ソ・ラ・ノ・ヲ・ト第三話まで見ての雑感。〜あるいはソ・ラ・ノ・ヲ・トのちぐはぐ感について


とりあえず三話まで終了ということで、現時点での全体的な感想とか雑感などをまとめておきたいと思います。

まず作品の第一の印象として、背景美術、世界観の設定、描写にかなりの力点が置かれていて、ストーリーやキャラよりもまずそこに注意と関心が向く作品になっている、ということ。
作品の放映が始まる前は、世界観や背景はあくまで従で、キャラ中心で物語を回していく日常系萌えアニメの典型的作品を目指していくのでは、という印象をいだいていたので、その予想はちょっと外れた。
と、同時にそのキャラが、他のアニメからの、借り物、テンプレ的な第一印象を与える面が少なからずあり、余計にキャラ立ちを弱くさせ、キャラの印象を薄くしている。
その為、余計に美術、設定描写が前面に出て、そちらが作品の主体になっているのではないか、という感じがする。
結果的に、丁寧に構築された印象の強い舞台世界に、ありきたりのテンプレキャラが存在しているというちぐはぐな作品になってしまっているのではないか、という疑問が生じてしまった。
また、神戸監督の演出として特徴的なFIX主体、引き気味のカメラで描写されるため、視聴者として、作品世界全体を一歩引いて客観視することになり、こういった感覚を受けやすいという側面もあるかもしれない。
このちぐはぐ感は、ある意味でオタク系のメインストリームで仕事をしてきた吉野弘幸脚本の、オタクアニメ的文脈の上での、受ける要素、受けるキャラの常道を、オタクメインストリームから外れたところでずっと仕事をしてきた神戸監督が、シナリオに含まれたその文脈を読まずに、というか読めずに、今まで通り「普通」に作ってしまっているからなのかもしれない。

もうひとつ、面白いとも言えるし、違和感を感じるとも言えるのが、スペインのクエンカをロケハンして描かれた背景美術で、全体的にヨーロッパ圏が舞台の世界のように見えて、通貨が円だったり、箸や漢字、焼きおにぎり、味噌、八百万の神などなど、日本的な小道具や諸設定が次々に出てくる、文化的にごちゃまぜの世界設定。
例えば、欧州圏に属するもので統一していれば、イギリスのものであれフランス、スイス、ドイツのものであれ、ごちゃまぜにされていてもそこまで違和感を感じたりはしないだろうが、欧州圏にないはずの日本的なものが出てくることで、違和感を感じ、いやでもそこに意識が向けられると事になるのではないかと思う。
これは、視聴者にこの世界の文化、歴史に対する注意、関心を引くための意図的な仕掛けなのではないだろうか。
例えば、なぜ日本的なものが頻繁に登場するのかその理由を、一度大戦で文明が後退しているという基本設定を含めて考えると、過去に日本が、欧州圏全土を支配した名残で、文化的混合が進んで、大戦後に日本自体は滅亡し、その残滓として日本的文化が、存在しているといった解釈も可能である。
これは、タケミカヅチという明らかに周囲の存在から浮いたオーバーテクノロジーである戦車の存在も含めて、この世界がどういう歴史、時代を経て今に至っているのかといったことを、あれこれ考えながら視聴者が想像をふくらませるのに、大きな役割を与える装置になっていると言える。
個人的な見解を言えば、この世界が今現在の世界の遠い未来の話であると言ったことも明言しているわけではないので、セーズという街自体がクエンカをモデルにした全くの架空の異世界であるなら、日本的なアイテムそれ自体が、架空の世界の架空の文化のモデルとして日本を参考にしたに過ぎないので、実は、欧州風の背景に日本的文化が混ざっていること自体には、あまり深い設定はないんじゃないかと思っているのですが。
だってオネアミスの翼みたいに、異世界の文化や風俗の設定を細部まで全部起こすのはめちゃくちゃ手間がかかるじゃないですか、まあ、タダの手抜きですよ。
とはいえこのゴチャマゼの世界観はやはり面白いし色々と効果をあげているとは思うのだけど。

もう一つ。
これもある意味想像していたことではあるけれど、想像よりも作品に漂う「死のイメージ」の影が色濃い。
炎の乙女の伝説、クリムトのOP、二話の幽霊騒動で仕込まれたモノホンの心霊、時告げ砦の廃墟の学校等々
この死のイメージが、この作品をどこに向かわせるのか、未確定な不安を抱かせる。

三話過ぎた時点で、未だに作品の方向性、世界観が完全に固まった、という感じを抱かせないのは、いいことなのかマイナスなのか、見る人によって受け止め方は違うだろうが、少なくとも自分は、この不確定性を現状ではまだ楽しんでいる、と言ったところだろうか。




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