五胡十六国時代から隋まで
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晋が南匈奴に滅ぼされると中国は再び混乱の時代へと突入していきます。
晋王朝の残党は、なんとか江南(こうなん)に逃げ延び、中国の南部に東晋を建国しました。
一方、中国の北部では、異民族が次々に侵入し、征服王朝を乱立していきます。匈奴(きょうど)、鮮卑(せんぴ)、羯(けつ)、(てい)、羌(きょう)の異民族です。この5つの異民族を五胡といいます。ちなみに、この時期を五胡十六国時代(ごこじゅうろっこく)といいますね。ただし、実際は16国どころか5つの民族が建てた国はもっと多かったのですが・・・。
このように、4世紀初頭から隋(ずい)により中国が統一される589年までの期間、中国は南北に分裂して、それぞれ独自の歴史が展開されていくことになります。
まずは、北の状況から見ていきましょう。五胡十六国時代の中、前秦(ぜんしん)という国により、中国北部は一時的に統一されます。前秦といっても、始皇帝の秦とは違いますよ。苻堅(ふけん)という人物によって建てられた国です。この苻堅は、その後、南の地域も狙い東晋と対立するのですが、これは東晋の勝利。この戦いを水(ひすい)の戦いといいます。
その後、439年に5胡のひとつ鮮卑が建てた北魏が華北を統一しました。これにより五胡十六国時代は終わりを告げます。しかし、この北魏も内紛が起き534年には終わりを迎えてしまうのです。その後、この地域には、西魏、東魏、北周、北斉という王朝が相次いで樹立します。これら北魏の統一から4王朝の時代を中国史では「北朝」といいます。
一方、中国の南の地域では、晋の一族である司馬睿(しばえい)が東晋王朝を樹立していました(317年)。しかし、こちらの地域でも東晋は長続きせず420年には滅亡してしまいます。東晋が滅んだ後は宋(そう)→斉(さい)→梁(りょう)→陳(ちん)と長続きしない王朝が続きます。
この宋から陳までの時代を「南朝」といいます。
宋 |
420年-479年 |
斉 |
479年-502年 |
梁 |
502年-557年 |
陳 |
558年-589年 |
そんな中、ついに中国を統一する国が現れます。隋です。この隋の前身は北周です。楊堅(ようけん)という人物が581年に建てた国です。
隋は589年に陳を滅ぼし中国再統一に成功するのでした。
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