豊臣秀吉の刀狩り、農民はどうして従った?
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1588年、豊臣秀吉は刀狩り令を出します。これによって、秀吉は農民の反乱を未然に防ぐことに成功するわけですが、それにしてもどうして農民たちはやすやすと刀を差しだしたのか?
当時の農民は地侍といって武装した農民もいました。石山本願寺に立てこもって信長に抵抗したり、大名と争ったりと結構イケイケの農民がいっぱいいたんですね。
しかし、その彼らが秀吉の命令にしたがっておとなしく刀を差しだしたわけです。
なぜでしょう?
権力をかざして従わなければ死刑?実は、それもあります。
しかし、もうひとつ!さすがは秀吉というアイデアがありました。
大仏建立の釘に使うから刀を差しだしなさい!という宣伝文句を使ったんです。
また、大仏建立の釘に使うわけだから、そういう行徳を積めば、来世幸せになれるよ!とも言い広めました。これに真宗系の門徒たちや仏教を信仰していた人たちは見事に引っかかったんです。
ただし!実は、刀を溶かして釘にしたところで粘り気がなく強く打ちつけようものならすぐに折れます。使い物にならないんです。そんなことは、当然わかっていたんでしょうけど、秀吉は刀を農民から取り上げるためにウソをついたんですね。
ちなみに集めた刀は、いいものは家臣に分け与え、使い物にならぬようなものは捨ててしまったようです。
ですが、秀吉はちゃんと巨大な仏像もつくっています。この辺は、反乱がおきぬようにちゃんと考えたのか?もともと、仏像はつくる予定があったのか?わかりませんけどね。
出典:早稲田大学図書館所蔵 刀狩り令
刀狩り令 |
1.農民が刀や脇差、弓、槍、鉄砲などの武器を持つことを固く禁じる。それらの武器を持ち年貢をおこたったり、一揆をおこしたりして役人の言うことを聞かなければ罰する
2.取り上げた武器は、方広寺の大仏の釘や鎹にする。そうすれば、農民はあの世で救われる。
3.農民は農具だけを持ち農業に励めば、子孫代々無事に暮らすことができる。農民を愛するがゆえに武器を取り上げるのだ。感謝し仕事に励め。
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