小学生の歴史・江戸時代
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@江戸幕府と徳川家康
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の死後、関ヶ原の合戦(せきがわらのがっせん)で勝利した徳川家康(とくがわいえやす)は征夷大将軍となり、江戸幕府を開いたよ。
その後は、大阪冬の陣、夏の陣にて豊臣氏を完全に滅ぼしましたんだ。
この江戸幕府の特徴は、全国の4分の1を幕府が支配し、のこりは大名達にあたえるという幕藩体制(ばくはんたいせい)をとっていたよ。また、大名達には、武家諸法度(ぶけしょはっと)。また、天皇や公家にも禁中並公家諸法度(きんちゅうならびくげしょはっと)という守るべき決まりを作って支配したんだ。また、大名には、参勤交代(さんきんこうたい)という定期的に江戸に来るように決まりをつくった。しかし、その費用はすべて大名持ちだった為に大名は出費がかさみ力が弱くなったよ。これで、幕府にはむかう大名は減り、各地から江戸に向かうため道は整い、文化なども各地に広がっていくきっかけとなったんだ。
A鎖国
家康や2代目の秀忠(ひでただ)は、キリスト教を禁じて信者を取り締まりました。さらに、3代目家光(いえみつ)の頃には、スペイン人が日本に来ることを禁止、日本人が海外に行くのも、外国から戻ってくることすら禁止しちゃいます。
その後、島原の乱という農民とキリスト教徒の反乱が起きるとポルトガル人が日本に来ることも禁止。ついに、鎖国(さこく)といって日本と海外との交流をシャットダウンします。しかし、オランダと中国だけは、キリスト教の布教に関係がなかったので、長崎の出島にて貿易を認めました。この鎖国により、日本では日本独自の文化が育っていくことになりますよ。
B江戸の三大改革
江戸時代の長い歴史の中では、現在と同じく不況に悩まされる時代もありました。当時の偉い人たちも、現在同様、指をくわえているだけではなく、いろいろと政策を打ち出していきます。大きな改革が3つ。
享保の改革(1716〜1745)・・・8代将軍、徳川吉宗(よしむね)は、大名からも米を納めさせて財政の立て直しをはかります。
寛政の改革(1787〜1793)・・・松平定信(まつだいらさだのぶ)は、災害時に備え、米を蓄えさせるなどの政策を行いました。
天保の改革(1841〜1843)・・・水野忠邦(みずのただくに)は、農村から離れた農民を村に返したり、物価の引き下げを行いました。
また、江戸の3大ききんというのもあるよ。
享保のききん・・・1732年。 天明のききん・・・1783〜1787年。 天保のききん・・・1832〜1837年。
改革の前や改革中にききんが起きているのがわかるね。これらの災害のために財政が悪くなり、改革を行ったり、あるいは、改革の途中でききんが起きて改革をざせつさせられてりしているので、ききんと改革とは関係が深いんだね。
C黒船来航
1853年、ペリーが軍艦4隻を引き連れて浦賀にきました。当時の人たちは、見たこともない大きな船にとっても驚いたよ。まぁ、UFOが目の前にやってきた感じかな?いいすぎ?
その頃は、鎖国をしていた日本でしたが、ペリーは幕府に開港をせまってきます。
「俺たちと貿易しろよ〜」
しかし、幕府は、回答を先延ばしとし翌年答えを出すととりあえず帰ってもらうことにしたんだ。
これで、日本は大騒ぎ。
まぁ、結局は、翌年、下田と函館を開港することに・・・。これを日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)というよ。
さらに、1858年には、アメリカの総領事ハリスと井伊直弼(いいなおすけ)の間で日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)というのを結ぶよ。これは、外国人が犯罪を犯しても日本では裁くことができないとか、輸入品にかける税金を日本が決めることができないなど、日本にとっては不平等な条約だったんだ。
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