マッチのラベル マッチのラベルは祖父が駅スタンプを集めていたことで触発され、親戚や知人に送ってもらって集めていたらしい。相当数を集めたらしいが、戦争の騒乱の中で何処かに無くなってしまったと書いている。剥がして貼りなおした形跡が見えるので、残っていたものに僕らが新しいものを足したのかもしれない。諏訪・茅野・下諏訪や東京の様々な店のものがあるが、いつの時代のものかはっきりしない。ただデザインが楽しいし、時代が見える。 宿 その他
父の
スケッチブック
昭和22年7月15日渋川から伊香保・榛名湖を巡る旅をした時のスケッチブック。田舎の蔵を整理しているときに、本と本の間に挟まっていたのを発見した。表紙裏に書いてあるものを読み取っているが、はっきりとしない。ただ素人のスケッチにしては、憲治さんから絵描きになれよと言われたのもうなずける。
駅スタンプ 父が作った全国地図に各駅のスタンプを配したものは僕の手にないが、満州や今はもうなくなってしまった駅のスタンプも手書きの地図で書き込みながら作ってあった。その数450枚はあったという。ここでは若干スキャナーで取り込んであったスタンプを載せた。各地に旅をしていた祖父自由也や親戚がそこここで葉書に押したりして送ってくれたものだという。スタンプのデザインがしゃれている。
戦争体験記 父は僕達に戦争の体験を話してくれた事はない。ある時古いファイルの中に、茶色く変色した数枚の便箋を見つけた。読んで見ると、そこには昭和20年5月25日に出くわした大空襲の実体験が書かれていた。しかも僕の勤めていた東急東横店のすぐそばで起きた事だった。とにかく驚いた。と同時に此処まで朽ちてしまった紙を今後保存も難しいだろうと思い、書きなおすことにした。どうせ書きなおすのなら、父の経験した戦争というものを一緒に書こうと思い付き出来たものが、これになる。被爆記は渋谷で、中央本線はいのはなトンネルの銃撃事件である。