臣士魔法劇場リスキー☆セフティ
エピソードガイド
01

#01〜#06

#1 幸か不幸かデスエンジェル
脚本:黒田洋介/絵コンテ:舛成孝二/演出:渡辺建一/作監:齋藤卓也
▼あらすじ
彼氏が他の女の子といちゃついてるのを目撃して、ふて寝している萌。
死神見習のリスキーがその不幸の波動に引かれやってくる。
▼ポイント
「リスキー☆セフティ」は全くといっていいほど派手さのない見た目からして地味な作品である。
しかし、その演出や作画は地味に凝っている。
特に1話から3話はキャラクターの日常芝居の作画がシリーズ全体として見ても非常に充実しており、演出も練られているので、繰り返し見ていてもなかなか飽きがこない。

例えば、自室のベットにうつぶせになってすすり泣く萌がその部屋の様子とともにじっくりと描写される最初のシーン。
部屋にこもりきりの萌が、母親に飯喰えフロ入れとせかされ、ぶっきらぼうに返事をして起き上がり、枕もとにある眼鏡を映すと、そのカットが少しピンぼけしている。
これは目が悪い萌の視界であることを意味している。
これが単に描写として凝っているというわけではなく、その後、萌が眼鏡をかけ、部屋に散らばる雑誌や編みかけのマフラーをみてまた泣きはじめるというシーンにつなげることで、眼鏡を外し視界に入れることを拒んでいた彼氏との思い出の品を見て、また嫌な気持ちを思い出してしまうという意味を引き出している。
(もちろん初見の視聴者にはこのマフラーや雑誌が何であるかすぐにはわからない。しかし、それに視聴者の好奇心を抱かせ、後々までそれは小道具として演出に生かされることになる。)
萌の心理描写を日常的な芝居と絵のカットを積みかさねることで描き、ごく短い時間で、萌という女の子が、拗ねたり泣いたりする普通ぽい情緒をもったキャラであることを描ききっている。

この後に死神見習リスキーの登場となるが、その登場は、開いた窓とゆれるカーテンに水滴の跡を映したカットをはさんで、既に萌の部屋に上がりこんだリスキーが濡れた服を脱いで乾かそうとしているところを萌に発見されるという段取りを踏んでいる。
非日常的存在であるリスキーがあくまで日常の延長としての存在として描かれ、本作が、萌のキャラクター、リスキーの自然な存在感から、メルヘンを基礎としながらも、地に足のついた作品世界、物語を目指していることがよくわかる。
(記2005.02.03)
#2 エンジェル嘘つかない
脚本:黒田洋介/絵コンテ:舛成孝二/演出:渡辺建一/作監:齋藤卓也
▼あらすじ
リスキーは彼氏を思う萌の幸福の波動で天使見習のセフティに入れ替わってしまう。
セフティはリスキーの言葉は真実ではないことを萌に告げるが、萌は中々信じようとしない。
▼ポイント
・冒頭でリスキーに破壊された、ポスター、モデルカー、編みかけのマフラーと雑誌が連続して映すカットがある。
鍵となる小道具が意図的に画面に配され、本筋のちょっとした伏線として後々まで生かされるという作り方は、舛成監督作品では「アンドロイドアナMAICO2010」にはじまり「R.O.D−THE TV−」まで好んで使われる手法である。
こういった小道具が、どの場面でどのように使われているかを繰り返し見ることで、「発見」できるのも舛成作品の楽しみのひとつとなっている。
また小道具と同時に部屋の間取りをきっちり決めてレイアウトや演出を組み立てている所にも、自分の原点として「名作劇場」をあげる舛成監督の演出姿勢がよく表れている。

・本作で私が個人的に心打ちぬかれたシーン。

セフティ「天使は嘘をつけないのでございますぅ」
萌「私、かわいい?」
セフティ「ハイ、とっても」
萌「うそつき」
セフティ「え?どうしてでございますの」
萌「だって、私、かわいくない・・・・・今日の私、全然かわいくない、全然かわいくないよ」


