次の日の朝にはキラも少し元気になっていたので両親も安心したようだった。そして正午過ぎには家を出ようとキラは玄関に向かう。両親はキラを送り出すために玄関まで出てきたが、そこでキラに見せた笑顔は相変わらず澄み切った愛情にあふれていた。それを前にしてキラの胸にまた悲しみがこみ上げ心が乱される。これで最後になるかもしれないと思うと寂しさと申し訳なさがどっと押し寄せてきた。しかし思い返せばキラがそのような気持ちを抱いたのは何も今日が初めてではなかった。オーブを守るためにアークエンジェルに乗った時、戦うと決意した時、キラは両親の顔を見ながらいつもひっそりと別れの覚悟を決めていたのだ。ただそれまでは不確定だった死が今は決定的な事項としてキラの眼前に待ち構えているだけなのだ。キラと医師だけしか知らない死がキラに手を差し伸べているだけなのだ。キラは両親に愛していると告げて別れを告げた。
 そして今度はオーブ郊外から代表首長宅へと出発する。カガリは今日は仕事で忙しいのでアスランと一日ゆっくり過ごすことになっていた。キラは自分の体力が急激に失われているのをすでに実感している。だからオーブの繁華街に出ようというアスランの提案をやんわりと退けて、のんびり家で過ごすことになっていた。
「キラ、久しぶりだな」
「アスラン」
 カガリの邸宅で再会した二人の顔に笑みがあふれた。キラは自分の死を誰にも悟られたくなかったのでアスランと元気よく再会の握手を交わしたがそれでもアスランはキラの姿に疑問を抱いたようで首をかしげる。
「キラ、お前やつれたんじゃないか?あっちで大丈夫なのか?」
 アスランの気遣わしげな視線にキラは内心ひどく戸惑ったがそれは表には出さないで相変わらずの凪いだ笑みで切り抜けた。
「大丈夫だよ。仕事のしすぎっていうのはあるかもしれないけど、こうして休みももらったしね」
「そうか…?」
「うん。それよりさ、アスラン、映画でも見ない?カガリの家って大きいホームシアターがあるんでしょ?前からあれ使ってみたかったんだよね」
 キラは競争を誘いかけるように小走りで階段を駆け上がっていく。アスランはそんなキラの様子がいつも通りの元気なものに見えたのか、そこでようやく表情を緩めてキラの背中を追いかけた。
「キラ、勝手に色々な部屋に入るとカガリに怒られるぞ」
「僕はカガリから家中どこに行ってもいいって許可をもらってるもの」
「なんだって?俺はそんなのもらってないぞ。俺の方がずっと長くここで暮らしてるのに」
 顔をしかめて不満げに小さく呟いたアスランにキラは楽しそうな笑い声をあげる。そうして二人はホームシアターが設置されている部屋に入り、大画面の一番前を陣取って並んで座った。早速機械をいじって部屋を真っ暗にし映画をスタートさせると、気をきかせた使用人が二人のためにお菓子や飲み物を忍び足で運んできてくれる。いま炒ったばかりの熱々のポップコーンにはバターと塩が適度にまぶしてあってとても美味しかった。ポップコーンの皿は二人の真ん中に置かれていたので、キラは映画に夢中になりながらそこに手を突き出す。するとちょうどアスランもポップコーンを食べようと手を伸ばしていたので二人の手がぶつかってしまい、その途端キラの心が燃え上がってぐらぐらと揺らいだ。それと同時に顔が瞬時に赤く染まっていきキラはしゅっと手を引っ込めて、代わりに手近のジュースを飲み干す勢いで飲んでいく。もう映画のことなんか何も考えられなかった。しかしアスランも映画の最中なのに不意にキラの方を向いてポップコーンの皿をずいっと差し出してくる。
「キラ、お前がポップコーンを食べていいぞ」
「え?どうして?」
 キラはドキドキしながら大きなスクリーンを見るともなく見ていたのだが、驚いたようにアスランに目を向ける。しかしアスランは軽い微笑を浮かべて肩をすくめた。
「だってお前さっき俺の手とぶつかって手を引っ込めただろ?食べたいんなら俺に遠慮なんかするな。キラが持ってていい」
「遠慮なんかしてないよ。それは君の考えすぎ」
