「馬はどこから来たのか」 ・・・ 松山和弘 

■  私にとっての 魏志倭人伝
<「其の地に牛・馬・虎・豹・羊・鵲無し」という一文>

 馬産地日高に住み、馬には何かと興味を持っています。
 馬と関わりある古代史に以前から関心を持っていました。約1700年前頃に記述された 「三国志 魏書 東夷伝 倭人条」略して魏志倭人伝に記述されている一文が標題です。
 3世紀には倭国(日本)には家畜としての馬はいませんでした。 4世紀に入るとすでに乗用に供される馬がいるのです。馬は物の運搬を担い、戦いの重要な道具でした。 政権を立て国力を増大してゆく上に不可欠のものです。古代政権と係わる馬を100年〜150年の間に、何処から・誰が・どのようにして 根付かせたのかと、とても興味をかき立てられます。

<倭人伝の馬の記述>
 倭人伝の記述について専門家の語るところによると、3世紀の倭地(日本)九州北部あたりまで述べていて、 記述内容は伝聞であったとしても、対馬・壱岐・北九州の一部までの描写は正確でイキイキとしている。 現在の対馬・壱岐の様子を観ても記述のような雰囲気を感じる と述べてます。ですから かなりの程度実際に 牛、馬を家畜として飼っていた様子はなかったと考えても良いのでないかと語ってます。
 倭人伝記述の当時「家畜として飼養していなかった」また  「当時馬の飼養は盛んでなく特に乗馬として利用 された形跡はない」としているのが専門家の一致した見解です。


馬の体高と野生・家畜馬と牧畜民・騎馬族について

 この時代の馬は体高約1m〜1.4mあるかなしかです。現在の競走馬・乗馬などの大型馬に対して、小型馬・中型馬といってます。蒙古やシルクロード辺の西域 (内陸ユーラシア乾燥地帯)の牧畜民・騎馬民族の馬は中型馬ととらえてます。小型馬については中国の 華南一帯にかけて蒙古馬と異なり、現在の四川馬の元になる馬がいたといいます。 わが国には縄文〜弥生時代の頃に、その小型馬が中国江南沿岸から黒潮が流れて行く海域にある九州西南・三河 ・房総・朝鮮半島南部に持ち込まれたのでないか、又は大陸と陸続きの時代に移動したのでないかと説く研究者 もおります。現代の家畜馬の祖先は1種であり、大・中・小の体高の違いは、同種の中での環境の違いによるものとされています。
 野生の馬・牛は縄文・弥生時代の遺跡から数十例の馬骨・馬歯が出土し、 範囲は北海道を除く日本全土のようです、最近の科学的年代測定によると五島列島出土の牛歯は紀元40年±90年 のものもあります。

 家畜化した馬を飼養する人たちのことを、騎馬遊牧民と言っています。遊牧をしながら時には騎馬して戦いをするのです。東アジアにおいては、現在の内モンゴルやモンゴル・満州あたりの騎馬遊牧民は、古代中国と領土を接していたので中国に進入・侵略して時の中国皇帝を苦しめ、 あの万里の長城を造らせました。「馬」という運搬役と即戦い道具なるものをたずさえて、シベリアの東南沿 海地方・中国東北(俗称満州)からアラル海・カスピ海あたりまで草原(草原の道、絹の道より北方のルート、 中国の馬ルートはシルクロード)を求めて移動する、国境に拘らない人たちです。 歴史の中で匈奴(きょうど)が強大な国を作りあげました。 沿海海岸・満州辺りにいたツングース(遊牧民)では東胡・鮮卑・扶余・烏桓と呼ばれた族がいました。
 蛇足ですが扶余族が朝鮮半島南部から東部にかけて関わりが深いので、倭国政権誕生に結びつける説もあります。

<4世紀の馬に関する史実>
すでに4世紀に乗馬していた証明になるのが 平成13年12月1日の北海道新聞掲載記事です。詳細は以下。
「日本最古の馬具出土――大和政権発祥の地といわれる。奈良県纒向(まきむく)遺跡にある 箸墓古墳の後円部の堀が埋まり始めた際のたい積から、日本最古の馬具、鐙(アブミ)が出土した。 同古墳は3世紀中頃から後半の築造とされているため、鐙は同古墳築造から数十年経った頃のものとみられる)」
 そのようなことから4世紀初めの木製馬具となるようです。
「箸墓古墳は二重の周濠に囲まれていたと推定され、 墳丘のすぐそばに近づけたということは、大王に近い人物だったとみられる大王周辺に騎馬の風習を持つ人物 がいたということを示す資料だ。」

<鐙(アブミ)のこと>

 古代史の専門書などは5世紀になると相当数の馬が朝鮮半島から持ち込まれたとしてますが、掲載記事の4世紀初頭に 中国考案の鐙を使用して乗馬していました。
 鐙が中国で考案・使用されるのは4世紀になってからといわれてます。私は 馬具は馬の本場、中央アジア・ モンゴルから伝えられたのだと考えていましたが、中国から北方騎馬族への逆輸出でした。騎馬族が鐙を使う ようになったのは、7世紀からです。中国の馬具を再認識しました。
 時を経ずしてあぶみを倭国に持ち込んで乗馬しているとすると、豊な想像をはたらかせれば、中国のある地域の部族が移 り住んだとは考えられないでしょうか。

