱いていたという親バカぶり・・・。

 その変わりように家康は関ケ原の戦いで死に、影武者へとすり替わったのではないかという替え玉説が唱えられるようになります。

 まぁ、単純に年をとってからの子は可愛いといいますけどね・・・。