「キラ、あなたのお仕事は人を助けることですわ。あなたのお力でたくさんの人を笑顔にしてさしあげてくださいな」
 妖精として生まれて5歳に成長した頃、キラは女神様にそう言われた。それは妖精として自立できると判断された者が女神様からかけられる言葉だった。だからキラはその瞬間自分が生まれ育った温かい場所から外の世界へと旅立つことにした。
 最初の内はどこへ行って何をすればいいのか分からなかった。だからふよふよと宛もなく空を飛んでいて、そして一人の子供に目を奪われた。キラは生い茂る木々の葉の影からそっとその子供を見つめた。その子供は田舎の広大な屋敷の子息のようだった。広く美しい庭園で色とりどりの花々に囲まれているのに、その子供はひどく憂いを帯びた顔をしていた。キラは幼心にその子供が外部に対して心を閉ざしているのを感じ取った。そして気が付くと毎日その子供をこっそりと眺めるのがキラの日課になっていた。キラの中の何かがざわめいて魂が暴れ出す。その子供を助けたいという想いが心のどこかからわき上がってきてキラの心に溜まっていく。とうとう限界になって想いが心からあふれ出したある日のこと、キラは我慢できずにその子供に声をかけていた。
「僕は君を助ける正義のヒーローだよ」
 キラは木の枝から飛び降りて子供の前にすとんと着地した。子供は急に空から降ってきたキラに度肝を抜かれて尻餅をつき、信じられないものを見るような目でしばしキラを凝視する。キラはその子供の前で仁王立ちしてかっこつけて立っていたがその子供は呆然としたままだった。しかしややあってその子供が小さく口を開く。
「君が…正義のヒーロー?」
「そうだよ」
「じゃあ君の名前は?」
 キラは胸を張って満面の笑みを浮かべる。
「僕は正義のヒーロー、フリーダムだ!」
 適当に思いついたかっこよさそうな名前を言ってからキラはポーズを取った。その子供は初めこそあっけに取られていたが、その後二人は時を置かずして急速に仲良くなっていった。しかしヒーローだなんて言いはしたがキラはその子供を助けるすべをまだ知らなかった。だが一緒に過ごす内にそのすべを探り当てられると考えた。そして時は過ぎていき、その子供ははじめの内は周りの人をどことなく拒絶していたのだが次第に周囲の人と打ち解けていくようになった。キラは魔法を使っていなかったが徐々に明るくなるその子供を見て嬉しくなる。しかし楽しそうに他の子供たちと遊び出すその子供を木々の影からこっそり眺めていると、キラの心に訳もない黒い気持ちが沸きあがってくるのも事実だった。キラはその子供が外部のものに心を開いている姿を見て温かい気持ちが芽生えると同時にどこか悲しい気持ちになっていた。それが愛情だということをキラはまだ知らなかった。そしてある日、キラとその子供が二人だけでこっそりと遊んでいる時のこと、その子供はキラに笑いかけた。
「俺好きな人ができたんだ」
「え?」
 キラは突然の言葉に目を見開いた。しかし子供は笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「俺、今すごく幸せだ。全部君が現れてくれたおかげだ」
 その時庭の向こうからたくさんの子供たちの声が響いてきた。子供たちはキラが助けようとしている子供の名前を愛情を込めて呼び回っていた。いつもと同じ、たくさんの子供たちがその子供と遊ぼうと集まってきたのだ。その子供はそちらを一度振り向いて大きく返事をした後、キラの方をもう一度向いて満面の笑みをこぼす。
「正義のヒーローフリーダム、本当にありがとう」
 キラは何も言えなかった。しかし他の子供たちがこちらに走ってきてその子供に向かって楽しそうに手を振っているのを見て、キラは宙に浮き上がり急いでそこから立ち去ろうとした。キラの存在は二人だけの秘密だったので人に見られてはいけなかったのだ。だからいつも通りキラはただにこりと笑うだけでその子供の前から飛び去った。それでもキラは途中で木の影にひそみ、その子供のことを覗いてみた。キラはその子供には魔法を一切使っていなかったが、キラが助けたかったその子供はもうキラが何もせずとも幸せそうに笑っていた。そしてキラはその瞬間妖精の仕事がなんたるかを初めて理解した。幼いキラには妖精の本分が分かっていなかったのだ。妖精はいつかは助けたい対象から去らなければならなかった。一人の人を幸せにしたら、妖精はまた新たな人のところに幸せを届けに行くのである。そこでふとキラは女神様に言われた言葉を思い出した。