<馬の歩いた道> 
 それでは何処から馬が来たのでしょうか、そしてどのような体形上の特徴を持っていたのでしょうか。 以下引用文です。
 中国の馬はどのようなものであったのだろうか。初めて戦車が登場した頃の殷(いん、3000年以上前の時代)の遺跡 には、生け贄になった馬100体ばかりの遺物がのこっている。これらの馬は体高が140cmたらずで、頭は大きく、 頑丈な骨をしているという。現代のモンゴル馬(モンゴリアン種)に似たところがある。馬はしだいに体が大きく なっていったのだが、前2世紀まで、体格はずんぐりしていたらしい。」
        ・・・・・「馬の世界史」 82ページ

「世紀前後の朝鮮半島の北部は、良馬を多有する北方地帯の遊牧民と密接な関係を持っていたから、漢の武帝が 衛氏朝鮮を滅ぼして獲った馬は、特に果下馬(小型馬)との記録がないから、当時の中国で見られる普通の中型馬 であったろう。楽浪郡設置後、漢との交通は頻繁となり、楽浪文化を形成した程であるから、当時の中国の馬 (蒙古馬そのものでなく、中国に移入された西域馬の血液をうけたもの)が朝鮮半島に導入されたことは容易に 想像できる」
「漢代は本邦の弥生時代にあたるから、弥生遺跡から出る中型馬は、朝鮮半島から入ったものであろう」   ・・・・「馬」  238ページ 
 中国馬が朝鮮半島を経由して倭国へ持ち込まれたとの解釈になります。現在の朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮の 半島範囲では、地勢的に現在の馬の祖先が出現し、生産.育成してゆける気候風土ではないと私は 考えてます。

<古代中国は馬を西からもつれてきた>
 大宛(中央アジア・ウズベックおよびトルクメン、―カスピ海の東側―)は、古くから良馬の産地で有名でした。 紀元前104年、漢の武帝の使いが良馬取引の話に失敗しました。その事がきっかけとなって大宛征伐(フェルガナ 遠征)の大戦争が始り2度目の遠征は兵卒6万人、牛10万頭、馬3万頭、驢馬・駱駝・騾合せて1万頭で遠征しました。 しかし万里の困苦にみちた長征で、兵団が玉門関(万里の長城)に入った時には、馬はわずかに千頭余になってしま った。その後毎年、大宛から良馬2頭が献上されることがさだめられた。何とも大変なお話でした。 この遠征に至る遠因は馬が少ない漢は、匈奴から蒙古馬、一部は匈奴を通して西域の駿馬を入れていたが、入手が 困難になった事情があるようです。

<日下遺跡の馬骨からわかること>
 1966年大和政権に関わりある地域、生駒山麓の日下遺跡が発掘され、ほぼ馬一頭分の骨が出土したその状況など 勘案して、5世紀後半のものと推定し、歯の状態からオス・12才前後・体高130p前後と判断している。因みにサラ ブレットの平均体高は163pです。
 その馬の四肢骨は、蒙古馬のそれより細いので、漢代西域(アラル海・カスピ海方面)-の馬種との雑種であるとして います。
 私もそのように考えたほうが自然だと思います。騎馬遊牧民から進入される中国は西域馬を必要とする度合いは当 然強いでしょう。何故なら本来馬はモンスーン地帯の生き物でありません。中国で馬の気候・風土にむいた土地は 黄河の西北地域に限られます。馬の生産はやはり騎馬遊牧民より劣るでしょう。騎馬遊牧民との戦いに勝って戦 利品としてとりあげても頭数が少ないでしょうから、西域馬を移入して馬を増やします。当時人手による交配もし ていたでしょう。そうしますと蒙古馬と幾分かの違いが体形・外形にでます。日下遺跡の発掘により出土した馬が、 そのような移入経路の証明になる馬であろうとの事ですね。
 つまりツングース族・北方(蒙古)の馬ではなく、中国型の馬が倭地に移入されたのであろう。
 騎馬遊牧民もまた土産の蒙古馬は当然としても、西域の駿馬を手に入れていたと云われてます。

 一例があります。アルタイ山中、匈奴のバジリク古墳から、小型馬にまじって蒙古産の馬というより、中東の大型馬と思わせるものが、凍結状態で出土しています。

 可能性として蒙古馬タイプが倭国に移入されたのなら、古墳などから出土した馬が蒙古馬タイプであってもおかしくないと考えます。この部分について情報をお持ちの方がいらっしゃられば是非教えてください。ご連絡お待ちしています。

以上で 馬が古代倭地に何処から来たのか の部を終了します。次回は、誰が馬産の技術を持ち込んだのか探ります。
 馬好きの私に良き参考意見を知らせてください。  

≪ 参考文献 ≫
  • 埋もれた馬文化  森 浩一編
  • 馬と日本史     高橋富雄編
  • 馬          森 浩一編
  • 馬の世界史    木村凌二著
  • 草原と馬とモンゴル人 楊 海英
  • 中国養馬史    謝 成侠著
  •            千田英二訳
  • 騎馬民族は来た来ない 江上波雄・佐原 真 


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