大正天皇
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大正天皇:出典・ 毎日新聞社「天皇四代の肖像」
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第123代 大正天皇は、1879年にお生まれになりました。明治天皇の后には子がなく、側室から生まれた子供たちも次々に早世。待望の子、大正天皇(嘉仁・よしひと)は、柳原愛子(なるこ)さんから誕生しました。大正天皇は、幼少時は皇太后の実子であると聞かされていたといい、生母が愛子だと聞かされた時は、たいそう驚かれたようです。
この大正天皇は、小さな頃から病弱であったといわれ、腸チフスや脳膜炎などの重い病気の為、1894年には学習院を中退し、専門の家庭教師を雇い勉学に励みました。特に漢文には強い関心がおありになったようで、後に1367首もの漢詩が残されています。
1900年には、当時15歳の節子さまと結婚。この時、大正天皇(まだ皇太子ですが)は21歳でした。この結婚の時に、各地で記念として桜が植えられるのですが、現在、春には多くの場所で桜を楽しめるのは、この時期の植え付けのおかげともいえます。
大正天皇は、一夫一妻を貫き、また皇太子の時期が長かったこともあった為か、非常に家庭を大切にされたといいます。
1912年に明治天皇が崩御すると大正天皇が皇位を継ぐことになります。第一次世界大戦時は、軍服を着用し、用務にあたっておられたそうですが、次第に健康状態が悪くなり、1921年には皇太子である後の昭和天皇(当時20歳)が摂政となって代わりを務めました。
そして1926年には体調が回復することもなく崩御されます。48歳でした。
大正天皇は1907年。伊藤博文や桂太郎を従えて大韓帝国を尋ねております。そして、皇帝や皇太子と会談したのですが、その時、皇太子の李垠をたいそう気に入り、その後朝鮮語の勉強を始めるのですが、これは朝鮮に差別感の強かった当時としては、非常に珍しいといえます。
また、大正天皇で有名な話に望遠鏡事件というものがあります。これは、帝国議会の開院式で詔書を望遠鏡のように丸めて辺りを眺めたというものですが、この話はかなり一人歩きしてしまっているようです。
いくつもの風説がありますが、大正天皇自身は「かつて勅語が天地逆さまに巻きつけられていて、ひっくり返して読み上げなければならなかった。この時、恥ずかしい思いをしたので、そのようなことの無いよう、中を除いて確かめた」と言っていたと女官が語っています。また、脳膜炎をわずらっていた大正天皇は、手先が上手く動かず、しっかりと巻けたかどうかを確認している様子が、遠くの議員からはそう見えたともいいます。
ちなみに、明治天皇の誕生日は11月3日で文化の日。昭和天皇の誕生日は4月29日で昭和の日と祝日ですが、大正天皇の誕生日の8月31日は現在祝日となっていません。これは、夏休みの関係が強いようですが、崩御されたのが12月25日。戦前は、先代の天皇が崩御された日を祝日としていた為、日本にクリスマスが定着したきっかけとなったようです。
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