返書を無くした小野妹子
|
小野妹子といえば、遣隋使第一号で有名ですね。彼は、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という国書をもって中国の隋に向かいました。
実は、これそうとう勇気のいる手紙なんですね。当時の中国といえば、日本から見て格上。その格上の国にたいして、「日が昇る国の王様である私が、日が沈む国である王様のあなたに手紙を書きましたよ。」っていう書き出しから始まる手紙を書いたわけです。
中国から見れば日本なんぞ、家来のようなものだと思っていたんでしょうが、その家来から「あなたも私も同じ天子だ!って同等の立場での手紙が届いたんですからね。
当然、隋の皇帝、煬帝は激怒したといわれています。
さて、その手紙を無事届け終えた小野妹子は、607年に出発し608年の4月に帰国しました。しかし、隋の皇帝から預かった返書を途中の百済で奪われてしまったというのです。
「おまえ、何のために中国いってきたんじゃい」
って当然、みんな怒ります。そして、小野妹子はあわや返書紛失の罪で流刑にされるところまでいきました。
しかし、それをさせなかったのが天皇だったといわれています。
一説には、隋の煬帝から預かった返書の内容がとても見せられるような内容ではなかったので小野妹子はそれを処分し、奪われたことにしたのではないか?そして、そのことを理解していた天皇は彼のことを罪に問うことをしなかったのではないか?といわれています。
まぁ、何にせよ、罰せられることのなかった小野妹子は、帰国から半年後、再び遣隋使として派遣されることになります。
|
|
|
|