ローマ帝国の崩壊
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栄華を誇ったローマ帝国にも崩壊がやってきます。
なぜ、あれほどまにに繁栄したローマ帝国が崩壊してしまったのか?有名なゲルマン民族大移動やササン朝ペルシアなどによる外圧の存在が大きかったことがあげられますね。
これらに対抗するためには膨大な予算が必要となるわけです。では、その財源はどこからくるのか?そう民衆からの税です。さらに税をどこからとるのが手っ取り早いのか?商業活動の活発である都市に重税を課しちゃえば早いですね。しかし、そんなことをすれば都市は衰退し、やがてローマ全体の商業活動にも影響がでてきてしまうのです。
また、都市の有力者は税金が高いから地方に移っていきます。すると有力者はローマの支配から逃れ広大な土地や人民を私有していくようになります。
もう帝国の統一など名目にすぎずボロボロです。
そして最後の皇帝テオドシウスの時代がやってきます。彼は、キリスト教を国教化しキリスト教以外の宗教を異教として禁止します。まぁ、国がボロボロなので精神面だけでもひとつにまとめ上げようと考えたのでしょうね。その他にもテオドシウスは古代オリンピックを廃止したり、建国以来絶えることなく燃やされ続けていた聖なる火を消してしまったりしているのですが、死の間際にとんでもないことをやってしまいます。
395年、ローマ帝国を東西に分けて2人の息子にそれぞれ分け与えてしまったのです。
東ローマはコンスタンティノープルを首都とし、西ローマはミラノを首都とします。
その後、西ローマは476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより滅亡され、東ローマはビザンツ帝国として1453年まで続くことになるのでした。
<コンスタンティヌス帝の政治
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