『あなたのお力でたくさんの人を笑顔にしてさしあげてくださいな』
 つまり、その時が来たのだ。小さなキラの胸がぎゅっと痛み出す。生まれて初めて感じた激しい痛みだった。それまでのキラの心を変えるような悲しい痛みが押し寄せる。それでもキラは新しい人のところへ旅立たなければならない身だ。未練を断ち切るようにその子供から視線をはがしキラは姿を消した。キラの存在したところにはもはやキラの姿はなく、ただきらめく星屑の残滓だけが漂っていた。キラの初めての仕事は成功とも失敗とも言いがたい苦いものとして心に焼き付くことになった。そしてその苦い思い出と一緒に一度使っただけのヒーローの名前もまたキラの心の奥底に封印されてしまった。




シンデレラ(仮)




 シンは今日もあくせく働いていた。義理の家族にさんざんこき使われて疲れていたが、それでもシンは適度に不満を漏らしつつも一生懸命働いていた。この屋敷は元は豪勢な屋敷であり使用人も何人も雇われていたが現在はシンだけがこの家の家事を任されていた。シンは台所仕事が終わり一休みしようと思ったが、荒れ放題に荒れている庭を思い出して仕方なく立ち上がる。庭はここしばらく忙しいあまり手を付けられなかったのでいつもよりもひどい状態になっていた。
「あーもう3時かよ。この後姉さんのドレスを作らなきゃならないってのに」
 シンはぴかぴかに磨かれた台所の床を歩きながら勝手口を開けて庭へと出る。庭掃除に取り掛かる前に目に付いた洗濯物を取り込んでしまい、その後で物置に箒を取りに行った。ほこりだらけの物置から箒を一本取ってまずは石畳を徹底的に綺麗にしようと意気込んで力強くひと掃きした瞬間、二階の窓から綺麗な声が降ってくる。
「シン、私のドレスはどうしたのよ!お城の舞踏会まで後少しなのに間に合うんでしょうね!」
「間に合うよ。ってか絶対間に合わせるからもうちょっと待っててくれ」
 もうすぐこの国の王子がお城で舞踏会を開くのだ。王子の結婚相手を決めるための舞踏会だとかで、若い女性たちはみな色めき立っていた。しかしシンにとってはいい迷惑である。そのおかげでただでさえ多い仕事がここ最近は一段と増えてしまっていた。義姉のフレイが念押しするように窓から顔を出してシンを怒ったように睨みつける。とびきり整った顔が鋭くシンを威嚇していた。
「早くしなさいよ。変なの出してきたら承知しないんだから!」
「はいはい。わかってるよ」
 シンはため息をついてひらひらと手を振って了解の合図を送る。フレイはもう一度シンを睨んでから顔を引っ込めて窓をばしんと閉めてしまった。シンは早めにドレスを仕上げないといけないと再認識してため息を吐く。結婚相手探しなんかのために舞踏会を開く王子への怒りがこみ上げてきてシンは箒で荒っぽく石畳をはいていった。すると出し抜けに暢気な声が自分の耳に飛び込んでくる。
「うわ、君のお姉さんって超可愛いんだね。僕の好みかも」
 ぎょっとしてシンが振り返るとそこには見たこともない青年が笑みを浮かべて屈託なく突っ立っていた。自宅の庭に突然現れた不法侵入者にシンは咄嗟に箒を剣のように構えて素早く襲いかかっていく。
「この!何者だ!?何で俺の家にいるんだ!」
「ちょっとやめてよ。僕は悪いことなんか何もしてない、ただの善良な妖精だよ」
 しかしシンはますますしかめっ面になり箒を剣のように使ってびゅんびゅんと青年に斬りかかっていく。青年はそれを器用に避けながらも柔らかく微笑みかけた。
「本当に僕はただの善良な妖精だってば。君を助けにきたのに、そんな人に向かってその態度はないんじゃない?」
「妖精だって!?いい年した変態め!俺が成敗してやる!」
「僕は変態じゃないよ。本当に妖精だってば」
「じゃあその証拠を見せてみろよ!」