 キラは自分のさっきの意気地のない行動がアスランに悟られていたと分かり、恥ずかしさに動揺が強まった。顔がますます赤くなっていき、キラは部屋がほとんど闇に近く自分の顔を隠してくれることを感謝する。しかしアスランはまだキラを気遣って皿を差し出してくるので、キラはその皿を強引に真ん中のテーブルへと戻していった。
「アスラン、二人で食べよう?本当に遠慮なんかしてないから」
「そうか…?お前がそう言うならそれでいいが」
「もう…君は変なところで僕に気を遣うんだから」
 キラはきちんと真ん中に戻されたポップコーンのお皿に手を伸ばしてそれをばくばくと食べていく。死ぬまでに美味しいものをたくさん食べるということもキラの任務のひとつに入っている。それにキラは先ほどの自分の意気地のなさを払拭したかった。アスランと手が触れようと足が絡もうといちいち赤くなって引っ込んでいてはいけないのだ。何せキラは『アスランにキスをすること』という死ぬまでに叶えなければならない5つ目の任務を持っている。これはアスランとの恋愛に弱腰な今のキラでは到底叶えられないことなのでキラはなんとしても早急に威勢よく積極的になる必要があった。
 それから二人は一本目の映画を見終わり、少し休憩を挟んで映画の感想を談笑を交えて語り合ったあと二本目の映画に突入した。どの映画を見るかは決めていなくてカガリが所持している映画を二人で適当に取り出してかけている。もうポップコーンのお皿は空になっていたがたくさん食べたのでお代わりは遠慮した。しかし今日という日を楽しんでいたキラだったが、二本目の映画が始まった当初から嫌な気配を察知して徐々に胸が不穏に波立っていく。映画の雲行きが今のキラにはつらかったのだ。映画はまず初めに病気にかかった主人公が荒れ果てた土地で一人孤独に死を待っているシーンからスタートする。彼は人を拒絶しているので彼の寂れた不毛な家を訪れる者はいなかった。彼の仕事は小さな金細工を作ることであったが、病気にかかった彼はそれすらも段々とできなくなっていく。主人公の心には絶望だけが漂っていた。彼の長い人生に絶望は何度も訪れてその失意に押されるように彼はとうとうこの草木など一本もないような世界の果てに流されてきたのだ。それでも死を前にした主人公は今日もまた息をするように絶望を吐き出していく。
『俺の家にはついぞ誰も訪れなかったが、初めて訪れるものが死とは皮肉なものだ。ああ、肉体が崩壊していく。俺の唯一の誇りであった金細工作りはもう二度とできやしない。金細工作りができない俺にいったい何の価値があると言うのだ?』
 それを見ていたキラの心が不安に押しつぶされて気持ちが悪くなった。しかし主人公の独白は続いていった。
『俺を形成していた魂までもが消滅していくようだ。俺自身が徐々にどこにも存在しない場所へと消えていくのがわかる。俺は真っ暗な世界へと落とされるのか?たった一人で。そうだ、誰も助けてくれない。死は俺の前に迫っている。たった一人、俺は死と向き合うしかない。永遠の闇が迫っているのに俺は一人だ』
 キラはもう我慢できずにはじけるように席から立ち上がり驚くアスランの前を素早く横切って部屋から出て行った。あの映画から離れたくてキラはどんどん足早に歩いていき、もう大丈夫というところまで来てようやく立ち止まる。激しい動悸がしていた。息が苦しい。気持ちの悪さがどっと襲い掛かってきてキラは口を押さえて近くのトイレに駆け込んだ。洗面台に顔を出してそのまま嘔吐を繰り返す。ややあって大きく息を吸ったり吐いたりしている内に段々と落ち着いてきた。キラは蛇口から水を出して自分の吐き出したものを綺麗に流して、ついでに顔も口の中も洗って気分を一新させようとする。このままではすぐにまた吐き気をぶり返してしまう。それはここ数日の自らの体験で察知できていた。キラが顔や口内を洗い終え洗面台に用意されていたふわふわのタオルで水をぬぐっていると、トイレのドアがコンコンと叩かれた。
「キラ、平気か?」
 使用済みタオルを入れる専用のカゴにタオルを放り込んでからキラはトイレの扉の取っ手を掴む。そこを開くとアスランの心配そうな顔がすぐに目に飛び込んできたのでキラは安心させるように笑みを作った。
「ごめんね、急にトイレに行きたくなっちゃったから。ジュースを飲みすぎたのかもしれない」
