歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記中国の歴史隋の時代

隋の時代

 
 (ずい)は589年に中国を統一します。しかし、618年には滅亡してしまう訳なので短命政権ですね。

 では、この隋について少し見ていきましょう。

 隋という国は、
楊堅(ようけん)という人物によって建国されました。建国されたのは581年です。都は大興(だいこう)という場所に建てられます。長安の近くですね。

 当時の中国は、南と北に分かれいくつもの国が争っていたのですが、それを隋が270年ぶりに統一します。

 この隋の国で行った政策で有名なのが
科挙(かきょ)です。これは、官僚を選ぶための制度ですが、以前にも同じような制度がありましたね。

 
前漢の時代 郷挙里選(きょうきょりせん)
魏の時代 九品中正(きゅうひんちゅうせい) 
隋の時代  科挙 

 前漢の時代の郷挙里選と九品中正は似たような制度です。地方で評判のいい人を中央に推薦する制度です。九品中正の方は、官僚を9等級の序列で分けたので九品。さらに、地方から優秀な人物を推薦する役人の職名が中正官という名だったので九品中正といいます。九品官人法ともいいますね。

 では、科挙がこれらとどう違うかというと筆記試験が行われたのです。これはかなり画期的であり、清の時代まで続く制度となります。公務員試験や身近なものですと高校、大学受験と一緒ですね。

 それまでは、豪族など力をもった人物であれば、強引に推薦人にお願いして息のかかった人物を中央に送り込むことができた訳です。実際、これにより政治が混乱をきたした時代もありました。

 しかし、テストがあるとなれば、それなりに力のある人物じゃないとさすがに官僚にはなれない時代になったのです。

 また、隋の第2代皇帝、
煬帝(ようだい)の時代には大運河が完成しました。中国には長江や黄河といった大きな河が東西に流れています。これによって、東西の交通の便はよかったのですが、逆に南北の交通が遮断されてしまっていました。そこで、大運河を作ったのです。



 @は楊堅の時代に作られたもので長江と淮河を結びました。これは、隋による中国統一前で587年のことですね。その後、煬帝の時代につくられたのがA。これはもっぱら経済的な目的で作られたようです。そしてBは黄河と北京を結びますが、こちらは軍事目的。高句麗遠征の為といわれています。そして最後にCをつくりあげ大運河の完成です。完成したのは610年です。結構早い・・・。まぁ、1から作り上げる訳ではなく、既存の小運河を繋ぎ合わせる工事だったのですが、それでも100万人以上が動員だれたというのだから大工事ですね。

 この隋ですが、冒頭でお話したように長くは続きませんでした。中国東北地方および朝鮮半島の北部を支配していた高句麗に対して3度も攻撃しますが、これがすべて失敗。そうなってくると農民から不満も出てきます。民衆に大工事などかなり負担を強いた訳ですからね。高句麗遠征に失敗した後は、各地で農民の反乱が起きます。そんな中、煬帝は殺害され、隋は将軍、李淵(りえん)・李世民(りせいみん)の親子によって滅ぼされるのです。


五胡十六国時代

唐の時代