恋人の優雅やセフティの弁護を信じずに、素直になれない、自分に自身を持てない萌は自己卑下してしまう。
リスキーの小憎たらしいけれど憎めない可愛さや、セフティのストレートな愛らしさに比べてみると、「桂木萌」というキャラは、一見してほんとうに「かわいくないキャラ」として認識されてしまうかもしれない。
しかし、ちょっとすねた、けれどごく普通に恋愛で悩む女の子のいじらしさに、きゅんとなってしまう、そんな少女漫画好きな人間には、これは綺麗な右ストレートをもらったかのごとく「効く」シーンとなっているのではないかと思う。
「かわいくない」ところが「かわいい」というこの普通っぽさこそが、萌というキャラの最大の魅力ではないかと思うが、その地味すぎる魅力は、なかなか理解されないらしい。
(記2005.02.04)

#3 今必殺のエンジェルアロー
脚本:黒田洋介/演出・絵コンテ:舛成孝二/作監:齋藤卓也
原画に鈴木博文、都留稔幸、田中比呂人
▼あらすじ
意を決した萌は、事実を確かめるために優雅を公園に呼び出し、会いに行く。
▼ポイント
・これまで萌は部屋着としてトレーナーにジャージを着ていて髪も少しぼさぼさという格好でいたが、優雅と会う為に、髪をとかし、服を選んで、身なりを整えてから出かけるという段取りが丁寧に描写される。
これは日常描写として凝っていると同時に、自室では緩んでいるというリアルな生活感と、いざ男の子に会うとなると意識しておしゃれをする萌の女の子らしさを描きつつ、もう一度彼の心を確かめねばという彼女の決意、それこそ心の準備、萌が気持ちを切り替える為の儀式という意味合いも含んでいる。
また、眼鏡をコンタクトに替えるというアニメではかなり珍しいシーンがあり、「R.O.D」「R.O.D−THE TV−」と「眼鏡」をただの記号ではなく小道具としてキャラ演出に生かす舛成監督のこだわりが感じられる。

・1話から3話を注意深く見ていると、萌が髪の毛をいじる仕草をとるシーンが頻繁にあることに気づく。
主に萌がリスキーやセフティの言葉を疑ったり、自身の気持ちに迷ったりという萌の内面が揺らいでいるシーンで多い。
「キャラ演出に長けた」と評される事の多い舛成監督のキャラ演出は、キャラクター特有の仕草や立ち居振舞いを設定し、かなり意図的にそれを繰り返して見せることで印象付けることがひとつ特徴として挙げられるのではないかと思う。
この萌の髪の毛をいじるのもそのひとつ。
また部屋の間取りやそこに配される小道具に気を配るのも、単に日常描写に懲りたいというだけではなく、キャラクターの性質を身の回りや生活感のレベルから印象づけようという意図に基づいている。
結果的に舛成作品のキャラクターは、表面的な記号性だけに頼らない深みのあるキャラ性を獲得している。
本作ではそれほど高いレベルまで達しているとはいえないが、これは「R.O.D−THE TV−」において完成されたといっていいだろう。

・萌が靴履くところの作画がエロい。
(記2005.02.06)

#4 泣いて笑って喧嘩して+にくいよこの
脚本:黒田洋介/絵コンテ:舛成孝二/演出:宮下悠斗/作監:大河原晴男
▼あらすじ
萌が優雅とのデートに出かけてしまい、暇を持て余したリスキーとセフティが萌の部屋でしょうもないケンカをするという話。
▼ポイント
・よくみると、「リングにかけろ」のコミックが萌の机の上に置いてある。
リスキーがカエルに向かって「テリオスか、テリオスなのか」というのも、もちろん「リンかけ」ネタ。
本作は1999年に作られたものだが、後に脚本の黒田洋介は2004年「リングにかけろ1」のシリーズ構成・脚本を担当することになるのは、偶然か必然か?
・萌の両親がしょうもないことで一喜一憂し、そのたびにリスキーとセフティが入れ替わるというのが何度も出てくるが、両親自体はシリーズ通して最後まで顔出ししない声のみの出演となっている。
・リスキーはとにかく何か食べているシーンが多い。
クッキーを食べやすいようにわざわざ細かく砕いて食べようとしていたのを萌に横取りされて落ち込む所が可愛い。
・萌が着て出かける服は#3で着替える時に画面に映っていたもののうちの一着。
・リスキー0てん。
(記2005.02.07)

