董卓の字は仲頴(ちゅうえい)。生まれは隴西郡といわれています。董卓といえば、ブクブクと太ったイメージがある人も多いでしょうが、若いころは武芸に秀でており、弓をつかわせれば左右に弓袋をつけ、馬を走らせながら左右の的を見事に撃ち抜くことができたといいます。
董卓は、姜族や胡族らの反乱が頻発した時に役人として採用され、その反乱鎮圧で名を上げていきますが、黄巾賊との戦いでは、失敗し司令の職を解かれました。
しかし、再び姜族や胡族が反乱を起こすと武功を上げ再び前将軍に返り咲きます。
そして、何進に呼び出され董卓が都に向かうわけです。彼が洛陽にて権力を握ってからは恐怖政治が始まります。三国志によれば、董卓は酒宴の席で董卓反乱軍の兵士らの舌を抜き、目をくりぬき、手足を斬り、大鍋で煮たと書かれています。また、村祭りを襲撃すると賊を滅ぼしたと宣伝し。もってきた1000以上の頭を焼き尽くしたともいわれています。
そんな性格ですので当然、他方からの反感をかうこととなり、最後は呂布の裏切りにあい殺されてしまうわけですが、三国志演義では、暴君として描かれている董卓。しかし、三国志正史では、違った一面も描かれています。重要なポストには名士をつけ、自身の親愛する者は高い位ではなく将校とするだけであったと人材登用には冷静な判断に努めていたようです。
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