「アスランってさ」
 そう呼びかけられてアスランは機械作りに夢中になっていた顔をふと上げた。キラはテーブルに頬杖をつきながら無表情でアスランを見つめている。アスランが黙って続きの言葉を待っているとキラは穏やかな声音で爆弾を投げつけた。
「僕よりもカガリの方が好きだよね」



遠距離恋愛の極め方



「はあ?」
 まるでたったいま不意打ちで顔を殴られたかのようにアスランの口からは当惑一色の声が漏れ出した。しかしキラは頬杖をついたまま持論の展開を崩さない。
「だって僕はプラントにいるのに君はずっとオーブにいるじゃない?なぜってそれは君がカガリを助けたいからだ」
「キラ、それは…」
 キラは頬杖をつき、アスランから視線を逸らさないまま、にこりと笑った。
「君を必要としているのはカガリだけじゃないのに」
「キラ…」
 ここはオーブにある代表首長カガリの邸宅だ。カガリが知り合いのよしみとしてアスランに与えた心地の良い南側の一室で、二人は休日を共に過ごしていた。部屋の外では5月の陽光が広大な庭を明るく照らしている。
 アスランは手に持っていた機械をテーブルに静かに置いておもむろに立ち上がった。芋虫のような機械がアスランの手を離れテーブルに取り残される。ややあってその芋虫はピコーンと音を鳴らして自ら起動しだした。体からにゅっと小さな手足が十本はえだしてきて、そのまま可愛らしい芋虫はテーブルの上を無造作にはい回っていく。キラは近づいてくるアスランには反応せず小さな手足で必死に動く芋虫をつんつんとつついていた。
 キラの隣に座ったアスランはなだめるようにキラの肩に手を置くが、キラは芋虫をいじっていてアスランのことを故意に無視し続けていた。アスランは優しい声で辛抱強くもう一度キラに呼びかける。
「キラ、」
 そのせいかどうか、キラはようやく肩をすくめて穏やかに口を開いた。
「アスランは僕よりもカガリが好きなんだよ」
「キラ、お前が一番好きだっていつも言ってるだろ?」
 またしても無言を貫いてしまったキラにアスランは小さくため息をついて言葉を続けた。
「それにキラだって俺よりもラクスを優先しているじゃないか。俺だってお前の傍にいたいが俺はオーブにいなければならないし、お前もラクスのためにプラントに留まってる。今はお互いにそうしなきゃいけないと分かってるからやっていることだろう?」
 アスランはキラを諭しながらも慰めるようにその肩をぽんぽんと軽く叩いてやる。しかしその瞬間キラは唐突にぐるりと振り向いてアスランをぎっと睨み付けた。激しいような静寂なような不思議な色をたたえた凛々しい瞳が窓辺から差し込む光に反射して妖しくきらめいた。
「じゃあだから君は僕の誕生日にも会えないって言うの?僕はスケジュールを調整しまくってどうにか君の誕生日に君に会いに行ったっていうのに君はやってくれないんだ?」
「それは…俺だってお前に会いに行きたいが、その日は前々から上官との会議が入ってると言ってただろ?会議が終わってからお前のところに向かっても翌朝になってしまうし」
 アスランは申し訳なさそうに視線でキラに許しを求めていた。その様子をただじっと見ていたキラは出し抜けにアスランの髪の毛を荒く掴んだ。
「キラ?なん…」
「うるさい、黙ってて」
 キラは掴んだ藍色の髪の毛を問答無用で押さえつけたままアスランの唇に自分の唇をぐいと押し付ける。情緒もなくぶつかる口と口にアスランは一瞬眉根を寄せるが、キラは無遠慮な侵入をやめなかった。キラの舌がアスランの口内に荒々しく割り込んできたのでアスランは内心で嘆息を漏らしながらもその可愛らしい舌を絡めとってやる。そうして二人はしばらくお互いの舌を味わい尽くし、キラが満足した頃にようやく二人の唇が離れた。
「お前はいつも突飛だな」
