クルド人の独立運動
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現在、クルド人は、トルコ、イラク、イランなどに分かれ、その三国のクルド人たちは独立または自治権を得ようと運動を起こしています。
では、なぜ彼らは独立、自治権獲得の運動を繰り広げているのか?その辺をクルド人の歴史と照らし合わせてみていきましょう。
第一次世界大戦前までは、クルド人のほとんどがオスマン帝国内に住んでいました。オスマン帝国っていうのは、オスマントルコともいいますね。まぁ、その名の通り、トルコ人の国家です。この頃、クルド人による民族運動が高まる時期もありましたが、これらはオスマントルコが厳しき弾圧をし食い止められます。
しかし、そのオスマン帝国も第一次世界大戦にて負けてしまうんですね。そして、1920年にオスマン帝国はセーブル条約というのを結びました。これは、オスマン帝国の領土の大半を連合国に分割するといった内容です。その中には、クルド人国家の建設も明記されていました。
ですが、そのすぐ後の1922年にケマル・パシャという人がオスマン帝国を倒してトルコ共和国を建てるのです。それによってセーブル条約はなかったことにされていまうんですね。もう、これでクルド人国家の建設も白紙です・・・。
しかも、サンクス・ピコ協定といって第一次世界大戦の勝利国であるフランス、イギリス、ロシアによって恣意的に惹かれた国境線によりクルド人はトルコ、イラク、イラン、シリアなどに分断されることになります。
せっかく、自分達民族の国が持てると思っていたのに結局、クルド人たちは別々の国に別れさせられちゃったんですね。各国にわかれたクルド人にしたら、そりゃ、肩身が狭いっていうか・・・。
ですから、クルド人が多く住むトルコやイラクでは、独立や自治権の獲得を目指して反政府運動を起こしたりしています。
特にイラクでは、ご存知のようにサダム・フセインがいなくなりましたね。それまでは、イスラム教のスンニ派だろうがシーア派だろうが、クルド人だろうが独裁政権という強い力でねじ伏せていたわけです。しかし、その後、独裁という強い権力がなくなり、スンニ派、シーア派、そしてクルド人たちが各々動き出してしまったんですね。まぁ、独裁体制がいいとはいいませんが、こういった側面も実際あるってことです。独裁体制が消えた跡には・・・。
トルコ、イラク、イランではクルド人が独立、自治拡大を叫び運動を起こしていますが、その3国のクルド人たちは足なみをそろえているわけではなく、各々で独自の独立運動を現在も繰り広げているのです。
2015/10/12
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