防人は超ひどい待遇だった!
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663年、日本は友好国の百済を助ける為、朝鮮半島に軍を出兵させるのですが、唐・新羅の連合軍に大敗してしまいます(白村江の戦い)。その後、日本は、「やばい、唐と新羅を怒らせちゃった」と二国を警戒せねばならない立場となり、対馬・壱岐・筑紫に防人といわれる兵を設置することになります。
この防人の任期は3年。しかし、実際には、それより長く、警備をさせられていたケースも多いようです。しかも、びっくりすることに、この防人につく期間の食料と武器までもが自己負担!税の免除もなし!任期を終え、国に帰る費用も自分持ちという無茶苦茶な制度でした。
そんな防人たちは、いたたまれない気持ちを歌に残し、万葉集に100首以上も残され「防人歌」として現在も残っています。
韓衣 裾にとりつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして
(韓衣にすがって泣く子供たちを 防人にでるために置きいてきてしまった。 母もいないというのに)
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