「君の舌が僕を欲しがってるように見えたから」
 多少息を乱しながらもキラは爽やかな笑顔でそう嘯いた。相変わらずのキラのマイペースぶりにアスランはふっと軽く笑みを浮かべる。そしてひょいとキラの頭を自分の肩に引き寄せ、もたせかける。キラはなんの抵抗もせずそれに従った。アスランは大切な幼馴染の温度を身近に感じながら心苦しそうに小さく声を漏らした。
「ごめんな、キラ」
 キラは無表情のまま窓の外に目を移す。庭では色彩豊かな春の花々が和やかな風に揺れ、透き通った緑の葉がさざめいている。5月初旬のことだった。



 それから時は滑るように流れていった。キラは誕生日をとうとう明日に控えても終わらない仕事にうんざりしてうなだれる。別に誕生日が特別な日だなどとはキラだって思っていなかった。誕生日というものはほぼ世界中すべての人にとってはただの平日であり、キラ自身にとってもただの平日と言えばただの平日であった。昔のキラだったら自分の誕生日をもっと素直に楽しんでいただろうが戦争を二度も経験した今では誕生日という言葉に別の思いが重なってくる。どうしてもクルーゼの言葉が頭をよぎるのだ。
 (だから僕は別に祝ってもらわなくたってかまわないんだ。僕自身が自分の誕生日を素直に祝えないのに他の人に祝ってほしいなんて思わない)
 だけどキラはアスランに会いたかった。誕生日なんてものはただの口実で、本当はアスランに会いたいだけだったのだ。所属先がザフトとオーブに別れてからは会える日もめっきり減ってしまいキラはずっとそれを寂しく感じていた。思えば月の幼年学校時代の甘く平和な時を終えて以降、二人の時間は元には戻らなかった。敵として戦い合っても志を同じくして共闘し合っても戦争が終わっても月の幼年学校の頃のような絶対的な時間の共有は消えてしまった。いつもお互いに傍にいるのが当たり前という繋がりはもはや二人の間にはないのだ。自由に生きられる子供時代はすでに終わった。成長していくにつれ、環境は変わり責任も変わってくる。それは仕方のないことであった。
 (でも…)
「君に会いたいよ」
 キラは椅子に座りながら頭を机の上に突っ伏した。そのまま机の脇に備えられている多目的スクリーンを横目で窺う。どうしてもアスランに会いたい気持ちがふつふつと沸き上がってきてキラは唐突に跳ね起きた。そして手を伸ばしてスクリーンの画面を指で高速で押していく。ややあってスクリーン脇の音響スピーカーから呼び出し音が鳴り始め、時を待たずに目的の人物がスクリーン上に姿を現した。
「キラ?どうしたんだ?」
「アスランっ」
「どうしたんだよ。そんな嬉しそうな顔して」
 スクリーンに映るアスランもまた仕事中だったのかオーブ軍の軍服を着こんでいる。アスランもキラがザフトの白服を着ているのに気付いて微笑んだ。
「もう8時なのに俺もまだまだ帰れそうにないけどキラも軍務に縛られているようだな」
「うん、僕も朝から晩までずっと仕事だよ。すごく疲れちゃった」
「それで電話をしてきたのか?」
 スクリーン越しに穏やかに微笑んでいるアスランを見ていると、キラは突如として下半身がうずいてくるのを感じた。(そういえば最後にヤったのは二週間も前だったっけ)キラは一度芽生えた疼きを抑えきれなくて見えもしないアスランの後ろを覗き込むように窺ってみる。
「うん、ところでさ、君の部屋に今誰かいる?」
「え?いや、俺だけだが」
「それはよかった」
 キラの不可解な言葉にアスランはいぶかしんで眉をひそめた。
「本当にどうしたんだ?キラ」
「君も仕事で疲れてるでしょ?僕もそうなんだ」
「それが?」
「うん、だから仕事で疲れてる時ってやけに性欲が沸いてくるじゃない?」
「はあ?ええ?」
 予想通りのアスランの反応にキラはなかば立ち上がりかけた性器をもてあましてズボンに手をかける。
