習近平
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習近平(シュウキンペイ)といえば、中国の国家主席ですね。中国で一番偉い人です。いやいや、中国にも首相がいるでしょ。首相の方が偉いんじゃないの?と思われがちですが、中国では首相の上に国家主席がいるんです。ちなみに首相の上に大統領がいる国もいっぱいありますけどね。韓国、ロシア、フランス・・・。アメリカは首相がいません。大統領だけです。
まぁ、その辺の話は別のページで説明してますのでご確認ください。
>大統領と首相の違い
今回は、中国のトップである習近平について学んでいきましょう。
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左:習近平国家主席 右:李克強首相 |
習近平が生まれたのは1953年6月。父は習仲勲(ショウチュウクン)。もともと国務院副総理をしていた人です。日本でいえば内閣副総理みたいなものですのでかなりのエリートですね。
とはいえ、習近平は若いころかなりの苦労をしています。
習近平が9歳の時、父親は全職務を解任され失脚してしまうのです。1962年のことですので文化大革命の先駆けですね。党に反発するひとりというレッテルを張られて追い出されたわけです。
復活できたのは、1978年ですので毛沢東が死に文化大革命が終息に向かい始めた後のことです。
それまでの間は息子である習近平も苦しい生活を強いられています。
1969年から習近平は陝西省延安市延川県という田舎に下放されますが1974年に中国共産党への入党が認められています。これは、農村部でメタンガスの利用を推進したことが評価されたとされています。
1975年にようやく北京に戻ってくることが叶い、精華大学化学工程部に入学します。日本でこの大学を知る人は少ないかもしれませんが北京大学に並ぶエリート大学です。
1979年に卒業した後はコウヒョウという副総理、中央軍事委員会常務委員を務めた人の秘書になります。この時には父親がすでに復活していたのでコネもあったのでしょうね。
その後、習近平は地方での仕事をもくもくとこなしていきます。副市長や福州市の共産党委員会書記、福建省の代理、福建省の省長。省長というのは県知事みたいなものですね。
2002年には浙江省の共産党委員会書記に就任。これは省長よりさらに上ですのでついに省のトップになったわけです。この時49歳ですね。
そして、2006年に上海市の共産党委員会書記に就任。ここで地方からついに中央での出世コースが見えてきた感じですね。
さて、話がちょっとズレますけど中国共産党の幹部には大きく分けて2つの派閥があるといわれています。共青団と太子党です。共青年団というのは一般の人から幹部にまで昇ってきた人達です。対する太子党はいわゆる2世。親が共産党の重要ポストについていた人たちです。
習近平は苦労したとはいえ父親が偉い人だったので太子党。
さて、中国では常務委員は68歳になると引退するという決まりがあります。
習近平が国家主席になる前の国家主席は胡錦濤が国家主席でしたね。この人は李克強という人を自身の後継者に押していたといわれています。胡錦濤も李克強も共青団の派閥ですからね。
しかし、その胡錦濤の前の国家主席は誰か?江沢民です。江沢民は太子党。この江沢民が習近平を引き上げたといわれています。
江沢民は国家主席を長く勤めあげていた人物。政界引退後も大きな権力を握っていました。しかし、後継者の胡錦濤も次第に力をつけていっている。このまま胡錦濤の息のかかった李克強が次に国家出席になれば、自身の権力は完全になくなってしまう・・・。
だれか李克強のライバルになりうる人物はいないのか?と探している時、名が挙がったのが習近平だったわけです。
2012年に胡錦濤は引退。そして、習近平は中央委員会総書記、中央軍事委員会主席に選出され翌年に国家主席となりました。見事、ライバルである李克強に勝利したわけです。
胡錦濤政権の時の首相って誰だかわかりますか?温家宝です。名前を聞いたことある人も多いでしょう。では、習近平が国家主席となってからの首相は?答えは李克強。ライバルであった李克強は首相となったわけですけど習近平の名前が大きすぎて「えっ、中国の首相なんて知らない」って人も多いのでは?
習近平は新たな組織を発足させるなどして、そこのトップに君臨することにより、それまで内閣、つまり首相の仕事であったものをすべて自身の力の及ぶものに変えていったんです。そして首相の権力をも自身のものに変えていきました。ですから、習近平の肩書は国家主席、中国共産党総書記、中央軍事委員会主席、中央全面深化改革始動小組組長、中央財政指導小組組長、中央インターネット安全指導小組組長、中央国家安全委員会主席、中央外事指導小組組長というもし名刺にすべて書き込もうとしたらはみ出てしまうほどのものになっています。
そして、習近平は今まで放置されていた汚職などを徹底的に取り締まり、大物たちを次々に取り締まっていきます。周永康(シュウエイコウ)、徐才厚(ジョサイコウ)、郭伯雄(カクホクユウ)、谷俊山(コクシュンザン)。当時は特に上層部から下に至るまで汚職が流行っていたんですね。お金で役職なんかも変えるほどだったといいます。そうした不満が国民たちには募っていたんです。
国家主席といえど国民の支持はとっても大切。その国民の支持を受けるためにも習近平は大物、小物問わずどんどん摘発していったんですね。
さぁ、自身に権力を集中させ、国民の支持を得るためのこれまでのタブーにまで手を付け大物たちを取り締まっていった習近平。多くの国民と巨大な国土を持つ中国をどのように導いていくのでしょうか?
>中国の歴史
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