「キラ、本当に大丈夫なのか?」
 アスランはひどく憂慮したようにキラの顔を覗き込んで来た。どうやらアスランはキラの言葉を信じられないようだった。廊下の窓からは力強い日光が廊下に入り込んで辺りを照らしている。行き届いた廊下は太陽の光を浴びても埃ひとつなく艶々(つやつや)と輝いていた。キラは実際のところまだ具合が悪かったがそれでも凪いだ笑みを失わなかった。
「アスラン、映画はもう止めにして君の部屋に移動しない?君がマイクロユニットを作ってる姿、僕好きなんだ」
「キラ」
 アスランは廊下を歩き始めたキラの腕を掴んで引き止める。キラはアスランに掴まれた腕から熱が伝わってきてまた心臓を高鳴らせながら振り返った。すると二人の視線がばちりと合い、アスランの真剣な瞳にキラは場違いなほど胸が浮き立つのを感じる。それでもキラはその想いを誤魔化すように強い口調でアスランの行いをいさめた。
「アスラン、手を離して」
「駄目だ」
 折れないアスランにキラは一瞬だけ眉を寄せたが、率直に言ってキラの心はアスランへの愛であふれ返っていた。アスランがキラを心配しているのが手に取るように分かる。好きな人のそういう優しさに触れていつまでも厳しい顔をしていられる人がいるだろうか?キラはそう自分に言い訳しながら結局表情を緩めた。さっきまで燦燦と熱く燃えていた太陽が不意に厚い雲に隠されて廊下に影が差し込んでいく。一気に暗くなった回廊でアスランは透(す)かし見るようにキラの内心を汲み取ろうとしていた。向かい合うその瞳をキラはただじっと見返す。
「アスラン…」
「キラ…」
 キラの頭の中にふと今がチャンスなのではないだろうかという邪念がよぎった。死ぬまでに叶えたいことのひとつ、キラは息絶えるその瞬間までにアスランとキスがしたいのだ。じわじわと胸が高鳴っていき体が震えそうになる。アスランに掴まれた腕からびりびりと電撃のような何かが走ってきてキラの体中にどっと欲望があふれた。キラは自分を見つめてくるアスランの気遣わしげな顔が愛しいと思った。その感情に任せてキラは自由な片手をアスランの肩に乗せ、そっと顔を近づけていく。これがすんだらほとんどもう思い残すことはなくなる。キラは秀麗なアスランの顔にゆっくりと自分の顔を寄せていき、その吐息が感じられるほどまで顔を近づける。キラの唇がアスランの整った唇に触れようとするまさにその瞬間、天がキラをあざ笑うように長い回廊に大声が響きわたった。
「大変です!大変だわ!アスラン様!アスラン様はどこですか!?」
 キラはその言葉にびくりと動きを止めてそれとなくアスランから体を離す。アスランはまるで止まっていた時間が動き出したかのようにほんのりと戸惑いを乗せながらキラをちらりと一瞥した後、声を絞り出した。
「え?俺…は…アスラン・ザラはここです!…どうしたんですか?」
 キラの肩をやんわりと叩いてからアスランは使用人の方に駆けていく。使用人は大慌てでアスランに手を振った。
「アスラン様、早くいらしてください!カガリ様がお呼びです!大変な事態になったと…!ああ、どうしましょう!大変だわ」
 使用人は混乱に陥ったままバタバタと階段を下りていってしまった。アスランとキラは顔を見合わせ二人同時に頷きカガリの執務室へと走る。健康なアスランの方が足が早くてアスランはまたたく間に廊下の角を曲がって消えてしまった。キラも胸の不安なざわめきに駆られてその後を走ったが、すぐにまた吐き気に襲われて足が止まる。キラは自分に残された時間があまりないことを実感しながらまた足を踏み出しカガリの元へとできる速さで急ぎ向かった。




 キラがカガリの執務室の扉を開けると、カガリはオーブの正式な礼服を着たまま部屋中を行ったり来たりしていた。行政府からいま帰ってきたようで一日の疲れが色濃く出ているが、それでもカガリはじっとしてはいられないようだった。
「カガリ、アスラン、何があったの?」
「キラ、これを見ろ」
 アスランは執務室にある巨大なスクリーンに視線を投げる。そこには緊急臨時ニュースが流れていて緊迫したアナウンサーが何かを背景に実況中継していた。