「君も僕と会えていないんだから色々溜まってるでしょ?だからアスラン、今からテレフォンセックスしよ」
「なっ…」
「いや?」
 キラは白服のスカートのような部分を捲し上げてすでにズボンを下ろしかけている。しかし一応その体勢で止まったままアスランの返答を待っていた。キラが椅子から立ち上がっているおかげでアスランのスクリーンにはキラの顔と一緒に少し膨らんだキラの卑猥なズボンまでも映りこんでいた。アスランの健全な性欲もそれにつられるように反応してきて、アスランは若干顔を赤くしつつも困惑してキラに尋ねた。
「嫌じゃないが…お前はいいのか?そんな…」
「うん、もう待ちきれない。アスランも早く脱いで」
 スクリーン越しにアスランが動く音が聞こえた。キラはそれに先んじてさっそくズボンを下ろそうと手を動かす。アスランとスクリーン越しにでも擬似セックスができると思うと早くもキラの欲求が全開になりそうだった。しかしキラがズボンを腿の辺りまで引きおろしたところで突然後方から澄んだ声が響き渡った。
「キラ、やめてくださいな。セクハラですわ」
「あ、ラクス…」
 キラはズボンを下ろしたままくるりと後ろを振り返った。その拍子にキラの手がズボンから離れ、ひらひらと軍服のスカート部分がキラの下着を都合よく覆い隠す。キラの視線の先にはラクスが微笑を浮かべてソファに佇んでいた。状況を瞬時に理解したアスランは一気に青ざめて下ろしかけた自分のズボンを慌てて元に戻し、その口から混乱の声が飛び出した。
「はぁ?ちょっ…え?なん…ッ…キラ!?」
「アスラン、落ち着いてくださいな。あなたのものはキラに隠れて見えていませんでしたわ」
「それはよかった…ってそういう問題じゃない!キラ!?お前…っ」
 キラはラクスに背を向けていそいそとズボンを履き直してからもう一度ラクスに振り返り謝った。
「ごめんね。そういえばここは君の家だったね」
「はぁ??ちょっ…まさかラクスはずっとここにいたのか!?」
「ええ、わたくしがわたくしの家で仕事をしても問題はないでしょう?」
「だけど何でキラがあなたの家に!?」
 スクリーン越しに動揺をあらわにしているアスランと尚も変わらず微笑を浮かべているラクスをキラは交互に眺めていたが、ラクスが何か言う前に自分からアスランに声をかけた。
「アスラン、僕がいけないんだ。基地で仕事をしてたんだけど、なんだか……嫌になっちゃったからラクスの家に仕事を持ち込んでここでやってたんだ。仕事に熱中しすぎて結局ここがどこかも忘れちゃってたけど」
「はあ?まったくもう…」
 アスランは髪をかきむしり大きなため息をつく。そこでラクスは何気なく立ち上がりアスランに微笑みかけた。
「アスラン、安心してくださいな。わたくしはもうこの部屋を出てリビングに行きますわ」
「え?はぁ…なんか色々とすみませんでした」
 アスランが謝罪するとラクスは穏やかに笑った。
「いいえ。ですがアスラン、キラがわたくしの家に来たのは何故かお分かりになりませんの?何故なら今日は…」
「ラクス、」
 キラはラクスの言葉を遮った。ラクスはキラに優しい微笑を向けて口をつぐむ。そしてアスランに退室の挨拶をしてそのまま部屋を出て行った。部屋に残されたキラとアスランはしばし黙り込んでしまった。キラはこの騒動で疼きがすっかり萎えてしまったので大人しく椅子に座り直して改めてスクリーンに映るアスランに目を向ける。
「アスラン、せっかくその気になってたのに僕のせいでごめんね」
「キラ、いや…それはもういいが」
 アスランはちらりと下を見てスクリーンに映る時刻を確かめた。
「もうすぐお前の誕生日だな。あと3時間半だ」
「うん、そうだね」
