■ ソ・ラ・ノ・ヲ・ト総評


全十二話の作品として、作画、演出、脚本構成に関して言えば大きなミスや欠陥は見受けられなかった。
美術、音楽、音響に関しても、格の高さを感じさせる丁寧かつ豪華な出来栄えだった。
脚本構成に関して言えば、前半から丁寧に、最終回に向けた展開への想像や予想を推理させるヒント、伏線を配置し、それを綺麗にまとめて回収して行く手管は中々に鮮やかだった。
ただ決定的に、ここがすごく良かった、といえる突出したモノがなく、期待を大きく裏切ることもなく、予想を大きく外すこともない、特徴のない小さくまとまった作品になってしまった。

ソ・ラ・ノ・ヲ・ト、という作品に対する印象を纏めると、こんな所だろうか。

ソ・ラ・ノ・ヲ・トという作品は、はじまった当初から、けいおんやストライクウィッチーズ、ARIA、ナウシカ等々、既存の作品との類似性を指摘され、多様な要素が詰め込まれた作品であったが、オリジナル作品として、売れ線の作品を意図的に取り入れて作品を設計すること自体は、マーケティング的なことも考えれば、特別非難されることでもないし、放映開始当初は、それが奏功して注目を集めるのに十分な役割を果たしていた。
しかし、作品が終わってみた段階では、逆にそれが仇になってしまった、といわざるをえないのではないだろうか。
いろいろな作品の要素を足していった分だけ、この作品はその色々な要素を消化しようとして、それぞれの要素が混在し、作品としての中核をなすものがなんなのかはっきりせず、すべてが中途半端に終わってしまった、 その結果が、「特徴のない小さくまとまった作品」になってしまった、と、そう思えてならないのだ。

作品が始まる以前に脚本の吉野氏は、神戸監督に女の子の日常を描いてもらうことがこの作品のひとつの目的と語っていたが、実際にこの作品において、その女の子の日常が主であったか、ということにも疑問が残る。
いわゆる萌え系の日常アニメ、特に近年大ヒットしたけいおんもそうだが、比較的狭い人間関係と世界観の中で、ひたすらたわいのない日常や出来事を追うのが、萌え系日常アニメのパターンであるとするなら、ソ・ラ・ノ・ヲ・トは、それに当てはまる作品とは言い難い。
作品の狙いとして、戦争で荒廃し疲弊した世界で、その中で力強く、楽しく生きる女の子たちの生の輝き、みたいなものを描く為に、バックグラウンドとなる世界観の描写、設定にかなりの力点がおかれ死のイメージを想起させるイコンを混ぜ、一本筋のあるものを目指そうとした意図は理解できる。
しかし、リオやノエルなど外部の社会や関係性の影響をもろに受けた物語があり、非日常的な事件として最後の二話では戦争状態が起こり、それを解決するという展開も用意されていて、結果的に日常メインと言うには、筋の通った大きな物語が存在している。
物語性を強く持たせようとしたが故に、「たあいのない女の子の日常」を描くという部分は薄くなり、と同時に、戦争という大状況を持ち出して物語を飛躍させまとめるが、それ自体が二話しか描かれることがなく、薄い。
日常物をやるのか、戦争モノをやるのか、結果的にしぼりきれず、それもこの作品が中途半端になってしまった印象を拭えないひとつの要因ではないかと思う。

もう一つ、個人的に大いに不満な点は、ドラマ、物語としての薄さだ。
リオのキャラとして王女としての役割を担うことを決意して砦をさる第十話はこの回だけを見れば、非常に良く出来ていたが、それまでのリオとカナタの関係性の積み重ねと、それに付随するリオの内面の変化の書き込みが薄く、そこに至るドラマの掘り下げがどうしても弱く感じてしまう。
これに限らず、設定的な伏線の張り方は、かなりの上手さを感じる一方で、キャラの関係性や内面、感情の変化をつないで描いていくことは、必ずしもうまくいっていなかった。結果的にキャラへの感情移入、魅力という点でも最後までノレなかった。
この辺が違っていれば、作品への評価も違っていたかもしれない。


以上、おおよその評価として、相当に厳しいものとなったことは否定できない。

神戸守監督にとっての初の完全オリジナル作品ということで、期待も大きかった分、結果が残念なものだったと言わざるをえないのは、心苦しくもあるが、これが正直な感想であるのだから致し方ない。

今回、改めて思ったことは、オリジナル作品の難しさというよりも、神戸監督自身の資質としてやはり、「作家」であるより「演出家」なんだな、ということ。
もともと自分は、神戸監督の演出スタイルに惚れ込んで、作品を追いかけてきた人間なので、神戸監督自身の作家性、という部分には、過渡に期待せず、そこに踏み込んだ考察、評価というのは留保してきたわけだけれど、今回のソ・ラ・ノ・ヲ・トという作品のある種の凡庸さは、神戸監督の作家性の薄さ、凡庸さを証明してしまったのかもしれない。
ある意味で神戸監督の演出スタイルの特徴、良さは、「普通」であることに尽きる。
どんなクセのある作品でもフラットに「普通」の演出でをまとめ上げることができる神戸監督の演出家としての力量、安定感は揺ぎ無いものがあると自分は信じている。
ただ、その「普通」の演出は、普通であるが故に凡庸な物語、凡庸なテーマでは、輝くことは出来ないのだろう。

神戸監督のファンとしては、オリジナルを期待するよりも今後は、より良い原作、脚本にめぐり合うことができる事を期待するしかないのかもしれない。


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