 問答無用で切りかかるシンの箒が青年の顔に直撃しそうになり青年の微笑が不満そうな顔へと様相を変える。そして青年は不意に右手を前に掲げたと思ったら、その右手から宝石のようにきらめいている白い棒が忽然と現れた。シンは青年の胸を狙って振り下ろしていた箒を寸でのところで凍結させて息を呑む。シンの動きが止まったのをいいことに青年はその白い棒を軽く振った。すると、シンの握っていた箒の堅い感触が突然ぐにゃりとした頼りないものに変わり、シンは目をみはり息をつめる。自分の手元を見ると箒のあった場所に箒はなく、手の中には綺麗で柔らかい花束が握られているだけだった。
「は!?え!?」
「それ、君にあげるよ。僕からのプレゼント。君もお姉さんと一緒ですごく可愛いから花が似合うんじゃない?」
 青年は陽気に笑って硬直しているシンにゆっくりと近づいていく。シンは自分がかつてない経験をしていることをはっきりと自覚して、背筋に冷や汗が流れ落ちていくのを感じた。おびえたように一歩足を後退させるシンに青年は心外だと肩をすくめる。
「別に取って食いやしないよ。さっきも言ったでしょ?僕はただの善良で心の優しい妖精だもの。たとえ本当は君を食べたかったとしても…」
 青年はいきなりシンの顎をつかんで上に持ち上げた。シンは目の前に近づいた紫色の瞳に自分の意志が引きずり込まれていく気がして体が動かなくなる。しかし青年はふっと優しく微笑んだ。
「食べれないんだ。君を悲しませたくないからね」
 青年はそう言って手を離す。そしてシンから離れていき、庭に放置されている樽に適当に座って足を組んだ。シンはまだ硬直が抜けきれなかったが、青年の言いように物事が進んでいる気がして段々と腹が立ってきて、その怒りが原動力となり魔法のように金縛りが解けていく。
「あんたは…何者だ?」
「だから僕はただの妖精だよ。不幸な君を助けに来たの。ここは感謝するべきところじゃない?」
「何で俺を知ってるんだ?」
「何でって、ただ目に付いたからしばらく見ていたんだよ。君って不幸で可愛いからここら辺を飛んでいるときに目立ってたんだ。だから助けてあげようと思ってね」
「助けるったって…」
 シンがまだ疑わしげな顔をしているので青年は白い棒をもう一度取り出して庭に向けてその棒をさっと一振りする。すると、雑草や野良猫の糞で汚れていた庭の上に白い小さな光が舞い広がっていった。そしてシンがまばたきをしている一瞬の間に庭は一変した。庭は今や整然としていて手入れの行き届いた完璧なものに生まれ変わっており、草の一本一本までどこか輝きを放っている。その現実を前にしてシンは目をまん丸く見開いたが青年は相変わらずの落ち着いた声でシンを促した。
「どう?これで信じてくれる?僕は君の味方だよ。もし信じられないって言うなら君の望むことをもっとやってあげるから何でも言って」
 シンはごくりと唾を飲み込んで一呼吸置いてから青年を見つめた。青年は穏やかにシンの視線を受け止めている。屋敷の外では高級な馬車が整備された道を行きかっている音がした。どこかから上品な奥様たちのお喋りの声が響いてくる。シンの顔はまだこわばったままだったがその口がやっと開かれた。
「…あんたの名前は?」
「僕はキラ。これからよろしくね、シン」
 キラは魔法の杖をやにわに手の中に消滅させて和やかな微笑をこぼした。





 それからキラはある時はシンのことを人知れず覗いて窺ったり、ある時は直接声をかけて話したりなどしていった。そして今日も大きな木の枝に座ってシンを覗いていたが、シンが屋根裏部屋の自室でせっせとピンクの布をいじくっているのを見て、居ても立ってもいられなくなりぴょんと枝から跳ね上がる。次の瞬間にはキラはシンの部屋にある古くさい箱の上に座っていた。
「こんにちは、シン」
「またあんたか」
 シンは広げている布から一度だけ顔を上げて、直後また布に目を戻してしまった。キラは鮮やかなレースが縁取られている高級そうな布を見ながら少しだけ不満そうに声をとがらせる。
「ずいぶんご挨拶な反応だね」
「俺は見ての通り、いま非常に忙しいんだ。あんたにかまっている暇はない」
「言ってくれれば僕が素晴らしく品のある最高のドレスを作ってあげるのに」