 アスランはじっとキラを見つめた。キラもスクリーン越しにアスランを見つめ返す。アスランはその紫の瞳に吸い込まれそうになりながら口を開いた。
「もしかしてお前、やっぱり寂しいのか?俺が誕生日に傍にいないから」
「何それ。自意識過剰だね、アスラン」
「だけどキラ…っ」
「アスラン、君、勘違いしてるよ」
 キラはそう言ってから伸びをした。横目で机を窺うとまだまだ仕事がたっぷりと残っている。今日中に終われるだろうが先は長そうだ。キラは頬杖をついて微笑んだ。
「あのね、アスラン、僕は君を大事に思ってるよ。だけど僕はカガリのこともラクスのことも大切に思ってるんだ。この前あんなこと言ったせいで君を悩ませちゃったみたいだけど、本当は僕もこれが正しいと思ってるしこれで満足してるんだよ。だから君がオーブにいて仕事を優先するのは正しいことだ。僕はそんな真面目な君を愛してるよ」
「キラ…」
 キラはそれでも寂しいと思ってしまう自分がいけないんだと分かっていた。だからアスランに安心させるように笑顔を見せる。
「この前はあんなこと言ってごめんね。あれは冗談だから君ももう気にしないで。今度二人の日程が合ったら会えればいいからさ」
 アスランはキラの笑顔が何故か胸につかえてキラにそっと手を伸ばす。キラはスクリーン越しに近づいてくるアスランの手にどきりとして思わずその手を待っていた。しかしアスランの手は冷たいスクリーンに当たっただけでキラには届かなかった。アスランは手を引っ込めて拳を握る。
「キラ、俺は」
「アスラン、君って昔から本当に心配性なんだから。僕は大丈夫。何度も言わせないで。それじゃあ僕は仕事に戻らなきゃ。まだまだ終わりそうもないぐらい書類が大量に残ってるからね。突然電話してごめんね。君も仕事頑張って」
 キラはそれだけ言うと迷いなく通話を切ってしまった。アスランが何か言いかけていたがその言葉もキラには届かなかった。キラは真っ暗になったスクリーンをしばらく眺めていたが、そこから視線をはがし机に突っ伏した。(僕がいけないんだ。寂しいなんて思っちゃいけない。僕が駄目なんだ。みんなそれぞれの場所で平和のために頑張ってる。カガリにだってアスランが必要だ。僕なんかよりもよっぽどよっぽどアスランが必要なんだ。大好きなカガリがオーブで頑張ってるのに。アスランも頑張ってやるべきことをやってるのに。それを邪魔するなんて、僕は最低だ)
 キラは色んな気持ちが押し寄せてきて瞳に水の膜ができる。しかし泣いてしまったらそれこそ自分に同情しているようで許せない。(悪いのは僕だ。泣くなんて駄目だ)キラは頭を振って少し落ち着こうと席を立った。部屋を出てリビングの扉を開けるとラクスがちょうど二人分のお茶を用意していてくれたようだった。
「キラ、お茶をいただきませんか?」
「ありがとう、ラクス」
 キラは微笑んで大人しくソファに座る。ラクスの柔らかな手が白いカップに紅茶を注いでいく。紅茶は湯気を立ててまろやかな香りを周囲に放っていた。ラクスは二つのカップにそれぞれ砂糖2杯と新鮮なレモンを一滴たらしてからキラに片方を差し出した。
「少し甘い方が今のキラにはよいと思いますの」
「うん、ありがとう」
 キラはカップを受け取り一口飲んでみる。甘いのに酸味のあるレモンのおかげでさらりとした飲み心地になっており、その深みのある温かさがキラの心を安心させた。向かいのラクスも紅茶を上品に一口飲んでから、キラに首をかしげた。
「アスランとはどうなりましたか?」
「あの後はちょっと喋っただけだよ。アスランも仕事が残ってるからね」
「そうですの。では…」
 ラクスが何を言いたいのか察したキラは穏やかに頷いた。
「うん、明日は会えないね。でもいいんだ。僕も別に誕生日自体に思い入れがあるわけじゃないから。その内アスランの方から埋め合わせと思って会いに来てくれるんじゃない?」
