小学生の歴史・鎌倉幕府の始まりから衰退
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@鎌倉幕府
平氏を倒した源頼朝(みなもとのよりとも)は、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、鎌倉幕府を開きました。かつては、いいくにつくろう鎌倉幕府で1192年に鎌倉幕府を開いたとされていましたが、現在では、1185年(いいはこつくろう?)鎌倉幕府とされています。
頼朝は、全国に守護(しゅご)と地頭(じとう)をおきます。この守護とは、国内の安全を守るため軍事や警察のような仕事をさせていたんだ。地頭とは、年貢の取立てなどをおこなう仕事をしていたよ。
また、鎌倉幕府では、武家政治といって武士が政治を行うようになった。また、この頃は、将軍と部下(部下のことを御家人・ごけにんというよ)の関係は、御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)という関係で結ばれていたんだよ。
御恩・・・将軍は、御家人の先祖からの土地を保障してあげて、いい仕事をすると新しい土地をさずける。
奉公・・・御家人は、将軍に忠誠を誓い、いざ争いとなれば命をかけて戦う。
A北条氏
鎌倉幕府を開いた源氏でしたが、3代将軍の実朝が殺されてしまい、その後は頼朝の妻、政子(まさこ)や北条氏が力を握る時代がやってきます。
北条氏は、執権(しっけん)という役職で政治を行ったので、これを執権政治といいます。執権とは、本来は将軍の補佐役だったのですが、この執権という役職は北条氏が長いこと独占し、幕府の実権を握るようになっていきました。
B鎌倉時代の新仏教
鎌倉時代には新しい仏教がいくつも誕生します。時代が変わり、武士社会となっていく中で宗教もわかりやすく、実行しやすいものが好まれるようになっていったのですね。
法然(ほうねん)・・・浄土(じょうど)宗を開く
親鸞(しんらん)・・・法然の弟子。浄土真宗(じょうどしんしゅう)を開く
栄西(えいさい)・・・臨済宗(りんざいしゅう)を開く。
道元(どうげん)・・・曹洞宗(そうとうしゅう)を開く。
日蓮(にちれん)・・・日蓮宗を開く。
C元寇
鎌倉時代には、モンゴル帝国からの攻撃を受けます。チンギス=ハンがきずきあげたモンゴル帝国は超でっかくなり、今の中国の辺りを受け継いだフビライ=ハンは国の名前を「元(げん)」としました。元は、宋を滅ぼし、朝鮮を攻めたて、ついに日本に牙を向きます。
元は、北九州を攻め立て、攻撃してきましたが暴風雨にあい敗走。さらに、再び元は日本に攻めてきますが、またもや暴風雨にあい敗走・・・。もちろん、暴風雨のおかげだけでなく、日本の武士達も必死に戦ったおかげなのですが、幕府は当時、お金がなく、一生懸命戦った武士達に満足な褒美を出してやることができません。
元寇に勝利した日本でしたが、この元からの2度にわたる攻撃のせいで武士からの不満が高まり、鎌倉幕府が衰退していくことになりますよ。
>室町時代から応仁の乱まで
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