古代ローマの共和政
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さて、今回は古代ローマについて学んでいきましょう。
位置は、もちろんイタリア半島。この地にはかつてエトルリア人が王政を敷いていました。エトルリア・・・。イタリア・・・。う〜ん。なんか似ている気がしますね。エトルリアが訛ってイタリアとなった説もあるようですけど、定かではないみたいです。
このエトルリア人を追放してラテン人がティベル河畔に建設した都市国家。これがローマです。(BC6世紀末)
ちなみにローマ建国の叙事詩としてヴェルギリウスの書いた「アエネイス」という作品は有名なので頭に入れておきましょう。
内容は、ロムルスとレムスという兄弟がいて、彼らがケンカをし、勝った兄の方のロムルスがローマの基礎をつくったという伝説です。
都市国家ローマでは貴族と平民という階級がありました。
貴族のことをパトリキといいます。平民はプレブス。この平民プレブスには参政権は認められていません。都市国家ローマでは貴族による共和政が行われていたんですね。
何じゃ?共和政って?
みんなで決める政治のことを共和政っていいます。ただし、この時点では、貴族共和政。つまり、貴族みんなで決める共和政です。
では、この貴族共和政についてちょっと見てみましょう。
まず、元老院というのがあります。これは、日本でいう国会と思ってもらえればいいかな。
次に、この元老院で決定したことを実行するのがコンスルという役職。これは、内閣みたいな感じ。
また、急に戦争になった時などいちいち話し合いをしている場合じゃない!って時も考えられますね。そんな時に1人で重要事項を決定することのできる特別な役職もありました。これが独裁官。ディクタトルといいます。
このディクタトルは元老院(国会)によって2名のコンスル(内閣)から1人が任命されます。
ですが、権限が大きいので任期はわずか半年です。
当時は貴族が終身議員となって元老院を独占し、当然コンスルも貴族、そうなれば、コンスルから選ばれるディクタトルも貴族・・・。と貴族の力が強かったんですね。だから貴族共和政です。
元老院 |
古代ローマの議会。貴族から選出された議員からなる。定員は当初300人ほど。 |
コンスル |
任期は1年で2名選出される。古代ローマの最高政務官。 |
ディクタトル |
コンスルから1人が任命される。任期は半年。 |
しかし、平民も次第に重装歩兵として戦争に参加するようになると参政権を要求してくるようになります。
貴族はお金持ちなので武器を自分で購入して戦争にいって威張っていたんですね。「おまえら、貧乏人は戦争にいかないんだから発言権などない!」ってね。しかし、商工業が発展していくと武器の価格も安くなり平民でも購入できるようになるんです。すると、「俺たちも戦争に行くぞ!だから発言させろ!」ってことになります。
そして、BC494年に聖山事件というのが起きます。平民が貴族に反抗しローマ北東の聖山(モンス・サケル)に立てこもった事件です。これにより貴族も妥協します。
「じゃ、平民会を許して護民官も設置してやるよ!」となるんです。
平民会というのは平民たちの会議。この平民会での意見を伝え、なんと元老院での決定にも拒否権を行使できる役職が護民官です。護民官は平民の中から選ばれます。
お〜!だいぶ平民も政治に参加できるようになってきましたねぇ。しかし、これだけでは留まりませんでした。
BC367年にはリキニウス・セクティウス法が制定されます。(リキニウスとセクティウスというのは当時の護民官の名前です)
この法律では、コンスルの1人は平民から選ぶことが決定されます。
そして、BC287年。ホルテンシウス法。これによって「平民会が議決したことが元老院の承認なくして国法となる」ということが決定されます。つまり、平民が決定した内容が貴族にストップかけられることなく国の法律となるってことです。
これにより、いちおう平民と貴族との間で政治的身分の差はなくなったことになります。
ですが、いちおうです。平民の中にもお金持ちとそうでない人は当然いるわけです。平民の中でもお金持ちが「新貴族」として貴族と共にローマの政治を動かしていただけだったんですねぇ。一般的な平民はなかなか政治を左右するような立場にはなれません・・・。
この新貴族のことをノビレスといいます。
さて、次はローマのイタリア半島統一です。
>古代ローマのイタリア半島統一
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