 おどけたようにそう言ってキラは笑った。しかしラクスは手に持ったカップに視線を落とす。豊かな香りがラクスの心も癒してくれるけれど、それではぬぐい切れない悲しみが心に影を投げかける。
「ですがキラはアスランに会いたいのではありませんか?…いいえ、会うべきですわね」
 ラクスはそう呟くと一人何かを納得したように顔を上げてキラを見つめた。
「キラ、あなたは明日オーブに行ってらっしゃいな。今から行けば明日の午前中にはオーブに着けますわ。わたくしがキラを祝えないのは残念ですが、キラは明日アスランと会うべきだと思いますの」
「え?でも…」
 キラは明日に控えている目白押しの仕事を思い浮かべて戸惑った。しかしラクスは優しく微笑む。
「行ってらっしゃいな。アスランに会いたいのでしょう?お仕事の方はわたくしがなんとかしてさしあげますわ」
「でも…」
「あら、何を躊躇っておりますの?アスランが無理ならば、キラが行けばよろしいだけでしょう?」
 確かに権力のあるラクスだったらキラの仕事を一日伸ばすぐらいどうってことはないはずだ。伸ばしたところで人に迷惑がかかる内容ではない。しかしそれでもラクス自身に迷惑がかかることは事実だし、それに明日キラがオーブに着いたところでアスランには重要な仕事があるので一緒にはいれないだろうと思われた。
 キラは紅茶をもう一口飲んで喉を湿らせ心を落ち着かせた。
「僕はラクスに迷惑をかけたくないし、アスランだって忙しい時に僕が行っても迷惑に思うだけだよ」
「あらあら、それでも夜になったら会えますでしょう?もしかしたらもっと早くアスランのお仕事が終わるかもしれませんし、とりあえず行ってみればいいのですわ」
「ラクス…」
 キラとラクスの目が合った。キラは思っていたよりもラクスの表情が暗く悲しそうなことにどきりとして心があわ立つ。顔に憂いを載せたラクスは紅茶のカップを静かにテーブルに置いてキラに語りかけた。
「キラ、わたくしはキラに感謝していますわ」
「え?」
「いつもわたくしを支えてくれてありがとうございます。わたくしはキラの幸せを願っておりますけれども、実際はわたくしのせいでキラをプラントに縛り付けているのかと思いますと…」
「ラクス、そんなことないよ!僕は僕の意思で君を助けたいと思っているんだ!それに僕だっていつも君に助けられてて君がいなかったら本当に僕は…っ」
 キラは押し寄せる思いのまま気付くと声を張り上げていた。悲しそうなラクスを見ているとキラの胸まで悲鳴をあげて苦しかった。心からのキラの叫びにラクスはそっと微笑んだ。
「キラ、ありがとうございます」
 そしてラクスは立ち上がってテーブルを回りキラの横に立つ。そしてキラの腕をふんわりと取って立ち上がらせた。
「ですからキラ、あなたはどうぞ行ってらっしゃいな。わたくしにどうかキラの喜んだ顔を見せてくださいな」
「ラクス…」
 ラクスの笑顔につられるように、キラは躊躇っていた心を遮断してこくりと頷いた。
「じゃあ僕は…僕はオーブに行ってくるよ。カガリにも会いたいしね」
「よかったですわ。でしたら善は急げですわね。さっそく手配しなければなりませんわ」
 ラクスは上品に両手を打ち合わせ、きびきびとリビングから去っていく。キラはその後姿を眺めながらラクスにまた心配をかけさせてしまったことを申し訳なく思い胸が痛んだ。ラクスはどんな時もキラに愛情を惜しみなく与えてくれるので、時に心配をさせすぎてしまうのが心苦しい。逆にキラもラクスを大切に思っているから、ラクスを支えながら、ラクスからの愛に素直に甘えたいとも思う。そしてアスランやカガリもそういう関係だとキラはちゃんと分かっていた。そしてアスランとラクス、キラとカガリ、カガリとラクスもそのように繋がっているのだ。みんな恋愛とは違うが、それぞれに大切な人たちである。それなのにこの前つい寂しさに負けてアスランにあんなことを言ってしまい、キラの心にまた後悔が芽生えた。カガリに会ったら謝ろうとキラは心に決めて自分を強く叱った。