#5 ライリーライリーライリーライヤー
脚本:黒田洋介/絵コンテ:舛成孝二/演出:宮下悠斗/作監:大河原晴男
▼あらすじ
お昼のお弁当を食べようとセフティを連れて学校の屋上に来た萌。
そこで、空をぼんやり眺める同級生に遭遇。
彼女から不幸の波動を感じ、セフティはリスキーと入れ替わってしまう。
魂を獲る気満々のリスキーを制止して萌は彼女から事情を聞きだそうとする。
▼ポイント
・#4は萌の部屋の中、#5は学校の屋上のみに舞台を固定した、ワンシュチュエーションのコメディ、キャラ同士の会話劇となっている。
基本的に舛成監督はこういったシュチュエーションだけを用意して、キャラクター主体の会話だけで成り立つものを好むようで、「リスキー☆セフティ」の一つ前の舛成監督作品である「アンドロイドアナMAICO2010」も、ラジオの収録現場のみを舞台にしたシュチュエーションコメディだった。
本作も「MAICO」と同じ黒田洋介が脚本を担当しており、そのコンビネーションが発揮されている。
・会話劇はえてして単調な画面になりがちで、無駄に凝ったアングルやレイアウトで間を持たせようとすることが多い。しかし本作では、その代わりにキャラがなにか別の事をしながら会話すること多い。
例えば#5では萌がリスキーと会話しながら、リスキーにウインナ−を食べさせてあげるといったシーンなどがそれだ。
こういったキャラ同士の日常会話の仕方は、やはり「R.O.D−THE TV−」におけるだらだらした日常シーンでも使われている。
・気の利いたオチがあるわけでもなく、正直、話はなんでもない内容のものが多いのだけれど、そこのみを取ってつまらん、中身がないと思うか、それを許容してゆったりしたテンポと会話劇,、キャラの小芝居を心地よいと感じるかで本作の評価は分かれてしまうのかもしれない
・萌の「まのうぉーとかでぃもーるととか」がなぜか耳から離れないのは自分だけだろうか。
(記2005.02.10)

#6 サヨナラは11月のララバイ
脚本:黒田洋介/絵コンテ:舛成孝二/演出:宮下悠斗/作監:大河原晴男
▼あらすじ
リスキーとセフティにお告げがおり、二人は萌の元を去らねばならなくなってしまう。
▼ポイント
・リスキーもセフティも、次の任務の為に行かなくてはいけないことを萌に直接告げるシーンもなく、また萌が、直接、「行かないで欲しい」と口にすることもないので、一見して、萌の言動が意味不明に映る。
が、冒頭で萌が遅刻しそうになり、リスキーに対して「不幸、不幸」と連発するのも、リスキーをなんとか引き止められないか、と考えて、自分の不幸っぷりをアピールしようとしてのものであり、最後に萌が、優雅を前につまらない「不幸」とささいな「幸せ」を口にするのも、寒いのを我慢して部屋の窓を少し開けたままでいるのも、ひょっとしてリスキーとセフティがひょっこり戻ってきてくれるかもしれないと期待してのことだということが見ているうちに次第にわかってくる。
お互いの別れの寂しさ、行って欲しくないという思いを間接的に描くことで、過渡に感傷的にならず、「別れ」を「演出」している。
・リスキーが#1で破壊したものを魔法で修復しようとして、さらに酷いことに。
・犬のラニーも本筋とは関係ないところでネタとして仕込まれている。
#3でセフティのエンジェルアローがラニーに刺さったままというネタフリはずっと生きていて、今回の最後につながっている。
・学校から帰ってきた萌が父親と会う場面の、家の表札が「安達」になっている、安達さんはラニーの飼い主で、やはり声だけの出演。
ちなみに「アンドロイドアナMAICO」でも「安達さん」は名前だけ登場している。
・リスキーのかぼぱん。
・指先確認する萌がいい。
(記2005.02.13)

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