「こちら、地球にあるカーペンタリア基地です。現在こちらでは激しい戦闘が繰り広げられており、ザフトの部隊がオーブ軍と思われる部隊に反撃を開始している模様です」
 アナウンサーの背後で何かの機体が爆発して青々とした空に灰色の煙が立ち昇った。カーペンタリア基地からは何機ものモビルスーツが出撃しており、急襲してきた部隊に応戦している。アナウンサーを写す映像がジジジっと不安定にぶれていて現場が混迷しているのが一瞬で見て取れた。キラは盛大に眉をひそめてカガリに視線を向ける。
「カガリ、どういうこと?オーブがカーペンタリアを襲ってるって言ってるけど」
「わ、私は知らない…っ…なんでこんな…!私は…私のオーブがこんなことを……!」
 カガリは机に両手をついて顔をうつむけ大きく首を振った。アスランもその映像を見ながら渋面を作っている。
「これはカガリや俺の知らないことだ。だが、この映像を見る限り確かにいまザフトを襲っているあの機体はオーブ軍に所属しているもののようだな。…いったいどうしてこんなことが…」
 アスランはそれだけ言ってカガリの周りに控えている事務員に尋ねた。
「状況はどうなっているんですか?」
「はい、オーブ連合首長国がオーブの国としてこのような行為を行っているわけではないとすでに世界各国に表明済みです。プラントにもそのように連絡を入れていますが現状回答はありません。そしてオーブの国家元首としてすでにカガリ様がカーペンタリアを襲っている謎の部隊にこの戦闘をやめるように命じていますがこちらも返答あるいは反応がありません。オーブ軍の方ではあの部隊がどこに所属しているのか、あるいは所属していないのであればオーブから奪取された機体や戦艦があるのかどうかを現在確認中です」
「そうですか…つまり、今のところオーブに打つ手はないということか」
 アスランの苦しげな言葉にカガリも瞳を潤ませて机を叩く。
「くそっ!せっかく平和になりかけているというのに…!どうして!誰がこんなことを!」
 混迷を極めている執務室では先ほどからひっきりなしにどこかから電話が鳴り響いており、カガリ付きの事務員がその対処に追われていた。他の首長たちや軍の司令官からの連絡がたくさん入ってきているようだった。執務室の中で唯一戦況を伝えているスクリーンに突然アナウンサーの緊迫した声が響く。
「速報です!大西洋連邦からの表明がありました!大西洋連邦は現在カーペンタリアを襲っているオーブ軍を支援するとの表明が入りました!このまま中継を大西洋連邦の会見に繋ぎます!」
 執務室にいた全員がぎょっとしたようにスクリーンを見つめる。大西洋連邦の代表がとうとうと表明演説を述べていた。その会見を見る限り、大西洋連邦は現在カーペンタリアを襲っている組織をオーブ軍と認定した上で、それを支援すると発表しているようだった。カガリは青ざめた顔でそれを見つめ、呆然として近くの椅子にへたりと座り込む。悲しみと憤りで憔悴したカガリは絶望的な顔で小さく声を漏らした。
「なんで…どうしてこんな…」
 とてつもない事態に、カガリはショックを隠しきれずその目から涙があふれ落ちる。執務室では大西洋連邦の会見と同時に更に電話が殺到して事務員が必死にその対処をしており部屋の中は騒然としていた。その中でもキラはただ一人硬い表情のまま静かに事態を見守っていたが、不意にカガリの方へと歩み出す。
「カガリ」
 キラに声をかけられたカガリは狼狽しながらも顔を上げる。キラはこの部屋の中で唯一落ち着き払った態度を貫いており、その一種冷たいとも言える表情でキラはカガリをじっと見つめた。
「カガリ、君がどうにかしなきゃいけない事態なんじゃないの?」
「キラ…だが私だってやれることはやったんだ!オーブ軍を出して偽のオーブと戦うことはできるが今の状況ではザフトは我々を信用しない!軍を出したらザフトは我々のことも攻撃してくるだろう!それに我が国は中立だ…っ…私だって…!」
 動揺したカガリの手には報告書が握られている。ぐちゃぐちゃになった報告書を机に叩き付けたカガリにキラはそれでもなお詰め寄っていく。