 そしてキラはもうすぐアスランに会えるということで自然と胸が高鳴っていくのを抑えきれなかった。オーブに着いて自分を見た時のアスランの驚いた顔を想像すると笑みまで漏れる始末だ。キラは現金でどうしようもない自分の心を恥ずかしく思いつつ、素直にラクスに感謝した。



 その後プラント発オーブ行きの深夜シャトルに乗ってキラはオーブへと出発する。あまり時間がなかったのでラクスの家でお礼を言って別れ、たいした荷物も持たずにそのまま家を飛び出していた。しかしザフトの軍服のままだと面倒くさいことになるのが予想され私服に着替えてきた。ラクスの家にはキラの私服が何着か置いてあり、キラが過去健全な友達として何度かラクス宅に泊まっていたことが幸いした。
 疲れが溜まっていたキラはシャトルの中で寝てしまい、次にキラが目覚めた時にはもう地球に着いていた。太陽の光がぎらぎらと瞼を焼く熱でキラは目が覚める。オーブの港に着きシャトルを降りたら、午後前の爽やかな風がキラを包みこんだ。その自然の歓迎にキラはほっと地球の息吹をかみ締める。そして開いている店に立ち寄りカガリの誕生日プレゼントを買って行く。本来買っていたものはプラントの家に置きっぱなしにしてきたのでまた今度送り直そうと考える。実はキラはまだアスランやカガリに自分の来訪を伝えていなかったが、カガリはいつでもキラを歓迎してくれたし二人を驚かせたかったので連絡はあえて入れないままキラはカガリの邸宅に足を急がせた。

 カガリの邸宅に到着すると訪問客用の機械が最初にキラを検分し、その後たくさんの使用人がキラをチェックしていった。そしてようやくキラはカガリのいる部屋へと案内される。使用人が恭しく扉を開けてくれたので、キラが恐縮しながらも中に入るとカガリがまさに仕事をしている最中であった。今日は行政府には行かないのかカガリはどこかに電話をかけながらせわしなく書類をチェックしていた。カガリは扉に背を向けていたのでまだキラには気付いていない。キラは久しぶりの姉弟の姿に目を細めて微笑み、カガリが電話を終えるやいないや素早く走り寄っていった。
「カガリ、久しぶり」
「うわっ?え?キラ!?」
 キラは目を見開いたカガリをぎゅっと抱きしめて挨拶した。カガリはキラの姿に度肝を抜かれながらも、キラの背中を激しく叩いて喜びを爆発させた。
「なんだ、お前!来るなら来るって言ってくれれば私だって色々用意したのに!本当に久しぶりだな!会えて嬉しいぞ!」
「うん、僕も」
「それにしてもお前また痩せたんじゃないか?ちゃんと食ってるか?プラントの食事はまずいのか?っていうかそういえば何でお前がここにいるんだ!?だってアスランは…」
 しかしカガリの言葉を遮るようにキラは声を落として呟いた。
「カガリ、ごめんね」
 カガリは突然謝られたことできょとんとしていたが、キラがぎゅっと先ほどよりも強く自分を抱き締めてきたので何らかの事情を察して微笑み、小さく息を吐いた。
「なんだか分からないが、気にするな。お前が何をしようと私は怒らないさ」
「…そう言うと思った。カガリは本当に優しいね。本当にごめんね」
 キラはもう一度カガリを抱き締めてから体を離し、思い出したように鞄から小さな包みを取り出す。そして今度は柔和な笑みを浮かべてカガリに包みを差し出した。
「はい、カガリ。誕生日おめでとう」
「え?ええ?あ…あぁ、ありがとうな」
 カガリは差し出された箱に面食らったあと、少々照れたようにそれを受け取った。
