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日本が戦争に進んでいった原因「統帥権」


 日本は、1937年から日中戦争をしながらも、さらに1941年に太平洋戦争へと突入していきました。中国と戦争しながらアメリカとも戦争するなんて!そりゃ、むちゃでしょ・・・。って冷静に考えれば何となくわかりますよね。しかし、日本は結果として、この戦争への道を進んでいくことになります。

 なぜ日本は、このような無謀とも思える戦争に行っていったのでしょうか?

 当時の政治や世界情勢など原因はいろいろとあるわけなのですが、司馬遼太郎は「この国のかたち」という本の中で「
統帥権」を重視しています。今回は、この視点で統帥権について少し学んでいってみましょう。



 統帥権というのは、軍隊の指揮権のことです。

 山県有朋によって明治11年に統帥権は確立されます。これにより軍事作戦を実行できるのは、統帥権をもった参謀本部に限定し、軍事行政を行う陸軍省と切り離されます。

 ですが、明治22年には大日本帝国憲法が制定されますね。この中には「天皇は陸海軍を統帥す」と書かれています。だったら、統帥権を本当に持っているのは天皇じゃん。ってことになるのですが、参謀本部は天皇直属とされていたんですね。

 さらに参謀本部(統帥権)と国務大臣(内閣)は同格となっていました。つまり、この統帥権を持つ参謀本部の上には天皇しかいないということなんですが、当時の天皇の地位も形式的なもの。実際には、参謀本部のトップである総長が天皇に上奏し軍事作戦を実行するといった形となっていました。

 通常であれば、軍人は政治の統制下におかれるというのが当然なわけなのですすが、統帥権の独立によって軍が独走していく原因となっていったんですね。

 とはいえ、明治の時代には、この軍の独走というのはまだあまり見られず。統帥権が本格的に利用され始めるのは大正時代以降です。昭和に入ると1930年にはロンドン海軍軍縮条約というものに政府が調印したことに軍が激怒!統帥権の干渉だと政府を非難し。当時の首相、浜口雄幸は襲撃されます。

 政治家が勝手に軍縮条約にサインしたからって、総理大臣が軍によって襲撃されるなんて現代ではありえませんよね。しかし、当時は、これが起きてしまうような状態だったわけです。

 最後に統帥権を持つことになるのが東条英機でした。この東条も政府と統帥権との違和感を感じていたようですし、さらに当時では陸軍と海軍との対立などもありました。そこで自分が内閣と統帥の両方に関与できるような地位につくことを決意し首相と陸相、参謀総長を兼任するのです。結果として、東条は軍事作戦の失敗などの責任を取らされ対陣することとなります。そして、戦後、東京裁判によりA級戦犯として死刑を言い渡された東条は、刑の執行される直前にメモを残しています。最後に「統帥権マチガイ」と書かれた、そのメモがすべてを物語っているようです。

 統帥権とは、戦争を行うのは国家ではなく軍であるといった思想です。現在では、戦争などもってのほかですが、軍隊の派遣などは国民から選ばれた政治家に決定権があり、軍には戦争を行う権限はありませんよね。それが、当時ではあり、この統帥権の暴走が起こっていたことも事実です。現代でも、こういった軍が権限を持つ国がありますね。取り返しがつかぬようになる前に考え直してもらいたいものです。