レウクトラの戦いとは、BC371年にテーベがスパルタを撃破した戦いです。
テーベ?スパルタ??なんじゃそりゃ?って思っちゃいました?古代ギリシアの歴史を最初から読んでいただけるとガッツリわかると思いますが(そんなに長くもないんので時間があればぜひ・・・)、古代ギリシアの時代は、ポリスという都市国家がいくつも点在していた時代だったんです。
これらの国々は、それぞれ違った政治体制をとりながらも言語やギリシア神話の神々への崇拝など共通点も多く、ペルシアが攻めてきた時はいっしょになって戦ったりしたんです。
ですが、その後、アテネの横暴が目立つようになりスパルタを中心とするペロポネソス同盟というのが勝利。スパルタがギリシアの覇権を握ります。
ペルシアという強敵をギリシア連合で一致団結して追い出したはいいけど、その後、今度はギリシア内での内紛になっちゃったんですね。
しかし、スパルタもその後、調子に乗ってしまうんです。大国ペルシアが支配する小アジアに勢力を伸ばそうとする。
これには、ペルシアが怒ります。
ペルシアは、アテネなど反スパルタ勢力を焚きつけてスパルタと戦争をするよう説得します。ペルシアの思惑としては、ギリシア本土で戦争をおこさせ、スパルタを小アジアから撤退させようという魂胆です。
これが、コリントス戦争。
そして、BC371年。ついにスパルタもテーベという新興都市国家に敗れることになります。これが、レウクトラの戦い。
このレウクトラの戦いでは、スパルタ側の方が数で優越していたんですが、テーベを中心とするボイオティア同盟の斜線陣という陣形に苦戦しスパルタの王クレオンブロトス1世もこの戦いで亡くなります。
BC5世紀からアテネ→スパルタ→テーベへとギリシアでは覇権が移りますが、同時に戦乱が続いていたということ。これは、ギリシア全土にとっても決していいことではないですね。農地は荒れ果て、経済もボロボロ・・・。
そして、BC338年には北方のマケドニアによってギリシアは征服されることになります。
<ペロポネソス戦争
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