「開けていいか?」
「うん、いいよ」
 キラがふと横を見ると近くのテーブルにカガリへの誕生日プレゼントがどっさり山盛りで詰まれていた。名だたる高級品のブランド名がひしめき合っていてキラはそれに少しだけ気後れした。キラがさっきカガリに買ってきたプレゼントは誠意と愛情を持って選んだとはいえ、ただの護身用ナイフだった。一応その業界ではきちんとしたブランドではあったが、テーブルの上に並んでいるブランド名と比べると雲泥の差があった。しかしキラは職業軍人になったばかりで金銭面での余裕がなくそれが今のキラの精一杯だったのだ。それを抜きにしても女性へのプレゼントにしては変なものを選んでしまったと気付き、キラの心に突如猛烈な恥ずかしさがこみ上げてくる。
 カガリはそんなキラには気付かず陽気に包装紙をはがして箱を開けナイフを取り出した。そのまま折りたたみ式のナイフを開いて天井の蛍光灯に向けてナイフをかざす。光に反射して先端がぎらりぎらりと周囲を威嚇していた。キラはその様子を見ていて更に居たたまれなくなり顔が赤くなってくる。
「ごめんね。あんまりいいものじゃないんだけど…それでも君が喜ぶと思ったから…でももっと他の…」
 言い訳がましく言い募るキラに、カガリはナイフをパチンと閉まって満面の笑みを浮かべてキラの方を向いた。
「キラ、ありがとう!すごく嬉しいぞ」
「え…?」
「わたしがナイフを集めているの知ってたのか?これ本当にかっこいいな。気に入ったよ」
「え、うん。喜んでくれるなら嬉しいよ」
 キラは戸惑いながらもほっと一安心して微笑んだ。カガリはポケットにナイフを閉まって笑顔を返す。
「キラも誕生日おめでとう。あ、お前へのプレゼントはアスランに渡しておいたからな。後であいつから貰っておいてくれ」
 キラはカガリの言葉の意味が掴めなくて首をかしげた。(カガリは僕がオーブに来ることを知っていたのかな?)ぽかんとしているキラと同じくカガリも頭に疑問を浮かべながらまた書類を手に取った。
「それにしても何でキラはオーブに来たんだ?せっかくアスランがお前に会いにプラントに向かったのにお前らはいったい何をやっているんだか。喧嘩でもしたか?」
「え?」
 キラの頭上でカガリの言葉がふわふわと漂っていたが、徐々にその言葉がキラの頭の中に落ちてきて意味を把握した瞬間、キラの顔がざぁっと青ざめた。カガリはそんなキラを見て状況を理解したのかあんぐり口を開ける。しかしややあってどうにか冷静さをかき集めたカガリは恐る恐るキラに尋ねた。
「まさか…知らなかったのか?」
 呆然として硬直しているキラを見て、カガリは動揺して手に持っている書類を取り落とした。カガリの手を離れた書類がばらばらと空間を舞っていく。カガリは慌てふためいて地面に散らばった書類を拾いながら、衝撃の抜けきれない顔でキラを仰ぎ見た。
「わ、私は昨日の夜9時ぐらいに急にアスランに頼まれたんだ。アスランのやつ、やっぱり明日キラの誕生日を直接祝いたいから休暇が欲しいって私に頼んできたんだよ。アスランは私に迷惑をかけたくないからずっと頼まなかったらしいが、やはりキラが気になるからと頭を下げてきてな。まったく…。二人のためなら私はそんなこと喜んでやってやるのに何を遠慮していたんだ…と思ったが…」
 カガリは集めた書類をテーブルの上でとんとんと整えた。そしてキラに窓の外を指差す。
「ほら、車が来ているだろう?今日は戦争が終わって初めての私の誕生日だからと、首長たちが私のためにパーティを開いてくれる予定なんだ。そのパーティにアスランの上官たちを呼んだんだよ。もう戦争も終わってるし急を要する会議ではないから上官たちも私のパーティに呼ばれて喜んでいた。結果として、今日あるはずだった会議は延期されてアスランは開放されたわけだが…」
