「私のはるかな旅路」 ・・・ 松山和弘 

 趣味で古代史の散歩道を歩いております。
散歩に同行する私の切り抜き用スクラップブックは「惑い」の古代史と名づけています。 この道のさらに迷路に迷い込ませる道です。
 同好の小松さんから「私のHPを作るから5月に北海道新聞に掲載された『鳥取県の青谷上 寺地遺跡の弥生人 韓国人とDNAの一致』の記事について 松山流の感想をのべてよ」と 声をかけられ『なぜ私に?』と思いながらも承諾しました。

 新聞記事だけでは心もとないので、早速鳥取県教育委員会に問い合わせたところ、ご丁寧に 資料提供いただきましたので、要点と思われる部分を抜粋しました。お読みください。
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分析機関:鳥取大学医学部(昨日携帯統御学講座形態解析学分野)
分析の結果:同遺跡の弥生時代の人骨片29点において、7点の人骨片からミトコンドリアDNAを 抽出した
  • 4点についてミトコンドリアDNAのDループ領域の塩基配列を決定できた
  • いづれの塩基配列も異なっていた
  • 現時点で少なくとも同遺跡には4つの母系が存在していた
  • その結果を元に他と比較検討したところ、北部九州(佐賀県)の託田西分遺跡の範疇に入る
  • 現代人のデータと比較検討したら、朝鮮半島や本州の人々と同じ範疇に入る
<分析の意義> 今後歯牙などからのDNAデータ収集が進めばより的確に青谷上寺地弥生人の系譜 や集団内での血縁関係を解析できると期待されている。

<解説> ミトコンドリアDNAの塩基配列を古人骨や、日本データバングに登録されているDNAの 塩基配列と比較検討することによって母系をたどる事ができる としている。(ミトコンドリアDNA の遺伝は、女性のみ確認できる)

 今回のデータのみから、塩基配列と同じ範疇に属する人々が、現在の朝鮮半島や本州に住んで いることは興味深い。
    (以上、提供資料・掲載記事の要約)
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また、ミトコンドリアDNAによる日本人のルーツ調べについて詳しい 「遺伝子・DNA 3− 日本人のルーツを探れ− 人類の設計図」(NHK出版)を引用します。医学上の調査研究も参考にしたいのでお読みください。
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・・・・  国立総合研究大学院大学の宝来博士の結論として
「縄文時代に日本列島を担った『縄文人』には、アイヌの人々の祖先と沖縄の人々の祖先、 少なくとも2つの集団があった。またアイヌと沖縄の人々の祖先集団とは別の、おそらく日本列島中部 に暮す別の縄文人集団を想定する事ができ、それぞれの集団どうしで交流があった。」すなわち「縄文 人は多様な集団から構成されていた」
 さらにミトコンドリアDNAの分析で、集団が遺伝的にあまり特徴がなく、むしろ大陸中国や韓国の人々の持つ特徴が非常に多く含まれていること。つまり多様な大陸系の集団から成り立つ事が 判明し、けして遺伝的に均一な集団ではないことがあらためて確認されたわけです」  


 (▼下記はわかりやすくするために松山がフローした)
東アジアは5つの遺伝子集団に区分できるとしている
アイヌ人 日本人固有タイプ 4.8%
沖縄の人 韓国人タイプ 24.2%
本州の日本人 中国人タイプ 25.8%
韓国人 沖縄タイプ 15.1%
中国人 アイヌタイプ 8.1%
5集団以外のタイプ 22.0%
※ 「本州の日本人」の中でも更に6タイプに分類することができるという意味です
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 私流に語るなら、縄文人・弥生人という教科書的呼び方は意味が薄いと考えます。文化の区別を表すにはいいのですが、文明文化は連綿としてゆくものなので、お隣の国から稲作を移入したからとしても数千年前から誰とも知れず持ち込まれ たものなのでしょうから殊更に、稲作を始めたから弥生時代と受け取られる在り方は止めていただきたい。
 遺伝集団の区別でも人種置き換え説は当たりません。混血していった時点での割合は、ミトコンドリアDNAで証明されている 「本州の日本人」の6タイプだったのです。
 人の流れ・交流は何千年もの期間を波状のようにそれも何度もあったでしょう。日本列島は東南アジアにぶら下がるように位置していますし、地球規模の海流である黒潮が遥か南方5000kmからでも人・物を運びます。アリューシャン列島からも北東アジア・アムール川辺りから南下した人々も居たでしょう。気候・政変・国の滅亡により新天地を求めて列島に来ました。 このような異系・雑種の集まりが、その後の日本列島人の活力になったのでしょうか。それとも顔の見えない列島人を生んだ のでしょうか。

 私の日本人はるかな旅路は、ミトコンドリアDNAの研究を知り、屈折しながらもストーリーが出てきました。歴史の中には 数限りない事実や出来事が星くずのように散らばっています。あなたはどこに光をあてて 歴史の中にストーリーを組み立 てますか。


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