 魔法の杖がキラの手の中に現れる。キラはその杖の先端をドレスの布に向けた。そこから今にも魔法が飛び出しそうになって、シンはキラから守るように布を自分の手元に引き寄せてキラを鋭く威嚇する。
「やめろよ!」
「これ、君のお姉さんのでしょ?心配しなくても僕はあの美人できついお姉さんが好みだからきちんとしたドレスを作ってあげるよ?」
「いらない」
 シンはまだキラを警戒して顔をしかめていたがキラが諦めたように肩をすくめたので再びドレス作りに戻りドレープを調整していく。しかしキラが少しでもドレスに杖を向けようとするとシンは更に渋面を作ってキラを睨みつけた。キラに手伝われるのが嫌だと言わんばかりのシンの態度にキラは怪訝な顔をする。キラが今まで助けてきた人たちの中でキラに手伝われるのを嫌がった人はそんなにいないのだ。
「シンはどうして僕に頼らずに自分でやろうとするの?そんなに僕が信じられない?」
「違う」
 シンはそれだけ言って黙々とドレープを縫いつけていく。器用に縫い糸を変えて色鮮やかな裾に仕上げていくシンの技術はそれこそ魔法のように心を奪われるものだった。キラは流麗に動いていくシンの手さばきに感心しながらも、まだシンをじっと見つめていた。シンはその視線と意図を感じ取ってぼそりと口を開く。
「フレイはあんなのでも俺の姉貴なんだ。姉さんは俺を信用して俺にドレス作りを頼んだ。だったら、俺は姉さんのためにドレスを作ってやりたい。あんたが嫌なんじゃない。これは俺の力でやりたいだけだ」
 シンを見守っていたキラの顔が自然と優しくほころんでいく。かび臭い屋根裏部屋の中でシンは一生懸命家族のために働いていた。そんなシンを見ているとキラの胸に何とも言えない温かいものがこみ上げてくる。今までキラが助けてきた者は老若男女さまざまで、みな心の優しい善良な人たちだった。そしてキラが新しく助けようとしている目の前の人物もまたそのような人なのだ。キラは自分の胸に柔らかい愛情が芽生えてくるのを感じた。
「シンは家族思いなんだね」
「別に。そんなんじゃないけど…」
 キラは口をにごすシンを黙って見据える。キラはシンの家庭の事情をすでに知っていた。貴族の家に生まれたシンは幼い頃に母親と妹を亡くしており、その後でシンの父親が別の女性と再婚したのだ。再婚女性は一人の女の子を連れていた。初めは4人で仲良く暮らしていたがシンの父親はシンを置いてすぐに亡くなってしまい、この家にはシンと義理の母親とその女の子だけが残された。そして家の財産は再婚女性が管理するようになり、シンの父親が死んだ途端、義理の母親と姉はシンを都合よくこき使うようになったのだ。それでもシンは文句を言いながらも義理の家族の言うことをよく聞いて従っていた。この世界で自分の家族がその人たちしかいないということをシンはよく理解していたのだ。だからたとえどんな扱いをされようと自分の唯一の家族を大事にしようとシンは常に努めている。
 シンを見つめるキラの瞳が柔らかく細まりキラはふわりと笑った。
「まったく…可愛くて困っちゃうな」
「は?」
 シンがいぶかしそうに顔をあげるとキラと目が合った。キラは魔法の杖をもてあそぶようにくるくる回しながら、何てことないというように微笑を浮かべる。
「困ったな。君のこと、好きになっちゃいそう」
「なっ…馬鹿じゃないか?」
 シンは心なしか頬を薄紅に染めてぶっきらぼうにキラを睨む。そんなうぶな態度を示すシンにキラは面白そうに笑い声をあげると、不意に魔法の杖の回転を止める。シンはまたドレスを狙われるのかと警戒してぴくりと体が動くがそんなシンにかまわず、キラはそのまま杖で軽くシンの手元を指し示した。
「手、いいの?舞踏会まであと数日でしょ?止まってるよ」
「え?あ…やばいっ。あんたが変なこと言うから!」
 はっとしたシンの手がまたドレス作りのためにせっせと動き始める。そんなシンの体をいたわるように涼やかな風が屋根裏部屋の窓の隙間から入り込んできた。キラは出していた魔法の杖をぱっと消して、ただ穏やかにシンの働く姿を見つめていた。




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