節度使とは
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節度使(せつどし)とは、中国の唐の時代に辺境警備にあたらせた軍人たちの役職のことです。
この時代は、農耕技術の向上により、今までよりも多くの農産物を収穫できるようになりました。すると、農民たちにも貧富の差が出てきます。あまった農産物を売ったりして大もうけする者もでる一方で、失敗する人もいる訳です。
そうして、失敗した人の中からは税も払えないので土地から逃げ出す人も出てくるのです。そうなると、国としては税もとれないが戦争などになった場合の徴兵もできない。
そこで、お金を出して傭兵を集め防衛に努めさせたのですね。そして彼らを束ねて辺境警備にあたった軍人たちが節度使です。
最初に設置されたのが710年です。これを河西節度使(かさいせつどし)といいます。
彼らは、中央から目が届かないのをいいことに地方で力を蓄えて生きます。もう、こなったら中央へ治めるはずの税も納めず、独自路線を突っ走っていく者も出てくるのです。そんな彼らのことを藩鎮(はんちん)といいます。
彼らは、755年に安史の乱(あんしのらん)という反乱を起し、唐に大ダメージを与えました。
その後も唐の時代は続くわけですが、この乱により節度使は、内地にも設置されるようになります。
そして907年。節度使の朱全忠によってついに唐は滅ぼされることになるのです。
唐の滅んだ後、混乱期に入った中国では、地方で多くの節度使が次々に独立し「五代十国時代」へと突入していきます。
>唐の時代
>五代十国時代
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