カール大帝
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カール大帝とは、フランク王国の国王(在位768〜814)です。彼の時代に西ヨーロッパは、ほぼ統一されることになります。
まずは、北イタリアの脅威ロンバルド王国を滅ぼし、北ドイツのゲルマン人の一派であるザクセン族の領域を制服。東から侵攻してきたモンゴル系のアヴァール人の撃退にも成功し、南のイスラーム勢力も打ち破ります。
こうして、現在のフランス、ドイツ、イタリア北部、つまりほぼ西ヨーロッパ全土を制圧することになったんですね。
ローマ帝国が崩壊してから、久々に西ヨーロッパの統一です。これで東のビザンツ帝国(東ローマ帝国)と南のイスラーム勢力(後ウマイヤ朝)と並ぶ巨大な国家が誕生となります。
でも、今のようにインターネットも電話もない時代・・・。どうやって、この大きな領土を支配し続けようか?そこでカールは、全国を伯管区(州)に分割して、各地の有力者を伯(はく)という役職に任命しました。まぁ、今で言う州知事みないな感じですね。
さらに彼らが謀反など起こさぬように巡察使(じゅんさつし)を派遣して監督させたり、自らが兵を率いて巡察に回ったりしました。
また、カール大帝は、800年のクリスマスの日、ローマ教皇のレオ三世から帝冠を授かります。
これをカールの戴冠(たいかん)っていうんですが、どういう意味があったんでしょう?
それまでのカール大帝はフランク王国の国王ってところです。しかし、帝冠を授かったとなると世界の支配者、あるいはそれを目指す人といった意味合いになります。すでにカールが支配していた広大な地域にはいろいろな民族がいましたからね。ちょっと難しい言葉で言うと「西ヨーロッパ地域が政治的、文化的、宗教的に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)から自立し、ひとつの世界となった」といったところです。
それまでの西ヨーロッパは何だかんだいって東ローマ帝国の従属下にありました。そこから自立し西ローマ帝国として完全に復活しましたよ!っていう意味合いがカールの戴冠にはあったんです。
カール大帝は、多くの領土を獲得し生涯の大半を遠征で占めていましたが、戦いばっかりというわけでもありませんでした。文化にも、しっかり理解を示しています。
今のドイツ西部のアーヘンとう街の辺りにカール大帝は宮殿を築き、イギリスの神学者アルクインを招いてラテン語をはじめとする古代文化の復興運動を支援します。これをカロリング=ルネッサンスと呼ぶよ。また、ローマ字の小文字の発明もこの時代ですね。
さぁ、広大の領土を獲得し、やっと西ローマ帝国の復活を遂げたわけですが、残念なことにカールの死後帝国は分裂に向かっていくことになります。
<フランク王国
>フランク王国の分裂
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