 カガリはそこまで話して心配そうにキラを窺った。
「でもまさか行き違いになるなんてな…私も今からパーティの準備があってすぐに行かなければならないし…そうするとキラはここで一人になってしまうな。キラも誕生日なのにそれは駄目だよな。…あ、キラも私の誕生日パーティに来るか?あ、いやいや私のパーティだけど、今日はキラの誕生日でもあるから私たちのパーティに変更して…」
 カガリがそうぶつぶつ呟いていると、ようやく金縛りから開放されたようにキラはハッとしてカガリの腕を掴んだ。
「カガリ、僕は平気だよ。今日のパーティはオーブの代表首長である君のためのパーティなんだから君が一人で行かないと。僕が行ってもしょうがないでしょ」
 その時、部屋の扉をノックする音が響き、室内に使用人が入ってきた。
「カガリ様、そろそろ行かなければパーティの準備が間に合いません」
 それでもカガリはキラの手を取ってキラも連れて行こうとした。
「じゃあキラも一緒に行こう!ただ行くだけだったら別に問題は…」
「カガリ、僕は君の兄弟だけど今はプラントに籍があるザフトの軍人だ。そんなのが呼ばれてもいない首長たちのパーティに顔を出せないじゃない?それに残念だけど今のオーブにとっても僕が参加するのはまだあまり歓迎されないと思うよ」
「だが…っ」
「ほら、僕のことはいいから。カガリはパーティを楽しんできて」
 キラは微笑んでカガリを優しく押し出した。使用人が扉を開けていたのでカガリはそのまま部屋の外へとはじき出されてしまう。それでも騒いでいるカガリを使用人たちがうまく言いくるめて、結局カガリは邸宅の外へと導かれていった。キラが窓の外を眺めていると、カガリが心配そうにキラの方を見上げながら車に乗り込んでいく。しかしカガリの心配をよそに車はあっけなく発車してしまった。
 キラはしばらくそのまま所在なげに窓辺に佇んでいた。だが数分後にまた扉がノックされ使用人が顔を出す。
「キラ様、もし宜しければ客室にご案内いたしますが」
「あ…えーと…ではお願いします」
 客室に案内されたあと豪華な食事も用意されてキラは至れり尽くせりの対応を受けていく。しかしどんなに豪華で美味しい食事を出されても、巨大な部屋の巨大なテーブルに一人でぽつんと座って黙々と食べるのは寂しさを助長させるだけだった。あまり食欲も沸かなかったが、それでもなんとかすべてを食べ終えキラは席を立つ。
 シャトルの中のアスランには連絡がつかなかったから、代わりにラクスに連絡を入れておいた。あの後すぐカガリからラクスに情報が渡っていたようでラクスはすでに全てを承知していた。「あらあら、アスランったらどうしようもありませんわね」とため息をついたラクスは、「わたくしが余計なことをしてしまったようで、キラ、申し訳ないですわ」と肩を落としていた。お互いに連絡を入れなかった自分たちが悪いのに、ラクスにまで悲しい思いをさせてしまってキラは更に落ち込んだ。プラントに着いたアスランはきっと自分がオーブにいると知ったらすっ飛んで戻ってくるだろうと分かっている。ラクスのことだから恐らくアスランがプラントに着いた瞬間にとんぼ返りさせるだろうことも予想できた。
「だけどまだまだ真っ昼間だ」
 キラは燦燦と輝く太陽を見やりため息をつく。本心を言うと、アスランにすぐに会えると思っていただけにこの現状は寂しかった。だけど、アスランが自分のためにプラントまで行ってくれたのは素直に嬉しい。昨日の電話のあと、カガリに頼んでくれたのだろう。だけど自分の我が儘な言葉のせいで結局アスランやカガリにまで面倒をかけたことになりキラは罪悪感に沈んでいった。


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