「だけどカガリ、それでも君は何とかしなきゃ。だって君はオーブの代表首長でしょ?君が持ってる権力は何のための権力なの?君の仕事はそこで泣いて喚くことじゃないはずだ」
「キラ!」
 アスランは非難するようにキラの名前を鋭く叫ぶ。そしてアスランは二人の傍に歩み寄り、いたわるようにカガリの肩に手を置いた。
「キラ、カガリだってこの状況でやれることはやったんだ。カガリの言うとおり、今オーブがザフトにできることは何もない。そしてオーブはオーブにできることを必死でやっている。それはお前だってわかるだろ?」
「だけどあれはオーブの機体でしょ?」
 キラは再度カーペンタリアでの戦闘状況を映し出しているスクリーンを指さした。そこには見覚えのあるオーブ製のモビルスーツやモビルアーマーがザフトと交戦している最中で、しかもその後ろにはかつて何度も見たオーブ製の母艦がそびえている。カガリは顔を歪ませて映像から苦しげに目を背けるが、キラはそんなカガリとアスランを強く睨みつけて言葉を吐き出す。
「あれはオーブのものだ。オーブ軍の誰かが独断で行っているのか、オーブ軍の兵器や戦艦が知らぬ間に盗まれたのか、オーブ軍の軍事情報が流出して勝手に製造されているのか、それはまだ分からない。だけど、あれはオーブのものだ。君の責任なんだよ、カガリ」
「キラ!カガリは状況確認を待っているんだ。今の俺たちは状況を把握してからじゃなきゃ動けない!」
 執務室では多数の事務員が電話に応対しメモを取っている。官僚や軍の上級指揮官から通信で様々な報告書が上がっているが、まだ最終報告には至っていないようだ。カガリは動揺と悲しみで瞳を揺らめかせながらキラを見つめた。
「キラ…私は…」
「カガリ、君はオーブの代表首長だ。泣いてちゃいけない。オーブのために、そして世界のために君はいま泣いていちゃいけないんだ。君は想いと力を持ってるでしょ」
 そう言いながらキラは自分の全身を襲うだるさに一瞬だけ眉を寄せる。先ほどから吐き気も感じているがそれはまだ抑えられる範囲だったので何とか我慢する。キラの胸にずきりと痛みが走っていた。(カガリは想いと力の両方を持っている。だけど僕は……)キラはその考えを振り払ってしっかりとカガリを見据える。
「カガリ、今は泣いてちゃいけない時だ。君は立ち上がらなきゃ」
「キラ…」
 カガリは潤んだ瞳のまま小さく声を漏らす。だがキラは今度はアスランの方に視線を向けた。
「アスラン、カガリは強い女性だよ。君はそれを理解しなきゃいけない」
「キラ、お前…」
 アスランは意表をつかれて軽く目を見開いた。だがそこでキラの吐き気が我慢できないレベルにまで急激に悪化してキラは顔を青ざめさせる。口を押さえてなんとかそれをやり過ごし、キラは蒼白な顔で二人に背を向けた。
「君たちならできるよ」
 それだけ言ってキラは足早に執務室から出て行った。
 カーペンタリアでの戦闘はあれから数時間続いた。ザフトの方では武装勢力を捕虜として捕らえようと作戦を立てていたのだが、武装勢力は敗北が確定した段階で自爆を行ってしまい生き残った者は出なかった。謎の組織は大きな戦力を有していたが、それでもザフトのカーペンタリア基地を襲うにはいささか能力不足であったようだ。そして最終的には自爆で証人も残らない。まるで当初からザフトの基地を襲うだけでザフトを落とす気はなかったかのような状況に各地で疑問の声があがったが、それでも世界中はまたたく間に再び混迷に陥った。あの後も依然として大西洋連邦はカーペンタリアを襲った組織はオーブであると断定しており、それに準じてユーラシア連邦までもがオーブを支援すると言い出していた。しかしあれからカガリは毅然とした対応を行い、オーブ側の主張を何度も繰り返し表明して各国と様々な外交協議を行い懸命に事態を宥めようと努力していた。今回の被害者であるプラントも途方もない事件に議会が紛糾したが、穏健派の抑止のおかげでそれでもまだ即座にオーブに制裁を加えるという結論には至っていない。しかし世界中で匂うように戦争の気配が漂い出していた。



続く



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