歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記生類憐みの令の真実

   

生類憐みの令の真実 

 5代将軍綱吉といえば生類憐みの令で悪政として有名ですが、その真実と背景を見ていくと一概にそうともいいきれないようです。

 生類憐みの令が出された元禄時代は、もはや命のやりとりをするような時代ではなく、江戸の安定期へと入っていました。



 しかし、中には「かぶき者」といわれる、昔の片鱗を引きずり、命を大切にしないものも未だ存在しており、彼らは犬を食べたり、暴力を振るったり・・・。それを嘆いた将軍綱吉は、仏教に興味をしめしていたこともあり、平和な世の中を作ろうと「命の大切さをスローガンに」生類憐みの令を出したという見方が主流になってきています。


 

生類憐みの令とは、綱吉の時代に出された「生き物を大切にしよう」という一連の法令の通称です。
主な内容は次の通り。 
1685年  将軍の御成先では、犬猫を繋がなくてもよい。
1687年  病人、牛馬を捨ててはいけない。魚、鳥、貝を食べる為に売り買いしてはいけない。 
1689年  田畑を荒らし、危害を加える猪や狼、鹿は追い払う目的であれば、銃で威嚇してもよい。 
1691年  蛇や犬、猫、鼠に至るまで芸を教え込んで見せ物にするようなことをしてはならない。 
1693年  釣りをしてはいけない。 
1694年 犬を傷つけたものは捕らえるように。江戸の金魚の数を申請すること。 
1695年  中野に作った犬小屋に野犬を収容せよ。 

 
 「お犬様」と特に犬を可愛がったと言われていますが、1695年の中野に犬を収容したのは、当時江戸では野犬による被害が問題となっていた為とも言われており、上に示した法令以外にも第二次刀狩ともいわれる諸国の鉄砲を改めたりと社会的な事情を踏まえての法令も多く出されています。

 しかし、やりすぎだったのは間違いないようで、当時から庶民はもとより大名や仲間内からも評判は良くなかったようですが、それでも現在のマザコン、犬公方といったイメージほど自分勝手な将軍でもなかったようで、生類憐みの令もちゃんと当時の問題を考慮した法令であったようです。